第2話「人生を変える箱」

「夢か……」


 リビングのソファーで、僕は目を覚ました。師匠のことを夢に見るなんてずいぶん久しぶりだ。滅多なことで、うたた寝なんてしないんだけど、今日は少し飲み過ぎたらしい。時刻はもう二十三時近くだった。


 もうすぐ米国で取引が始まる。僕は外国株を取引きしないが、米国市場の値動きは翌日の日本市場にも多大な影響を与える。海外の値動きを見ながら、夜間取引で持ち高を調整し、明日の作戦を考えつつ就寝するのが、普段の僕のスタイルだった。


「とりあえず、先物のチェックでもするか……」


 先物の値は、夕方の値段と大差はなかった。とりあえず、波乱のスタートという事は無さそうだ。寝ぼけ眼のまま、なんとなくツイッターを眺めていると、美しい蒔絵の施された京漆器の写真と共に、こんな感じの胡散臭い煽りが、僕のタイムラインに飛び込んできた。


『クソみたいな貴方の人生を、この箱で変えてみませんか? これまで数々の為政者を生み出してきた奇跡の箱です。お代は送料のみで結構。どんな権力でも思うがままです! 無事に権力を手にしましたら、成功報酬として一千万円を振り込んでください』


「煽り文句としては下の下だな」と僕は思った。勿論、こんなものが本物であるはずがない。けれども、その煽りの下にほんの小さく書かれていた注意書きに、僕は少し興味を惹かれた。


『ただし、保証するのは権力を手にすることであって、その後の人生の補償まではいたしません』


 本来、この手の注意書きは、商品の効果が感じられない場合の言い訳として記載されるものだ。だがこれは、「権力を手に入れても、幸せになれるとは限りませんよ」という事が書いてあるだけで、権力を掴む事そのものは保証している。


 珍しいなと思って、僕はその下にある詳細ボタンをクリックしてみた。リンク先のページには、過去の所有者の栄枯盛衰のエピソードが詳細に記されていた。眉唾物だなと僕は思った。


 もしこの箱の力が本物だとして、最期は不幸になるとわかっている代物を、欲しがる人間などいるはずもない。「馬鹿らしい……」と思ってブラウザを閉じようとした瞬間、僕は箱の最後の所有者として記されている人物の名前を見て、ハッと息を飲んだ。


 もしそれが本当なら、たとえどんな不幸がこの先に待ち構えていようと、僕はこの箱を手に入れなきゃいけない。


 結論から先に言うと、僕はユキと名乗る少女からその箱を購入し、相場師を廃業した。そして新たな世界に向けて、一歩足を踏み出す事になる。つまり、「人生を変える箱」の名に偽りはなかった訳だ。


 だが、この箱の所有者には、栄光の後に必ず悲劇が訪れる。僕もきっと、その運命からは逃れられないだろう。語りたいことは山ほどあるが、まずはこの箱を手にすることになった、最初の一日から語っていこうと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る