五話

 隊長がいなくなって丸々一ヶ月が経ってしまった。

 俺は線やら文字やら書き込んだ地図をくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に突っこみ、それを蹴って元の位置に戻した。無性に苛ついて頭を抱える。

 手がかりは全く掴めなかった。マザーたちが去っていった方向、今までに見つけた〈桜〉関連の建物や組織、人物などとあらゆるところをあたってみたが、有益な情報は何一つ得られない。十四番隊の隊長が〈桜〉にスパイとして潜入している、というから何とか情報を送ってくれるよう頼んだが、そいつはマザーに関しても〈桜〉内の動きにもあまり詳しくなく、結局無意味に終わってしまった。

 ウルフは誰よりも落ち込み、怒り狂っていた。隊長が連れ去られたあと三日は徹夜で、かつ飲まず食わずで作業をしていたものだから倒れそうになっていた。俺と黒狐、涼子で説得して、やっとちゃんと寝てくれるようになったくらいだ。

 かく言う俺も心配と後悔で眠れない日が続いていた。隊長をさっぱり無視していたくせに、いざ居なくなると、心にぽっかり穴が開いた感じがするのだ。間違って隊長の席に茶碗を置いたりしたときは、いたたまれない気持ちになった。もう二度とこの家に戻って来ないんじゃないか、と思うと今までの日々がどんどん遠くなって、いつか消えてしまう気がして、どうしようもなくイライラする。

 気分転換に外に行こうと思い、自分の部屋を出て階段を下りた。しかし外には隊長自慢の花だんが嫌でも目に入るので、やめてリビングに行った。リビングには先客が──ほとんどいつもリビングにいるのだが、黒狐がいた。

「なあ、見てくれよ。ロスのすっげえ変な顔の写真が撮れた」

 黒狐は隊長がいなくなってからもこの調子だった。

「勝手にオイラの写真を撮るな!」

「いいだろー。イツキの数少ない癒しなんだから」

「否定はしないけど、俺だけじゃなくてお前の癒しでもあるんじゃね」

「俺? 神に癒しなど必要無いのだよ」

 黒狐は謎めいた笑みを浮かべる。俺はそれを無視して黒狐の隣に座った。

「一ヶ月経っちまったな」

 黒狐はしんみりと言った。俺は頷いた。

「隊長と特別仲が良いのはわかってたけど、ウルフがあんなに怒るとは思わなかった。……かなり怖かったし」

「俺も止めに入るの結構怖かったな。あそこまで感情的になったアイツは初めて見た。眼鏡を割られるんじゃないかとハラハラしたね」

 俺は苦笑した。眼鏡は黒狐の生命線だ。

「いつも思ってんだけど、自称『神』のくせに眼鏡なんか要るのか?」

「要るさ。それに自称とかじゃなくて本当なんだからな」

「本当でもなんでもいいけど、視力の悪い神ってどうなんだよ。神として」

「それを言うなよ」

 俺は頭を小突かれた。ムッとしたけど、ちょっと困った顔の黒狐が面白くて笑ってしまう。ちょうどウルフがリビングに入ってきた。

「おい、お前もこれ見てくれよ~」

「やめろ! 広めるな!」

 黒狐がウルフに差し出そうとした写真は、ロスに横取りされ、牙と爪で破られてしまった。

「わ、ちょ、待て! 奇跡の一枚が!」

 そのとき、電話が鳴って俺たちはみな同時に飛び上がった。ウルフがつかつかと棚に歩み寄って、受話器に手をかけた。しかし彼はそこで目を見開いて硬直する。

「どうした?」

「……隊長の携帯の番号だ」

 黒狐が勢いで椅子を蹴倒しながら立ち上がる。俺は混乱して誰にきくともなく尋ねた。

「あいつ、携帯持って戦ってたの?」

「隊長はたまにポーチに入れてたような……とにかく出ろ!」

 黒狐が机を叩いた。ウルフは目が覚めたようにはっとして、取り落としそうになりながら受話器を耳に当てた。ついでにスピーカーモードにしてくれた。

「隊長か!?」

『ん? 〈龍〉のほうが良かったか? ……「僕だよ! 隊長だよ!」』

 電話の向こうにいる人物はケラケラと笑った。似ているような似ていないような声真似に顔をしかめる。声では誰だかわからなかったが、隊長のことを〈龍〉と呼ぶ者は、俺の知っている中では一人しかいない。

「お前は……隊長をどこへ連れていった!?」

 ウルフは受話器に向かって怒鳴った。黒狐が声を落とせと手で指示する。偶然か、騒ぎを聞き付けたのか、涼子までもリビングにやって来た。

『耳元で大声出さないでくれるか? 本当に〈龍〉のことが好きだなァ、狼くんは』

 嘲笑うような言葉に重ねてエンジンの音が流れた。どうやら死神は屋外にいるらしい。それも、車通りのあるところ。

『だめだな、もうちょっと静かなところに移動しよう。あ、あと〈狐〉に替われ。お前はいちいち突っかかってくるから話しにくい』

 彼は気だるそうに言った。俺はどきどきしながら渋面のウルフと替わった。替わるとき、黒狐が紙にさらさらと文字を書いて俺に見せてきた。カンペだ。

「どうやって隊長の携帯を手に入れたんだ」

『ん? あいつのポーチに入ってたのを拝借したんだよ。ママに見つかったら没収だから隠してやってたのさ。でも壊れててな、修復に時間がかかっちまった。電池保たないし』

「……どうして俺たちに電話をかけたんだ」

『そりゃあ、囚われの龍の居場所を教えてやろうと思って』

 俺は言葉を失って黒狐を見つめた。黒狐も俺を見つめ返しぽかんとしている。

『何黙ってんだ、え? 知りたくないのか?』

「知りたい、に決まってんだろっ……」

 慌てて前のめりに早口で言うと、微かに死神が笑う気配がした。

『必死だなぁ、お前も。さっさといくぜ。メモなり録音なりするんだな』

 黒狐に目配せをすると、黒狐はカンペとは別の紙を横に置いて頷いた。

『〈龍〉がいるのは収容施設なんだよ。監獄な。後で誰かの携帯にメールで地図送ってやるよ。ここは警戒体制は厳重だし、他の施設とは比べ物にならないくらい複雑な建物なんだ。俺も常々マップを持ち歩いてなきゃ迷うくらい。それに、俺以外にも幹部クラスの強者がゴロゴロいやがるから、例えそっちの戦闘員を全員注ぎ込んでも、〈龍〉の救出どころか施設の内部に入ることすらままならないかもな。俺も適当に協力するけどな、期待はあまりできないと思えよ』

 俺は思わず頷いてから、うんと言った。いつも強気な死神がそんなことを言うのは意外だった。しかしそれにしても、まるっきり敵である彼が、突然協力などと言い出すなんて、どういう風の吹き回しなんだろう。

 視界の端で何かがちらついた。横目で見るとウルフがカンペをペンで叩いている。俺はそれを読み上げた

「隊長は監獄でどうしてる? 酷いことされてないか?」

 聞こえたのか聞こえていないのか、死神は黙りこくってしまった。切られたかと思ったが、遠くで相変わらず車が往来している。俺が口を開こうとしたとき、死神はぼそりと言った。

『酷いぜ。お前らの想像なんて及ばないくらい』

 ウルフがいきり立ってうなった。黒狐がなだめて椅子に座らせる。死神はゆっくりと話した。

『俺もそんなに暇じゃないんでな、実は様子は見に行けてない。だから予想だけど、死ぬか発狂する寸前くらいまで いたぶられてるだろうな。いや、もうとっくに気が触れてるかも』

 俺は拳を握りしめた。あのとき、もっと早く助けに行っていたなら。俺たちじゃなくても誰かが一緒に戦っていたなら、こんなことにはならなかっただろうに。そして、もっと早くちゃんと謝っていたなら。

『来るならなるべく早くな。そろそろ切る。じゃあな』

「待ってくれ! 最後に一つ訊かせてくれ」

 しがみつくように受話器を握ると、力を入れすぎて耳元でミシッと音が鳴った。

『何だよ。腹減ったから早くしてくれ』

 最後の質問の前に俺は深呼吸をひとつした。これは俺の質問だ。黒狐やウルフのじゃない。

「なんで、隊長を助けようとするんだ?」

 言葉が虚空に漂い、静寂が訪れた。すると、死神はくつくつと笑い始めた。彼はひとしきり笑うと、激しい口調で横柄に言った。

『もっと何か大事なことかと思ったら、愚の骨頂みたいな質問だなァ! 俺が何者か分かってて訊いてるのか? それとも何か勘違いしてる? はっ、ははははは! 俺はなぁ、俺はなぁ! 殺し合いが大好きな死神様なんだよ! 〈龍〉がこっちにいたら、真の殺し合いなんて出来ないだろう?』

 彼の声は朗々と響いた。俺はしばらく呆気に取られていた。黒狐がぼそりと「何てやつだ」と呟く。

『訊きたいことってそれだけかァ? 今度こそ切るぞ』

「……あ、ああ。もういいよ。ありがとう」

 俺は彼が切るまで受話器を握っていたが、彼はしばらく切らずに黙っていた。俺が「どうした?」と首を傾げると、彼は静かに囁いた。

『悲しいね。どうしたって仲間にはなれないんだからさ……』

 黒狐が眉根を寄せて俺に近づこうとした。よく聞こえなかったらしい。真意を尋ねようとすると、受話器の向こうは静まり返って、ツー、ツーと虚しい音が鳴っていた。

 俺も受話器を置くと、仲間を振り返った。誰もが驚いたような顔で何か考えている。

「最後、何て言ってたんだ?」

 ウルフが組んだ腕をもどかしそうに指でトントン叩いていた。俺はそのままそっくり繰り返そうとして、やめた。

「俺もよく聞こえなかった」

 ウルフはぴくりと耳を動かし、頷いた。涼子が口角を片方だけあげ、意味ありげな目線を寄越してきた。彼女にはわかっているのかもしれない。

「とりあえず、これで隊長を助けに行ける訳よ。早く事の次第を会長に報告して、手はずを整えてもらわないとね」

 俺はこくりと首を振って応えた。そのとき、ウルフの携帯電話が着信音を奏でた。死神からである。資料のデータと一言、『そっちから電話かけたりするなよ。たのむから』と忠告が添えられていた。その場の四人は首をすくめて苦笑した。

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