「お金がない」と彼が言うから

烏川 ハル

第一話 金木くんのブロッコリー

   

 金木くんは、私と同じゼミに所属する男の子だ。「お金がない」が口癖で、ゼミの飲み会にもほとんど顔を出さないし、昼休みの学食で遭遇したこともない。うちの大学は『学食』の割に値段がそれほど安くないから、貧乏学生には不向きなのだろう。


 ある日。

 いつもは女の子同士でランチにするけれど、少し遅れたから「もう今日は一人で簡単に済ませよう」という気分で。

 学食ではなく、売店へ向かったところ、

「あら、こんなところに」

 売店前の食事スペースで、金木くんの姿を見かけた。

 四人用テーブルがいくつも並べられた、こじんまりとした区画。一応は学食と同じく、外からお日様が差し込むよう、壁一面がガラスになっているのだが……。

 ガラスの向こうに見えるのは、隣接した校舎の灰色の壁ばかり。カフェテリアとも呼ばれる学食の明るさとは、まさに対照的な場所だった。

 そんな薄暗い雰囲気の中で――とはいえ照明があるから実際に『薄暗い』わけではないのだが――、一人、黙々とお弁当を食べていた金木くん。

 つい私は、無意識のうちにジロジロ観察していたらしい。ふと顔を上げた彼と、目が合ってしまった。

「やあ、大河内」

「こんにちは、金木くん」

 箸を止めて挨拶してくるので、手を振って応える私。それだけで終わりにしても良かったけれど、せっかくだから、売店で買ったサンドイッチを手にして、彼の前に座った。

「金木くんって、いつもここでお弁当を食べてるの?」

「ああ、金がないからな」

 と、いつも通りの言葉を口にする金木くん。食べているお弁当は、どう見ても、ここで買ったものではなかった。金欠宣言の金木くんだから、当然といえば当然だろう。

「これ、手作りのお弁当よね? でも、確か金木くんって、一人暮らしじゃなかったっけ?」

 ゼミの名簿で見た彼の住所は、近くの学生アパートだったはず。いや、そもそも実家暮らしだとしても、大学生にもなって親に作ってもらう、は考えられない。

 それに。

 敢えて口にはしなかったけれど、お弁当を作ってくれるようなカノジョさんがいるようにも思えなかった。

「もちろん、手作りさ。毎朝、弁当は自分で用意してる」

「えっ、自分で? 金木くん、料理できるの?」

「貧乏学生は、自炊するしかないからな。それに……」

 金木くんは、意味ありげに視線を落とす。

 釣られて私も、彼のお弁当をマジマジと観察する形になった。改めて見直すと、お弁当箱の大半を占めているのは、真っ白なご飯。おかずは、ウインナーと卵焼きとブロッコリーだけ。

「……これくらいなら、小さなフライパン一つで出来るからさ。ほら、ソーセージを炒めて、そこから出てきた脂に卵を落として、グシャグシャッとかき混ぜたら、簡単スクランブルエッグの出来上がり」

 ああ、これ卵焼きではなくスクランブルエッグのつもりだったのか。でもウインナーの肉汁を利用するなら、簡単だけど美味しそう。

「そうやって肉と卵を料理している間に、適当に野菜をチンしたら……。ほら、緑のおかずも入った、バランス良い弁当の出来上がり」

「それなら電子レンジも使うから、『小さなフライパン一つ』ではないわね」

「そこは言葉の綾ってもんだろ」

 私の冗談をきちんと冗談として受け取って、笑顔で返す金木くん。

「それより、大河内。お前こそ、そんなパン一つでいいのか?」

「うん、大丈夫。今日は時間なかったし、それに私、結構少食だから」

「ああ、女って、そういうこと言うよなあ……。でも、それじゃ体に良くないぞ。ほら、野菜も食え」

 そう言って金木くんは、お弁当箱の蓋を皿代わりにして、ブロッコリーを一切れ、私に差し出す。

「いやいや。お金がないって理由で自炊してる人のランチを、分けてもらうのは……」

「遠慮するなよ。野菜一つくらいなら、俺の懐も痛まないから。……というより、そこを気にするんだったら、お返しとして今度メシでも奢ってくれ」

「じゃあ、ありがたく受け取っておくけど……。でも『野菜一つくらい』のお返しが食事一回分になるなら、それこそ割に合わないよね?」

 軽口を交わしながら、彼のブロッコリーを口に入れる。私の一口に収まるほど小さくカットされたそれは、思っていた味とは少し違っていた。

 野菜そのままとか塩を振りかけただけとかではなく、それなりに調味料で処理してから、レンジで加熱したらしい。なんだか優しい味のブロッコリーだった。

   

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