第12話 命緋刀 二

「何にしても、城の様子などを調べねばなりますまい」

 清兵衛が話を元に戻す。

懐刀については気になるが、取り敢えず、今後のことを考える必要がある。

「城の調査は横目の人間にも調べさせている。俺も一度、屋敷に連絡する必要があるな」

 雷蔵は大きく息を吐いた。

本来謹慎中の雷蔵の屋敷には、見張りがいる。屋敷に戻るのも簡単ではない。もっとも、四谷の屋敷のように屋敷の中に役人が居座ったりはしていないだろうが。

「父が見つけた、決定的な証拠というのは、刀のことだったのでしょうか?」

 左門の額に浮かんだ汗を、拭いながら、初音は疑念を口にする。

 懐刀は、確かに大きな謎ではあるが、人さらいと結びつかない。左門は人さらいの証拠を見つけたと、報告しているのだ。

「人さらいについては何とも。私どもは、狩場のことを調べよと申しつけられておりまして、刀のことはいわば副産物のようなものでした。最も、肝心の狩場については、未だわからぬことだらけという状態で」

 清兵衛が首を振る。

「狩りについては、本当に護衛も最小限。それも主に水橋家の人間で、城内のかなり上役でも知らない者の方が多いのです。それに、知っていそうな人間もなかなか口が堅くて、調査が進んでおらぬ状態で」

「水橋家でも、狩場の話をするものはおらず、まして、事前に日程を知らされることはありませんでした……ただ、非常に珍しくて、美味い酒が振舞われ、皆で飲むのだという話は聞きましたが」

 朱美が補足する。

「水橋家の中でも秘密裏に行われているということか?」

「そうですね。戻っても誰も愚痴ひとつ言わぬ状態で異常な程です。まるで、何も覚えてないみたいでした」

 朱美は頷いた。

たとえ緘口令をしいたところで、普通は、不平不満、ちょっとした感想はこっそり仲間うちならしてしまうものだ。それもないというのは、やや異常のように朱美は、感じたらしい。

「四谷さまにも、そのようにお伝えしました」

朱美の疑問はもっともだ。

「父は、なんと?」

「星暗寺へ運ばれる物資を調べられないか、と」

 清兵衛が答えた。

「狩場での休憩は星暗寺で行われます。物資については完全に秘密にするわけにはいかないだろう、とおっしゃられて、調査をしていたところでございました」

寺にも備蓄はあるだろうが、領主が、休憩するとなれば、何かと物入りだ。

「それで?」

「城から運び出されたものは僅かでした。しかし、かなりの米や酒などが、城中の台所奉行でなく、家老衆名義で、ひそかに佐野屋という店に発注されておりました。佐野屋は船で荷を中島に運んでいるそうで、四谷さまにご報告は致しました」

「中島?」

 中島の桟橋の周りには小さな小屋があっただけだ。あそこから運ぶとしたら、それなりに大変だろうなとは思う。

「星暗寺に行くときは、結界の話がなくても、もともとあの山は危険で、武装は必須だからな。特に結界の外で化け物が現れる状態で物資を運ぶなら、丸腰では無理だ。どうやっても大事になる。周囲に知られずに物資を運ぶなら中島の方がいい」

 雷蔵は考えこむ。

「佐野屋といえば、潮の国でも指折りの、豪商ですね」

「ああ」

 初音でも知っている名だ。雷蔵は頷く。

「そうだな。明日にでも佐野屋に行ってみようと思う。それから、清兵衛どのに一つ頼みがある」

 雷蔵は、神棚の方をちらりと見あげた。

「命緋刀のことだが。前に見た時より、穢れているように見えた。気のせいかもしれないが、五年前に触れた時は、もっと神々しさがあったように思う」

 主が塩田玄治であるため、刀が雷蔵を拒んでいるのは同じだが、感触がまるで違うものだと雷蔵は話した。

「五年前に了安と一緒に星暗寺の住職、光念こうねんも罷免されている。了安と違って、追放はされていなかったはずだから、まだ城下に住んでいるはず。たぶん、命緋刀のことはこの国で一番詳しい。探しては、貰えないか?」

「調べてみましょう」

 茂助が、こくりと頷く。

「光念なら、穢れた刀の清め方も、知っているかもしれない。もっとも、刀を清めたところで、事態が良くなる保証はどこにもないが」

 雷蔵が肩をすくめた。

 行灯の炎が揺れ、重苦しい空気が流れる。

「こととしだいによっては、雷蔵さまが」

「それは、言うな」

 清兵衛が口にしかけた言葉を、雷蔵は制した。

「安易にその道を選べば、内乱になる。俺と左門が捜していたのは真実だ。権力の道ではない」

「内乱……」

 初音は震える。

 戦乱の世とはいえ、比較的平穏な潮の国で育った初音には、にわかには信じがたい話だ。

 しかし、父の謀反の疑いから始まった、この数日間の出来事は、初音の価値観を変えてしまうほどに平穏から遠いものだった。

 清兵衛の言うとおり、全ての運命を好転させるには、雷蔵が命緋刀の主となり、ひいてはこの国の領主となるしかないようにも思える。雷蔵には、きっとそれが出来る……だが、そう思ったとたんに、無精ひげを蓄えた雷蔵の横顔が、突然、遠くなったように初音は感じた。

「もちろん、それは存じております」

 清兵衛が頭を下げる。

「だからこそ、その選択を忘れないでくださいませ」

「わかっている」

 雷蔵は渋い顔で頷いた。




 カラン

 どこかで竹が鳴る音がした。

「旦那様」

 朱美が清兵衛を見る。

「ああ。お嬢さま、雷蔵さま。食事の用意をいたしますので、一度上にお戻りを」

 清兵衛が立ち上がり、扉を開く。

「……でも」

「四谷さまは私が見ております。大丈夫ですよ」

 ためらう初音に、朱美が微笑した。

「初音さま、ここはお任せして。初音さままでお倒れになっては困りますから」

 茂助にも促され、初音はしぶしぶ隠し部屋を出た。

 案内されたのは、隠し階段のあった二間のうちの、布団の敷いていない部屋の方だった。

 茂助は早々に帰っていったので運ばれてきたのは、二人分だった。

「何もありませんが」

 清兵衛の言葉とは裏腹に、用意された膳は、丁寧に料理されたものばかりだ。

 汁物と飯、青菜の胡麻和え、そして艶やかな卵焼き。

「本当に何から何まで……」

「我らが四谷さまに受けたご恩は、こんなものではありませんので」

 だから、遠慮なくお受け取りを、と清兵衛は告げる。

「俺まで、ついでにすまんな」

 雷蔵は笑いながら座って、箸をとった。

 一方的に世話になることに申し訳なさはあるが、初音もありがたくいただくことにした。

「おいしい」

 この鷺という店は、外観だけでなく料理も立派なのだな、と、初音は思う。

「私は、このあと、どうすればよいのでしょう」

 初音には、行くあてがない。

 左門の謀反の疑いが解けるまでは、屋敷には戻れない。

 しかも、左門の様態から見て、しばらくはここから動かせないだろう。

 父の看病をするにしても、実際には父娘ともども、清兵衛に面倒を見てもらうことに等しい。

「俺とともに、調査を続けぬか?」

「え?」

 初音は、思わず雷蔵の顔を見る。

「左門の謀反の疑いはまだ晴れてはおらん」

「それは……」

 その通りには違いないが、命緋刀を奪ったことは事実だ。

 たとえ、それが、正義のためだったとしても、法には反しているだろう。

「正直に言えば、俺を監視してほしいのだ」

「監視?」

 雷蔵は箸をおいて、初音を見つめた。

「命緋刀がすぐそばにあるということで、心が揺らぐかもしれない」

「雷蔵さま……」

「真実より、私利私欲に傾いていると思ったら、初音どのに止めてほしいのだ」

 初音は清兵衛を見た。

「四谷さまのことはお預かりしますので、ご心配なく」

 清兵衛が微笑む。

「ご迷惑では?」

「剣技においては、初音ほどの腕前の人材は、それほどおらんのだが」

「それは……」

 剣技について問題はなくとも、初音は追われている身である。

 調べるにしても、注意が必要だ。

「俺も謹慎中ゆえ、どのみち目立つ行動は避けねばならん。立場は似たようなものだ」

 雷蔵の目が初音をとらえて離さない。

 初音の胸がドキリと音を立てる。

「お役に立てますなら」

 初音は思わず顔を背けながら了承すると、雷蔵はホッとした笑みを浮かべた。

「雷蔵さまも、もっと、素直におっしゃればよろしいのに」

清兵衛が呆れたように呟く。

 ギィという櫓の音がする。船が戻ってきたようだった。

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