第36話 最初の脱落者~翔~

 ゴールに戻ると既に賢吾と阿里沙が戻っており、捜索に向かったものたちも全員戻っていた。

 山奥へと迷い混む寸前、運転手が見つけたそうだ。

 賢吾は髪の毛をグシャグシャに崩し、ズボンやシャツに青葉が貼り付いていた。

 まるでコントのようなその姿だけ見ても相当取り乱したのであろうことは容易に想像できた。


「け、怪我したんですか⁉ 大丈夫ですか⁉」


 伊吹を見て真っ先に駆け寄ってきたのは怜奈だった。

 自分が捜索を言い出したから責任を感じたのだろう。

 賢吾たちの捜索といい、非常事態で意外と迅速に動ける性格のようだ。


「平気だよ。ちょっと足を滑らせてね」

「すぐに手当てしましょう」


 医療品は持ってきていないので全員でキャンプまで戻る。

 擦りむいたり捻挫してしまっているが、大した負傷ではないので病院に連れていくまではなかった。


「さて、それでは今夜も『祈りの刻』を始めさせて頂きます」


 神代がトランプを出し、運転手がカメラを構える。

 この程度のトラブルで予定を変えるつもりはないようだ。

 出来れば中止になってもらいたかった翔は小さくため息を漏らした。


 翔の引いたカードはダイアのキング。

 一番最後となった。

 ハートのクイーンを引いた伊吹がカードゲームに勝ったかのように喜んでるのを横目で見ながら心に重いものを感じていた。


「最初は僕からか。気が重いなぁ。どうも僕はトランプ運がないみたいだ」


 既に落ち着きを取り戻していた賢吾が余裕を浮かべた顔で首を竦める。

 先ほどの狼狽えぶりを見た全員はその演技に失笑を堪えていた。


 しかし翔だけはその白々しい演技に緊張する。

 賢吾が今日一日を無為に過ごしているわけがないからだ。


 今朝以降翔は賢吾と打ち合わせをしていない。

 既に共闘はないものとなっているので彼の頭の中はまるで読めなかった。

 翔は目を細めて賢吾の動きに注視した。


「じゃあ、悠馬くん」


 賢吾に指名された悠馬は特に動じた様子もなく賢吾を見た。


 賢吾は初日ボートに乗っていたときから悠馬をマークしていたのを思い出す。

 あのときは確か神頼みみたいな願いではなく、もっと具体的で現実味のある願いのはずだと予想していた。


「君の願いは奇跡、だったね」


 悠馬は表情を変えず、じっと賢吾を見ていた。

 変な胸騒ぎがし、翔は息を止めた。


「悠馬くんの『願いごと』は、死んだ恋人が生き返ること。違うかな?」


 その瞬間、悠馬は目を大きく見開いた。


「なぜ……」

「当たってる?」


 賢吾がわざとらしく不安げに首を傾げて訊ねる。

 悠馬のリアクションを見れば的中しているのは間違いなかった。


「まさかっ……」


 悠馬は険しい目をして阿里沙に視線を向けた。

 悠馬と目があった阿里沙は驚いて手を振る。


「違う。あたしなんも言ってないからね!」

「ずいぶんと長々と二人で肝試ししてたよね?」

「あれは賢吾がビビリだから全然進まなかっただけで」


 二人は他人にはよく分からない事情で揉めていた。

 様子から察するに恐らく遥馬と阿里沙も共闘していたのだろうと翔は理解した。

 賢吾は口許を少し緩めてその口論を眺めている。


「そうだよ、悠馬くん。僕はなんにも阿里沙さんから聞いていない」


 賢吾は下手な言い逃れみたいなことを口にし、更に悠馬の猜疑心を煽る。

 仲間割れを誘う賢吾らしい汚いやり口に翔は眉を歪めた。

 自分が場を掻き乱すのは好きだが、他人にされるのは好きじゃない。


「ちょっと待ってよ! なんのこと⁉ 悠馬くんと阿里沙は結託してたの⁉」


 事情がまるで分からない伊吹が不満の声を上げてよけい場が乱れる。

 素直でお人好しの伊吹は参加者同士が共闘するなんて考えもしなかったのだろう。

 現に仲良くなった翔にも協力しあおうと持ち掛けてくることはなかった。


 伊吹に詰め寄られた阿里沙と悠馬は口ごもる。

 二人の間でどんな約束が交わされていたのかは分からないが、容易に言えない内容なのだろう。

 賢吾は他人事の顔をして二人を見ていた。


「悠馬さん、正解ですか? 不正解ですか?」


 クイズ番組のように神代が問い質す。


「……当たってるよ」


 憎々しげに神代を睨みながら悠馬が絞り出すように振るえた声を上げる。


「僕の恋人、結華は死んだ。一年前のことだ」


 悔しさの滲む告白に、さすがの神代も痛ましい表情に変わる。

 翔を含めた参加者たちも静かに悠馬の言葉に耳を傾けていた。


「『次の日の朝が早いからもう帰る』と結華はそう言ったんだ。でも僕が引き留めた。もう少し一緒にいようって……たった一時間一緒にいたいという僕のわがままのせいで、結華は死んだんだ。あのとき、最初に結華が帰ると言ったときに見送っていれば、結華は死なずに済んだのに」


 悠馬は拳を固く握り、自らの太ももを殴る。


「『また明日ね』って言って結華は帰っていったんだ。あの日から僕に明日はやってきていない……僕の『願いごと』は『明日が来ること』だ!」


 誰もなにも言うことが出来ずに俯く。

 翔ですら軽々しい発言が出来なかった。


「僕が殺したんだ。僕が結華を殺したようなものなんだ!」


 更に自らの太ももを叩こうと振りかぶった手を怜奈が両手で掴む。


「違う。悠馬さんが殺したんじゃない。そんなに自分を責めないでっ」


 目を赤く充血させ、激しく首を横に振りながら訴えていた。


「僕が引き留めなかったら彼女は死ななかった。僕が殺したのも同じだろ!」

「全然違う!」


 怜奈は悠馬の耳よりも更にその奥に届けるかのような声をあげていた。


「悠馬さんが引き留めたことと、彼女さんが交通事故で死んだことは関係ない。遥馬さんは彼女を殺してなんていないんです」

「違うっ! 僕が言いたいのはそういう意味じゃなくて」

「違わないよ」と低い声で言ったのは伊吹だった。


「この世の中は色んな因果があって、偶然や運不運で変わっていく。大袈裟に言えば俺がどこの喫茶店に入って、どのコーヒーを飲むのかでも俺の周りの世界に変化が生まれるかもしれない。そんな全てを受け止めて責任を持つ必要なんてないんだ」

「それは話が飛躍しすぎだ」

「確かにな。でも根幹は一緒だ。偶然の積み重ねで起こることは、それはもう神が決めたことでいいだろ」

「じゃあ結華が死んだのは神が決めたっていうのか! なんにも悪いことしてないのに、あんなに優しくて素敵な女の子がなぜ神に殺されなければならなかったんだよ!」


 興奮した悠馬は伊吹の襟首を掴む。

 しかし伊吹にじっと見つめられて正気に戻り「すいません」と手を離して詫びた。


 悠馬の『願いごと』は正直さほど意外なものではなかった。

 初日に神代が「悠馬さんは大切な人を失いました」と言った時点で見当のつくものだ。

 しかしなにか今のやり取りに違和感を覚える。

 それがなんなのか考えるが、すぐには浮かばなかった。


「それでは悠馬さんは残念ながら失格となります」


 重苦しい空気になると淡々とした神代の司会進行もありがたいものになる。

 翔は静かに長く息を吐き出し、肺を空にする。

 呼吸を止めるとやけに心臓の鼓動を感じた。

 そのまましばらく無酸素状態で伊吹の横顔を見詰めた。


 きっと彼も作家として成功するまでに色んな挫折や不運に見回れ生きてきたのだろう。

 ふだん見せている緊張感のない笑顔の下にきっと多くの悲しみや苦しみを抱えて生きている。

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