クラスメイトの彼女 8


 美術室は一瞬にして静まり返った。


 ひそひそと何かを言う、もしくは陰口をわざと聞こえるように言う輩も、この時ばかりはいなかった。


 大きな声。怒鳴るでもなく、怒るでもなく、でも大きくて、教室にすっと広がるような、透き通る声だった。 


 僕にとっては、胸の奥底まで響き渡る声だった。


 彼女がクラスメイトに、それも全員に聞こえる程の大きな声を上げるのは、きっと初めてだと思う。国語の授業で音読する時の声とも、僕に話しかける時の、落ち着いた声とも違う。でも、それを耳にした驚き以上に、彼女自ら秘密をさらしたことに僕は動揺した。僕の為に、いや、僕のせいで。


「えっ、は? なにそれ花壇て、そんな係、聞いたことないけど、それ、ホントなの?」

 さすがに萩元も驚いたようだけど、それでも素直に納得する様子は無かった。が、

「花壇の手入れのことなら、俺聞いてたぜ、海斗が杜乃さんを手伝ってるって。用務員倉庫で、えっとー、なんだっけ、あれだろ? なあ海斗」

 そんな萩元を制止するように、中村が援護射撃をしてくれた。

「なにそれ、勝手にやってること? ていうか昼休みの話なんだけど」

 それでも、疑いの目で食い下がるのをやめはしなかった。


「そうだよ。昼休みだよ。杜乃さんは用務員さんの代わりに花壇の手入れをしていて、僕はそれを手伝っている。担任からの許可も得ているし、職員室から用務員倉庫の鍵も預かっている」

 萩元には何を言っても無駄かもしれない。でもこの状況をなんとかしなければと、僕は説明した。ここまで来たら全部話すしかない。出任せと思われようが、これは全部真実だし、少なくとも、黙っている他の生徒には話が通じるはずだと。


 案の定、萩元は妙な目つきの嫌な顔を、こちらに向け続けていた。


 でも、そんな微妙な空気を収集したのは意外なことに、南埜茉莉だった。


「花壇の手入れって、もしかして裏庭の花壇のこと? あれ、杜乃さん達がやっていたの!?」

 南埜茉莉のこの一声で、クラスはざわめき始めた。ざわめきを取り戻したというべきだろうか。

「え! 茉莉? ちょっと──」


「杜乃さん、園芸やっているの? 好きなの!?」

 すたすたと何の躊躇もなく杜乃さんの方へ駆け寄る南埜茉莉。

「私も手伝いたい! 私にもやらせて! 裏門の庭園の花壇、実は気になっていたの。入学当初は荒れ放題だったのに、最近は手入れされ始めたなって、そう思ってたの。杜乃さんがやっていたのね」


 南埜茉莉の口から出る言葉は、意外なものばかりだった。

 

「ちょっとぉ、茉莉!」

 と萩元が制するように声をかけるが──、

「いいじゃない。私、花が好きよ」

「ねえ杜乃さん、なにを植えるの? うーん、この時期だとぉ、パンジーとかコスモス? マリーゴールドとか、ジニアもいいね」

 南埜茉莉の言葉はとまらなかった。


「え、あっ、うっ、うん──」

 この予想外な勢いに、杜乃さんも押され気味なのか、返答に困りつつも、でも返事をしないわけにもいかず、どことなくどぎまぎとしていた。いつも冷静で落ち着いていた、杜乃さんが。


「杜乃さんは、園芸に詳しい?」

「詳しいというわけでは──」

 あの独特の瞳を見開いて、ほぼ絶句しているように固まった杜乃さん。僕はフォローするつもりで声を上げた。

「南埜さんは、園芸が好きなんだ。実は色々とやっているとか?」

「うんん、そんなに。でも母が好きで、いつも庭でお花を育ててるから。だから花が好き」

 花が好き──、自身も花のようにぱぁっと笑顔を輝かせて、彼女は微塵も屈託無く言うのだった。その表情には、曇りも作為的な妙なるものもなく、寧ろ僕が中村や杜乃さんに感じる「心からの声」というような、「気」が通じるような、何かを感じた。他の多くの生徒からは感じられない。寧ろ彼女は、こちら側の人、なのではと。


 とそこへ、美術教師がやってくる。

「よーし、みんな準備はできたかなぁー? ペアになって座ってぇー」

「ちょっと先生! 私の絵、破られてたんですけどっ!」

 すかさず萩元が食って掛かる。

「え?」

「破られてたんですっ!!」

「絵? あ、それ! もしかして──」

「先生っ! なにか知ってるんですか?」

「いや、どうだろう。今朝、準備室の掃除と整理整頓をしててだな、あれ? ──えーっと、まあ、そのぐらいの破れなら、補修してあげるから、大丈夫だよ。じゃあ、みんな席について」

「そんな──」

 どこまでも不服そうな萩元だが、

「直せるのなら、良かったじゃない」

 と、いつの間にか萩元に寄り添っていて、南埜茉莉は優しく微笑みかけてなだめていたのだった。


 正直なところ、南埜茉莉と話したことなどほとんどなかったけど、とても話しやすいように感じた。──なんてことを中村に言うと、きっと嫉妬されるか、どやされるだろうけど。いや、でもこれはきっと中村にとっても収穫の一つとなるかもだし、彼の為に何か人肌脱ぐのもやぶさかではない──、なんて気楽なことも頭に浮かぶのだった。


 いざ席について杜乃さんと向かい合うと、南埜茉莉の印象とは裏腹に、彼女は一層何を考えているのか分からない表情をしていた。困っているというか、動揺しているというか、困惑しているというか、怒っているというか、或いは瞑想しているような。とにかく読みずらい顔をしていた。でも僕は訊ねることにした。

 

「杜乃さん、南埜さんにも手伝ってもらう?」

 彼女は答えなかった。判断に迷っているのか、それとも答えたくないのか。

「彼女、凄くやりたそうにしてるし──、彼女、なんだか、思ってたより話しやすいものがあったし、それに彼女なら──」

 杜乃さんも話しやすいのでは? 


 咄嗟に言葉を切って、最後まで言うのを止めた。なんとなくだけど、直接彼女にそう言うのを僕はためらったのだった。何故かは分からない。


「それに、あんなに目を輝かせて、花が好きって──」

 いつも澄まし顔で女子達に囲まれていた南埜茉莉。しかし、彼女が手伝うとなると、中村もきっとやりたいと言い出すだろう。でもそれも有りだ。結果人数が増えれば、花壇の手入れも順調に進むし、杜乃さんにとっても、いいはず。花壇の手入れだけでなく、彼女を取り巻く環境にも。きっとクラスの空気にも変化が起こる。そのキッカケになるはず、と。

 

 途端に様々なことが頭をめぐった。


 僕個人にとっては、杜乃さんと二人だけでゆっくり話す機会ではなくなるかもだし、それは密かに「もったいない」と感じているのも正直なところだ。僕だけが彼女と接点を持っていた。それに特別な何かを感じていたのも、正直なところ。


 でも、これは何か大事な機会なのでは? と思う方が僕の中で大きかったのかも知れない。


 が、しかし──、


「いいえ、私は、遠慮したいの」

 

 その考えとは裏腹に、杜乃さんは否定的な言葉を発した。

 

「えっ」


 そしてそれは、どこか彼女らしからぬ何か、どこか公平さを欠くものがある?

 

 ──いや、それはそもそもの的外れか?

 

 僕には、どこか、彼女は神のように万物に公平で、正義であると、勝手にそう思い込んでいた節があるのかも知れない。或いはそれは単なる僕のエゴであり、彼女という人を理解しているという思い上がりだったのか? 


 僕の思考は迷路に陥った。


 しかし、何かしらの不自然さを感じたのは確かだった。


「え? どうして?」

「彼女は、悪くない。でも、だから、巻き込みたくないから」

 

 巻き込む?

 何に?


 それは、逆に考えれば、僕は大丈夫だということ?


 では一体何が?

 

 彼女は困っている。僕はそう直感したのだった。




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