第四節 部長と一騎打ち

澪の戦いは幕を開けた。


誰の視線もシャットアウトして絵に集中する。すると、見えてくるものがある。


負けるものか。


澪のカメラ・アイがとらえたのは、澪を部長指名したときの草間部長の一瞬の表情だ。

人間が多面的であるようにいつも優しい草間部長にも激情と呼ばれるものがある。それを澪は掴んでいた。


最も草間部長らしくない部長を描こう。


草間仁。

彼は絵の中で燃えている。


炎の光は澪の得意とする表現だった。

あの一瞬の焔のゆらめきを画布に落とし込んでいく。


部長。

草間部長。


私は怒りでいっぱいです。


澪はそんな気持ちに突き動かされながら、絵筆を動かした。

いつも応援してくれていた来栖先輩、そして憧れの草間部長。

あのお別れの祝賀会をぶち壊したのは、まぎれもなく、草間部長の部長指名発言だ。


私は負けちゃいけない。

部長辞退より勝負の行方が大事だ。


「花ふぶき」で破れたこと。

それは正直に言って澪には納得のいっていないことだった。


だからかな……。


澪は一つの結論にたどり着く。

草間部長はわざと、私を部長指名して、どう出るか試した……?


澪は思わず、予期しないところに、バーミリオンの色を置いてしまった。


駄目だ。絵に集中しないと。

目の前で草間部長も真剣にキャンバスに向かっている。


澪はしばし手を止めてその様子を見ていた。

絵を描く草間部長は絵の申し子のような神聖さに満ちている。

その姿と、澪の描く草間部長の姿を見比べて澪はふっとため息をついた。


目の前の草間部長は天使のような清浄さで、絵の中の部長は悪魔のようだ。

しかし、それが介在するからこそ人間として魅力ある幅が出るのだろうか。


澪は確信した。

この勝負は私に有利だ。


草間部長という画材は最高だ。清川先生はそれを見越して課題を与えたのではないだろうか。

澪ははみ出したバーミリオンの筆先を一層スライドさせて豪快にキャンバス外へ走らせた。


苛烈に。

号烈に。


二人の行方を見守る部員たちは清川先生によっていつの間にか追い出されていた。

今の美術部部室には澪と草間部長しかいない。澪は心が洗われていく心地がした。

テニス部では感じられなかった、創造するという喜び。


しかし、これはれっきとした勝負である。

二人の間には会話もなかった。

ただ、絵を描く音だけが部室に響く。


ひたひたと迫るような絶妙な緊張感が澪には心地よかった。


絵の中で草間部長が燃えている。

そして目の前にいる部長も澪の目には確かに燃えてみえていたのだった。

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