第二話 金木くんと専門書

   

 数日後。

 ゼミの本棚の前で、少し困った顔をしていると、金木くんが声をかけてきた。

「どうした、大河内。探してる本が見つからない、って感じだぞ」

「そう、そんな感じ。誰か、持ってっちゃったのかなあ? 課題のレポートを書くから、参考にしたいんだけど……」

 もしかしたら、金木くんが何か知っているかもしれない。そんな淡い期待感から、少し具体的に話してみる。

「資産市場の話を使って、マクロ理論が語られた経済書で……。確か著者は、イギリスの大学教授で……」

「ああ、あれか。それなら俺の部屋にあるぞ」

 金木くんの即答を聞いて、私の表情は、いくらか険しくなったに違いない。彼が少し、慌てたような仕草を見せる。

「いや、ちょっと待て、大河内。『犯人発見!』みたいな顔しないでくれ。俺が持ってった、って意味じゃないんだから」

「あら、違うの? だったら……」

「俺も一冊、持ってるのさ。ゼミに入る前に買ったやつ。ここにあると知ってたら、買う必要もなかったんだが」

 そう言ってから、彼はニヤリと笑った。

「でも、大河内には好都合だったな。ゼミになくても、俺が貸してやれるんだから」

「貸してくれるの?」

「そりゃそうだろ。でなきゃ『持ってる』なんて言わないさ。わざわざ『持ってるけど貸さない』なんて言うように見えるか、俺って?」

「見えない、見えない! ありがとう、金木くん!」

 大げさにブンブンと首を振る私に対して、

「早速、明日にでも持ってこよう……と思ったけど、大河内、『それじゃレポート間に合わない』って顔してるな。じゃあ今日の帰り、俺の部屋に立ち寄るか?」

 と、彼は言ってくれたのだった。


 その日の夕方。

「適当に、そこらへんに座って待っててくれ」

「……え?」

 ドアを開けて室内へ入っていく金木くんの言葉に、少し戸惑ってしまう。私としては、部屋の前で待っているつもりだったのだ。

 だって、一人暮らしの男の部屋に、女の子一人で上がり込むというのは、ちょっと……。部屋で飲み会、という感じで人数がいるのであれば、私も抵抗ないのだけれど。

「ごめんな。どこにあるか、まず探さないといけないから。……というより、大河内が自分で探すか? もしかしたら、俺の思ってる本とは違うかもしれないし」

「金木くん! 今さら『持ってなかった』とか言わないわよね?」

 まさか、私を部屋に連れ込むための口実だった……?

 いやいや、それは自意識過剰というものだろう。

 思い切って、彼の部屋に足を踏み入れてみる。六畳一間のその場所は、畳の上に教科書が転がっているわけでもなく、服が脱ぎ散らかしてあるわけでもなく、まるで女子の部屋のように、きちんと片付いていた。

 それでも、女の子とは違う生活臭のようなものが漂ってくるので、ああ男の部屋なのだ、と実感できる。

 だが、何よりも驚いたのは……。

「金木くん、何これ? 本屋でも開くつもり?」

 部屋の奥にあった、二つの本棚。スチール製の安物だが、どの段にも、ギッシリ本が詰まっている。

「大げさだなあ、大河内は」

「いやいや、誰でも驚くわよ。だって……」

 ちょっと読書好きの人間ならば、一人暮らしでも本棚の二つくらいは、普通なのかもしれない。でも、その本が経済学や経営学などの専門書ばかり、というのは異常だろう。

 並んでいる本の中には、ゼミの蔵書と同じものもいくつかあった。ゼミにはないけれど大学の図書館に行けば借りられるはず、という本も結構あるようだ。

「……どうしたのよ、これ。わざわざ買う必要もない本ばっかり……」

「ああ、うん。でも、仕方ないよなあ」

 軽く頭をかきながら、彼は照れ笑いを浮かべる。

「大学に入る前に買っちゃった本が多くてさ。高校とか町の図書館とかには、こういう本、置いてなかったから……。もちろん今は、大学にない本ばかり購入してるぞ」

 冗談っぽく胸を張ってみせる金木くんを見て。

 専門書を買い込み過ぎて「お金がない」が口癖になったのか、と私は理解したのだった。


 そうやって話しているうちに、彼は本棚から、私の目当ての本を見つけてくれた。その上「これも課題の参考になると思う」と言って、他にもいくつか貸してくれた。

 高価で分厚い専門書を、何冊も抱えて帰るのは少し大変だったけれど。

 おかげで、充実のレポートが書けたし、とても勉強になった。

   

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