最終章

風の魔法と一本の樹


 『王宮襲撃事件 容疑者は複数か』

 新聞の大見出しには、物々しい文字が連なっていた。

 あれからちょうど一週間である。

 黒狐が買ってきた新聞は、誰かが読んだ跡を残したまま、机の上に置かれていた。中身を読んでみたが、俺たちのことはおろか〈秋桜〉の名前すらも無かった。

 隊長は必要な時以外、誰とも言葉を交わさないし、部屋からも出てこない。どうやらずっと何か考え事をしているようだった。

 黒狐があくびをしながらソファから起き上がった。それと同時に烏と白鷺がリビングにやってきた。

「おはよう」

「んあー……」

 黒狐は気の抜けた返事をして、メガネをかけた。

 そろそろ朝食の時間だ。食事を届けに行った時、隊長に何を考えているのか訊いてみようか──そう思っていると、 当の本人が眠そうな顔でリビングの扉を開けた。

「おはよー……」

 俺は内心かなり驚いたが、顔には出さなかった。隊長は朝一番の牛乳を飲むと、何のためらいもなく自分の席に座った。

 そして最後に涼子がリビングに入ってきたとき、隊長が突然言った。

「僕、〈秋桜〉抜けようと思うんだ」

 全員の視線が隊長に集まった。

「え……? お前今なんて」

「ん? 〈秋桜〉を抜けようって」

 隊長はさも普通のことであるかのように平然と言った。

「急すぎて理解が追い付かないんだけど」

 烏が困惑を隠さず言う。みんな同じ気持ちであった。

「今すぐじゃないよ。そのうちね」

 隊長はにっこり笑う。俺たちは唖然とする他ない。

「お前がよく考えた結果ならいいんだが」

 黒狐は慎重に言ったが、隊長はあっさりうなずいた。

「それと、黒狐さん、今日運転手やってくれない?」

 今度は逆に真面目な顔で隊長は言った。

「ええけど、何すんだ」

「……ドライブだよ。イツキくんも来て」

「えっ、俺?」

 何やら真剣な隊長に反して、俺はわけもわからず首をひねるばかりだ。


 ほどなくして家を出た俺たちは、〈秋桜〉本部に向かっていた。

 隊長はひたすら黙って何かを考えていた。暇を持てあました俺は、道中の標識の数を数えていた。

 やがて〈秋桜〉の駐車場に着くと、隊長は建物の中ではなく外に向かった。その腕に、花束を抱えて。

 このときやっと俺は気づいた。隊長は、墓参りに来たかったのだ。

 隊長は迷いなくウルフの墓に直行すると、花を手向けた。そしてしばらく、なんとも言えない表情で墓を見つめていた。

 木製の頼りない墓標は、今にもカタリと倒れてしまいそうだった。差し直したほうがいいんじゃないか、と思っていると、隊長が同じことを考えたのか、墓標に手を差し出した。

 そのとき、墓標はついに地面から抜けてしまった。隊長は何かを見つけて墓標を裏返した。

「……何か書いてる」

 俺が覗くと、崩した難しい字で短い文章が書いてあった。

「……?」

「見せてみろ」

 黒狐がちょいちょいと指を曲げた。隊長は墓標を手渡す。

「ふむ……」

 黒狐はそれを読むと、少し悲しそうになった。

「……いかにもアイツらしいな。『我が労苦 君に捧げて死に花開く』だとよ。お前に向けた言葉だろうな」

 隊長はしばらくぼんやりしてから呟いた。

「なんで僕に……自分のための言葉にすればいいのに……」

 声が震えている。俺はあえて隊長の表情を見ないようにした。

「あの人はいつも僕のことばっかりだ……まるで僕の親みたいに……自分のことは二の次で……」

 隊長はぽろぽろと涙をこぼした。それを拭いながら隊長は続けた。

「きっとまだ僕の隣にいてくれてるんだろうね……。もう大丈夫だから、僕。寂しくて泣くのは、これきりにするから」

 隊長は墓標に語りかけ、涙を全て拭うと、再び墓標を地面に突き刺した。今度は絶対に倒れないように、周りの土をぎゅっと固めた。

 「うん。僕はもう大丈夫」

 隊長はもう一度言うと、ふわりと微笑んだ。


 次に向かうのは、中央区──俺たちの故郷とでも言うのだろうか。懐かしいような気もする風景が通り過ぎていく。

 車を駐車場に停めると、隊長は帽子を被って外に出た。俺も続いて出ると、黒狐が窓から顔を出して言った。

「さっさと帰ってこいよ。知り合いにでも会ったら面倒だからな」

 隊長は「うん」と言って、早足で歩き始めた。

 隊長にはまだ言っていないが、俺にはこのあたりの土地勘があった。ホームレス時代によく通った道だ。そして、今隊長が目指している場所もわかる。心踊るような、息が止まるような、そんな興奮を噛み締めながら、俺は無言で隊長についていった。

 やがて目的地が見えてくると、俺はたまらなくなって、隊長に話しかけた。

「なあ、隊長。俺さ、ここ知ってる」

「……ホントに?」

 隊長はぱっと顔を輝かせた。俺は頬を掻きながら少しだけ笑った。

「ホームレスだったときに、拠点にしてた時期があって……俺の記憶が間違ってなければ、幼いときにもたまに来てた」

「そうなんだ……! ここ、僕がよく遊んでた公園だよ!」

 隊長は今にも空を飛びそうなくらい興奮して、その場でくるくる回った。

「僕たち、実は知らないうちに会ってたりして! すごいね! ね、早く行こ!」

 隊長は軽く駆け出した。俺はちょっとだけその後ろ姿を見てから、大股で追いかけた。

 懐かしいその公園の真ん中には、大きなどんぐりの木がある。その横に何かの記念碑があって、記念碑の前は遊具も何もない広場になっている。隊長はこの広場でよく遊んでいたらしい。俺は木登りをしていた記憶がある。

「……あ、あった」

 隊長が何かを見つけて、木の後ろに回った。そこには古びた献花台があった。

「……ああ、これって」

「うん」

 隊長は悲しみを瞳に映して、そっと手を組んだ。彼は小声で祈りを呟くと、しばらく目を閉じていた。

 公園の周辺に人の気配は全く無かった。あんな大事件があった後だ、変な宗教団体の一つくらいいてもいい気がする。時間帯の問題だろうか。

 そんなことを考えているうちに、隊長は再び目を開いて公園を見回していた。

「あのとき以来、怖くて来れなかったんだ……本当は、いつかウルフさんと来るつもりだったけど」

 隊長はやはり寂しそうに言ったが、口ぶりにはどこか吹っ切れたような調子があった。

「イツキくん、木登りしようよ」

 隊長はいつもながら唐突に言うと、俺の返事も待たず勝手に木をよじ登った。上のほうの少し細めの枝に座ると、隊長は手招きをする。俺は隊長を睨み付けるみたいに、少しだけ目を細めて、木に指をかけた。

 俺が木の股に立つと、隊長がわざと木を揺らしておどかしてきた。

「やめろよ」

「あはは」

 隊長は楽しそうである。何歳なのか知った今でもやっぱり子どもにしか見えない。

 俺たちは木の上からの景色をしばらく眺めた。色んなことがあったのに、この景色は二十年前ともそんなに変わらない。

「ねえ、イツキくん」

 隊長が口を開いた。

「何だ?」

「僕ね、この数日間、考えてたことがあって」

「おう」

 俺は先を待った。隊長は少しだけ何か考えてから話し始めた。

「昔、僕がまだ自分が〈龍神の使〉だと知らなかった頃……僕は、『なんで生きてるんだろう』ってずっと思ってた。周りの皆や普通に人たちが、どうして当たり前のように生きているのかわからなかった。どうせ死ぬのに、どうせみんな『無』に戻っちゃうのに、なんで頑張ってるんだろう……って」

「相当病んでたんだな、お前」

「そうかなあ……でもね、今は違うよ」

 隊長は少し上を向いて微笑んだ。

「きっと、みんな何かしら『目的』を持ってるんだよね。生きがいって言うのかな……僕にはそういうものが無かったんだ。こういう職業に就きたいとか、週刊のマンガを楽しみにするとか。そういうのが全く無いうえに、誰かにひどいことをされる毎日で、生きてるだけ苦痛だった。もし昔の僕が、『すごい画家になる』って夢を持ってたら、少しは生きたいって思えたかもしれない。自分のやりたいこと、目的が見えてたら──どんな風に幸せになりたいかが見えてたら、死ぬことだってもっとためらったかもしれないなって……。

 だからさ、僕ね、心からやりたいって思えること、一つくらい目的にしてみようって思うんだ」

 隊長は約束事でもするかのように小指を立てた。

「どんなこと?」

「うーん、まだ何にも決めてないや。まずはそれを見つけることからかな……イツキくんのは?」

「え、俺?」

「イツキくんの生きる目的」

 俺は顔をしかめてみせたが、隊長はいたって真面目だ。

「うーん……まあ、じいちゃんから教わったことを無駄にしたくない……ってのと……」

 俺は口ごもる。心の奥にしまっていた密かな夢を、口に出すのは少し、いや、だいぶ恥ずかしい。

「と?」

「と……その……世界一の剣士になる……っていう……」

 隊長は目をぱちくりさせ、それからちょっといたずらっぽく笑った。

「イツキくん、意外と夢が大きいんだねー」

「……うるせーな。ロマンがあっていいだろ」

 俺は冗談混じりに返した。隊長は面白がって「僕も世界一の植物博士目指そうかなあ」などと言っている。

「あ、そういえば。まだアヤメちゃんに告ってないの?」

 俺は思わず咳き込んだ。

「何もしてねぇよ……!」

 というかお前がいるから何もできないんだぞ、というセリフは飲み込んだ。

 あの日、俺たちは王宮から本部に行き、会長に報告と謝罪をした。

 その後広間で十四番隊に出会い、少し雑談を交わした。アヤメもいて、王宮を襲撃するという突拍子もないことをやってみせた俺たちを労ってくれた。

 そのとき、俺は気づいてしまったのだ。アヤメの目は、ずっと隊長の方に向いていることに──。

「そっかあ、もうちょっとデートしてからだよね~」

 ニヤニヤ笑う隊長の尻尾を引っ張っておいた。後ろ向きに落ちそうになった隊長は一人で騒いでいる。

 こいつがライバルになることはまず無いだろうが、思わぬ障害になるのは確実だ。俺は心の中で頭を抱えた。

 この先も、波乱の予感しかしない──。

 心地よい風が、俺を慰めるように、ふわりと肌をなぜた。それは高く青い空の香りと、うろこ雲の気配を含んでひんやり乾いていた。どこか懐かしい気分になる、魔法のような風。


 そうだ、長かった夏も、もう終わりだ。



             龍王の書 完


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龍王の書 うたかた あひる @ryuuounosyo

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