夢の中の魔法少女 9


 物事には道理がある。が、必ず例外も存在する。しかしその例外もまた、突き詰めれば何らかの理に支配されているのかもしれない。人類は未だ、宇宙と素粒子を司る、万物の理論にたどり着いてはいない。



「え? なんで、なにして──。杜──?」


 少年は目を丸くして、呆然と立ち尽くしていた。目の前で何が起こっているのか、自分自身も一体何をしているのか、分からない。コンクリート片をぶん投げたのは自分自身でもあるのに。そういった感じで、対峙する二人、制服姿の夢魔の少女と、純白のドレスの夢使い、魔法少女を交互に見つめた。


 ここが現実でない事は、直感的に気が付いていた。が、そもそも一体どこなのか、改めて考えてみると分からない。中学校の校舎のようで、そうではない世界。そう、ここは夢見る少年の心の世界、悪夢の中なのだから。


 分かるような気がして、でも正しく認識できない。


 しかし、彼にとって一つだけはっきりしていたことは、目の前にいる二つの存在が、ただならぬ殺意を持って、戦っているということだった。


 争いは止めたい。救いたい。


 悪夢の中にあっても、彼の心根がそうさせたのだろうか。


「悪夢の中で、悪夢に対して能動的に、しかも自ら打ち倒そうと動くとか、こんなん、ふつうありえへん。どないなっとんねん」

 ネコは思わず呟いた。人類よりも上位次元の存在であるはずの一匹にも、判断できないことはある。

 

「うざいうざいうざいうざいうざいっ!」

 夢魔の少女は狂ったように叫んでいた。そして、

「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろっ!」

 と狂ったように絶叫した。


「あかん、こりゃぁ、マズいでぇ!!」

 ネコが再びつぶやいたその刹那、


「マジちょーウザいぃ! 邪魔者は消えちゃぇ!」

 と夢魔の少女の言葉と共に、少年と一匹が、その場から忽然と消えた。


「ネコっ!」

 フォレストはその三白眼の瞳を見開いて、辺りの気配を探った。しかし、ネコと、そして少年の波動がその場から消えているのは明らかだった。


「ほーらぁ、これで正真正銘、あんたは、ぼっちだからっ!」

 キリキリキリとカッターナイフの刃を出しながら、夢魔の少女は毒づく。

 それをフォレストは正眼に見据えた。


 

 一方──、


 しばらくして、少年はそこが美術室であることに気が付いた。椅子に座り、画板を抱えていた。目の前の椅子には、四つ足の小動物がちょこんと座っている。

「はっ? 杜乃さんっ!」

 正気を取り戻し、咄嗟に出た言葉に恥ずかしくなったのか、少年は気まずそうに口を押えた。

「猫? なんでこんなところに。僕は何をしてるんだ?」

「ったく、呑気なやっちゃ」

「うわっ、猫がしゃべったぁっ!」

 少年は後ろに転倒しそうなほどの勢いで立ち上がり、そしてまじまじとネコを見る。そんな彼を不満げな太々しいまなこで見返すネコだった。

「あれ? ──そうか、これはやっぱり、夢なんだ」

「夢やないでぇ! 悪夢やっ! 地獄にも勝る悪夢やでぇ! にいちゃん」 

 ネコは片目を細め、ぼやくように言った。やさぐれた野良猫のように。

「確かにそうかもしれない。猫がしゃべってるし」

「てっ、そこかえっ!」

 と、転がるネコ。緊急事態でも、こういうところは己を貫くきらいがある。

「ったく、こうしておれんわ、はよ戻らな、フォレストが──」

 と、椅子からのそりと降りて辺りを見回す。

「しかし、こいつ、やっぱ悪夢の中で覚醒しとる、まさか明晰夢見れるとはなぁ」

 小声でぼやきながら、教室のドアを探す。

「あれ、よく見たら猫が光ってる。光る猫? ちょっとまって、これは一体なんなんだ? 何をして──」

「なにごちゃごちゃゆーとんねん、少年! おまんはんの妙な悪夢のせいで、こっちはなぁ、えろう苦労しとんのやっ!」

「悪夢が僕のせい? それを悪夢の方が語るのか? あ、そういえば、さっきの、あれは、なんなんだ? やっぱり、あれは──、杜乃さん?! そうだ、さっきの人は、杜乃さんだったような」

 少年はネコに問いかけた。それは自問しているようでもあった。

「こいつ、魂の感応も鋭いなぁ、もう完全に認識されとるやんけ。魔法少女(夢使い)の素質ありってか。もうこの際しゃーないな。想定外のオンパレードや。って、もうそんなことより今はフォレストが優先や──」

 と言いつつドア口に行こうとしたが、ふと何かを思いついたらしく、ネコは足を止めた。くるっと頭を少年の方へ向ける。


「やっぱりそうだ! さっき、クラスの誰かと、争っていたような──、でもなぜだ?」

「少年、おまんはんの悪夢のせいやっちゅーとるやろが、てゆーかやな、せやせやせや! 悪夢から覚めたら、終わるんや。強制終了や。少年! お前はよ目覚ませ、おまんはんが今すぐ目ぇ覚ましたら、それでええねん!」

「なっ? いきなり目覚めろって言われても、夢の中で、どうやって──」

「ほなワシが目覚めさせたるっちゅーねん!」

 と、ネコは突然少年に飛び掛かり、その顔面に猫パンチを連打した。

「うわぁっ! っちょ、なんでっ!」

 少年が倒れたところを、さらに猫パンチでタコ殴りにするネコ。

「ちょ、まって、まって、なに! 痛っ! ちょ、爪が、痛っ」

「オラオラオラオラァッ! ワシのほんまの力、見せたるでぇっ!」

 

 だが、少年は目覚めるどころか、悪夢世界の波動にもなんの変化も無かった。


 通念として、悪夢の魔力を超えるインパクトを与えなければ、外部介入者が当人を目覚めさせることはできない。


「このガキャぁーっ! なんやねんっ! お前! 目覚めろやっ! フォレストがかつてないピンチに追い込まれとんのやっ! 空気読めやっ! てゆーか、あかん、猫パンチやぁ、クソガキ一人ぶちのめせへんのか、ワシ──」

 ネコは嘆くように低く鳴いた。餌をせがむ飼い猫のように。勿論可愛くはない。


「なんだよこの猫は、喋るし、引っ掻くし。それより説明してくれ、さっきのはなんだ? なぜ戦っているんだ」

「なんやねん、猫パンチ効かんかったら、急に強気に出よってからにぃ」

「さっきのは、僕の友達なんだ! 多分、きっと、その──」

「友達ぃ? ほんまかぁ?」

 ネコはまた片目を細めて少年を訝し気に見る。が、

「せやけど、それやったらフォレストの霊力につながるかもや。もう目覚めん深度に達しとるんやったら、せや! 少年、おまんはんの友達力(フレンドシップ)っちゅうの、使わせてもらうでぇ。せやせやせや、ほな、はよ屋上もどらな」

「イマイチ意味がわからないんだけど、つまり、さっきの所にもどればいいのか?」

「せやでぇ、もういちいち説明しとられん、はよ戻るでぇ。少年、おまんはんの夢のヒロインがピンチやっちゅーことや」

 ネコはぴょんと跳ねて、ドア口に突進した。


「夢の、ヒロイン──」

「なにポーっとしとんねん、チェリーボーイが! はよ行くでぇ、てゆーか、ここどこや?」

「ここは美術室、だと思う」

「別館か、ほな本館にゴーや! おまんはんの精神にフォレストの波動、ワシから送ったるさかい、それで位置を読み取れ、心の波動の感じるままに走るんや!」

「何を言っているのかまったく分からないけど、分かった」

 そうして一人と一匹は、美術室を出て走り出したのだった。


「せやけど、悪夢を見る当人とここまで意思疎通してええんかな。こんな事例はじめてやし、しかしワシ等の存在が認知されてまうとか、ほんまはタブーちゃうか。少なくともや悪夢の中で、もうフォレストは認識されてもうとるし。仮に明晰夢として印象が残れば、目覚めた後も少年の記憶に残るかもしれんし。それはそれで、マズイなぁ、ほんまぁ」

 小声でぼそぼそとネコはぼやいていた。


「オイ少年! さっきの戦ってたもう片方は、誰か分かるんか?」

「制服姿の? あれは、クラスメイトの、確か、──あれ、分からない。思い出せない。何故?」

「明晰夢っちゅうてもな、夢の中では記憶は曖昧になるもんや。ふつうはな」

 流石に魔法少女(夢使い)と同等に完全な覚醒は無理。そもそも片方は夢魔、認識不能で当然。猫は心でそう思った。しかし、

「せやけど、見た感じ、知ってる相手やったか?」

「そうだと思う。そんな気がする」

「もういっぺん見たら、わかるか?」

「たぶん、きっと。でもどうして戦っていたんだ? なぜ? なぜ、杜乃さんが──」

「悪夢っちゅうもんはな、当人の心の奥底にある恐怖とか、嫌な記憶が形になって現れることもあるんや。心配事とかもな。学校にストレスとか感じとるんやろ」

「僕の、ストレス? 確かにそうかもしれない」

「夢魔はな、それを見る当人を恐怖で追い詰め飲み込むんや。恐怖で支配するためにな。多分クラスの嫌いな奴ちゃうかぁ? ──って、まてよ、少年をここへ飛ばして、ほんでフォレストが残って戦っとるって──、ことは、あっ! あかん!」

「なに!?」

「そのおまんはんの図太い精神力、ほんまに使わせてもらうでぇ。この際、なんでもありや。兎に角急ぐでぇ少年!」

「分かった! でも、走って、話して、夢の中で──、そもそもなんで猫なんだろう」

「て、そこかえぇーっ!」

 転がる仕草を見せつつも、素早く走るネコ。「悪夢が干渉しとるのか、或いは、侵食しとるんか? 悪夢の当人が入れ替わる? まずありえへんやろぉ」過去の膨大な戦闘データを元に、ネコは考えた。が、このような事例は一度も無いという答えもすでに出ていた。少年と彼女の魂が干渉する。とりあえず仮説としておく。どのみち彼の精神力はキーになる。ネコはそう切り替えるのだった。


「少年よ! さっきの所に着いたらな、おまんはんの大切なお友達をかばったれや、ええな! 心の底からや!」

 

 少年は深く頷いた。これは夢で、今は夢の中。すべて単なる夢なのだ。そう分かっていても、大変なことが起こっている。そして、彼女にとんでもない危険が迫っている。絶対に助けなければならない。いや、助けるのだ。そう強く心に誓う、誓わずにはいられない少年だった。


 理由なんて分からない。でも彼には、確かなことは一つだけで十分だった。



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