第44話 リタイア~翔~

 JAFが賢吾と悠馬を乗せて到着したのは、二人が出発してから四時間近く経過した時だった。

 戻ってきた二人を見て、翔は心からほっと安堵した。


「おせーし。逃げたのかと思ったよ」

「悪い悪い。なかなか電波の繋がるところまで辿り着かなくてさ」


 労いもせず挑発をする翔に賢吾は謝ってくる。

 調子を狂わされた翔はなんとなく気まずくなった。


「まぁ、こんな暑い中、大変だったよな」

「なに、たいしたことないさ。それよりこれ、ありがとう。助かったよ」


 賢吾は貸した地図を返してくる。


「こんな地図、役に立つはずないだろ」

「いや。役に立ったよ」


 賢吾が感慨深げに見詰めてきて、翔は気恥ずかしさで目を逸らす。


「これに盗聴器を仕込んでおいたんだ。ちゃんと録れてるかな?」

「もうそのネタは勘弁してくれよ」


 賢吾は吹っ切れたように笑った。


「きゃっ⁉ 悠馬さん、怪我してるっ!」


 怜奈が悲鳴を上げて悠馬に駆け寄る。

 血を見るのが苦手なようで、かなり顔色が悪かった。


「ドジっちゃってさ。転んじゃったんだよ」


 二人はなにがあったかを笑いを交えながら語ってくれた。

 雑談で盛り上がっているうちに整備員が部品を交換して、修理は驚くほど呆気なく終わった。



「皆さま大変ご迷惑をお掛けしました。申し訳ございません」


 バスが動き出すと神代が謝る。

 ずっと炎天下で待っていたので翔はヤジを飛ばす気力さえ残っておらず、シートにもたれ掛かってペットボトルのお茶を飲む。


「大幅に遅れてしまいましたので牧場は飛ばし、このまま渦ヶ崎町の夏祭りに向かいます」

「その渦ヶ崎ってところの夏祭りは有名なんですか?」


 みんなの疑問を代表するように伊吹が訊ねる。


「いえ。町内にある中学校のグラウンドを使った小規模なものです」

「そうなの? なんでわざわざそんなところに行くわけ?」


 もっともな質問を阿里沙がする。


「自然に囲まれた素敵なところですよ。皆さんも気に入ると思います」

「質問の回答になっていないように思いますが? なぜそんな田舎の無名な祭りに行くのか質問してるんです」


 手を上げて発言したのは賢吾だった。

 普段は角が立つようなことは言わない彼にしては珍しくきつい物言いだった。


「悪いですけど質問にはお答えできません」

「言えないような理由があるのかな?」


 賢吾はなおも煽るが神代は答えずに座ってしまった。


 みんな口には出さないが、神代の存在にきな臭いものを感じ始めているのかもしれない。

 はじめからその存在を疑っていた翔は「今さらかよ」と腹の中で笑う。


 そもそも願いを叶えると集めておいて参加者同士を疑心暗鬼にさせるこのシステム自体に悪意を感じる。

 しかし主催者の意に反して参加者たちはまとまり始めていた。きっとこの状況に神代も困っているのだろう。

 いったいなんのために神代はこんなことをしているのか。

 翔は改めてそんなことを考えていた。


 ようやく山間の道を抜け、バスは国道に出る。

 辺りには田んぼが広がり、開けた視界の向こうには小さな町が見えた。

 普段なら名前もないようなド田舎の町だと鼻で嗤う翔も、やけにその景色が文明的なものに見えてほっとする。


 渦ヶ崎はまだしばらく先ということで道の駅で休憩となった。

 昼間は暑さで辟易したが、今は冷房に当たりすぎて肌寒い。

 バスから降りると夏の熱気がなんだか心地よいものにさえ感じられた。


 のんびりとトイレを済ませて翔が駐車場へ戻ると、全員がバスの前に集まってなにやら揉めていた。

 遂にみんなの苛立ちが爆発して神代のつるし上げが始まったのかと思ったが違った。


「リタイアするってどういうこと?」


 伊吹が驚いた顔をして怜奈に訊ねていた。

 怜奈は青ざめた顔でうつむき、叱られた子どものように首を竦めていた。


「ここで旅から抜けると言う意味です」

「言葉の意味じゃなくてリタイアする理由だよ。ここまで来てもったいないよ」


 伊吹が優しい声で諭すように励ましていた。

 でもその言い方は子どもの言い分を聞かない親や教師にそっくりで、翔は不快感を覚えた。


 なにがあったのかは知らないが、怜奈は旅をここで終わりにしたいと考えている。

 それを間違ったことだと決めつけるような傲慢さが鼻につく。


「朝から具合悪そうだったよね。それが関係してるの? 相談してよ。力になるし」


 伏せた顔を覗き込みながら阿里沙が声をかける。

 優しさのつもりだろうか?

 顔を見られたくなくて俯いているのに覗き込むという阿里沙の神経が知れなかった。


 玲奈は今朝の盗聴器発覚の騒動で一人賢吾を擁護した。

 気が弱くて自分の意見を言えないタイプだと思っていたので、その態度は意外だった。

 翔はあの一件で玲奈を見る目が大きく変わっていた。

 内に秘めた勇気に尊敬さえ感じていた。

 その怜奈がリタイアしたいと言っているのだから相当の覚悟なのだろう。


「やめろよ、お前ら。本人がリタイアしたいって言ってるんだから帰らせてやれよ」


 我慢できずに翔が止めに入る。

 しかし怜奈を除く参加者たちは「またお前か」という呆れた顔で翔を見た。


「もう少し優しい言葉をかけてやれないのか? 三日間とはいえこれまで旅を共にしてきた仲間だろ」


 悠馬が静かな声で翔を非難した。


「友達ごっことかウザいから。俺は馴れ合わないって最初から言ってるだろ!」


 そんなこと言いたいわけじゃないのについ口走ってしまった。


「そもそも怜奈がなにを思ってリタイアしたいかお前ら知ってるのか?」

「もちろん訊ねた。でも教えてくれずただリタイアしたいって言うから──」

「言わないってことは言いたくないってことだろ。ここで旅をやめたいって言うんだったら受け入れてやれよ」

「そんな声を荒らげなくてもいいだろ。怜奈さんが怖がってるじゃないか」

「勝手な解釈をして自分等を正当化するな! 俺が来る前から怜奈は怯えていた。むしろ逃げたいのに逃がしてくれないお前たちに怯えてるんじゃないのか?」


 相変わらず聡い大人の顔をする賢吾を睨みつける。


「だいたいお前らは無責任なんだよ。本人がリタイアしたいって言ってるのに理由も知らずに続行を強制して。怜奈の力になる? 笑わせるな。もし怜奈がとんでもない理由で苦しんでたらどうする? それは力になれないとか言って見捨てるんだろ?」

「あんたはどうしていつもそうやって人間関係をめちゃくちゃにしようとするわけ?」


 阿里沙が目を吊り上げて翔を睨む。

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