八話

 二度と口をきかない。そう誓ったとき、背後で扉ががちゃりと控えめに開く気配がした。先ほど隊長が出ていった扉を振り返ったが、そこには誰もいない。驚いて辺りを見回すと、もうひとつ扉があるのに初めて気がついた。そしてその扉を開けたのは、龍人だった。

 深い緑色の鱗と、薄い茶色の角。背中にはコウモリのような翼。俺はその姿に見覚えがある気がして、はたと気づいた。〈マザー〉と戦う前に見た、謎の龍人だ。

「すまない……ええと、十五番隊の隊長さんはどこか知らないかな?」

 年は俺とそう変わらないのだろうか。丁寧な物腰だが怪しい者であることには変わらない。そんな俺の思考を読んだのか、龍人は人の良さそうな笑みを浮かべて言った。

「いやね、俺は最近新しく加入した者で。さっき会長さんと話をしていて、十五番隊の隊長さんと話をしてくれと言われたんだ」

 俺は少しばかり安堵して龍人を見つめた。隊長とは違って全体的にドラゴンっぽい。喋るたびに細長い口から牙が覗く。陽気に輝く青色の目が綺麗だ。

「さっきここから出ていったばっかりだ。どこに行ったのかは……知らない」

 俺は気まずくなった。恥ずかしくも喧嘩してしまったことを知られたくはなかった。

「そっか。ありがとう。あ、良ければ……」

 そのとき、けたたましい音を立てて扉が開いた。隊長が出ていった扉だ。俺と龍人は同時にそちらを振り返った。入ってきたのは黒狐だった。

「……妙な気配がすると思ったら、お前か」

 黒狐は低い声で呟いた。冷淡な目付きで龍人を睨んでいる。俺も龍人の方を再び見ると、まるで別人のような、冷ややかで見下すような目付きになっていた。

「久しぶりやな。五年? いやもうちょいか」

「十年だ」

 龍人は抑揚のない声で訂正した。さっきまでの明るい表情はどこへやら。

「お前などに興味はない。去れ」

「はは、奇遇だな。俺もお前にここから出ていってほしいところなんだ。俺はまだここにいなきゃいけねぇからよ」

 黒狐はいつものおどけた口調で答えた。その足元からロスが現れ、俺の元に駆け寄ってささやいた。

「黒狐のそばに来てくれ」

 その一言で勘づいて俺は素早く扉のそばまで移動した。龍人は俺に冷たい一瞥をくれると、再び口を開いた。

「堕神が俺の邪魔をするな。お前のせいでフーマに近づけない。今日こそ会えると思ったのに」

 横柄な口ぶりは黒狐だけでなく俺まで軽蔑しているように聞こえた。どうやら二人は知りあい……いや、敵同士のようだ。俺は小声でロスに尋ねた。

「あの龍人は何者なんだ?」

「あれは龍神だ。龍王国の国神のな」

 答えたのはロスではなく黒狐だった。俺は凍りついて龍神を見つめた。半そでシャツにジーパンといった普通の服装に、普通の龍人と変わらない見た目。背は高いがほっそりしていて、さっきのように陽気に笑えば好青年にしか見えない。この男が、龍王国の神?

「フーマは俺の物だ。俺はあの子を使って仕事をするだけ。お前に干渉される筋合いはない。そこをどけ」

 龍神は凄んだ。だが黒狐はポケットに手を入れたまま、扉の前で仁王立ち。あくまでそこを通す気はない。

「モノだってか。あいつにも人格はあるんだぜ? 一人の人間をそんなふうに扱うなんていけないねぇ、神として」

 黒狐は嘲るようにニヤリと笑い、細い目をカッと開いた。龍神は顔をしかめ、あからさまに黒狐を嫌悪している。

「ふん、まあいい。どうせお前は五百年近く神界に戻っていないんだろう。今何が起きているのかなんて知りもしないんだ。精々人間とおままごとでもしているんだな、堕神」

「堕神って言葉好きだな~、お前。こっち来るか? 人間って、単純なくせに予想外のことするからよ、いろいろ面白いぜ? 今なら俺のガイド付き」

 黒狐はおとぎ話の魔女みたいにヒッヒッと笑った。龍神はチッと舌打ちして、後ろの扉を開けた。

「今日のところは諦めるが、これで終わりだと思うな。あいつはお前のおともだちじゃない。仕事をしてもらわねば」

 龍神は捨てぜりふを吐くと、扉の向こうの薄闇に姿を消した。足音が上に向かって消える。黒狐はそれを見送ったあと、俺に向き直った。

「あいつに隊長のこと訊かれたりしたか? 何て答えた?」

「隊長はどこに行ったか訊かれた。でも俺は知らないって」

「ああ、良かった。何も教えてなくて」

 黒狐は俺に親指を立てた。それから別の手で扉を開けて小会議室を出ていこうとする。

「なあ、さっきの龍神、戻ってきたりするんじゃ……」

 俺が一歩踏み出して尋ねると、黒狐は足を止めて言った。

「大丈夫だ。どうせ俺たちはもうすぐ家に戻る。さすがにあんな遠くまで追いかけては来ないだろう。俺がいるしな」

「でも、龍神は、ずいぶんお前のこと見下げてたようだけど。堕神とかなんとか。何であんなこと言われてんだ? 黒狐がいたら絶対に隊長は捕まらないのか?」

 俺が堕神、と口にしたとたん、黒狐が苦虫を噛み潰したかのような渋い顔をした。それから小さな子どもを諭すみたいにゆっくり喋った。

「俺一人じゃ龍神に勝てやしないけど、牽制はできるし、十五番隊で協力すりゃコテンパンにはできるぞ。……堕神ってのはまあ、いろいろあってな。あんま訊くな」

 俺はむっとして黒狐を睨んだ。どうして誰も彼も、隠そうとするんだ。

 そんな俺の心の声が聞こえたかのように、黒狐はちょっと悲しそうな笑みを浮かべた。

「こればっかりは教えるわけにはいかんのや。俺は過去の話や余計なことをすると罰せられるんだ。死んじまうんだよ。神界からの呪いさ」

 俺が唖然としていると、黒狐はすぐに話を逸らしてしまった。

「そういや、さっきの会議室に向かう道すがら、不機嫌な隊長とすれ違ったんだけど。お前ら何を喧嘩してたんだ」

「……何で喧嘩って知ってんだよ」

 横目で訝ると、黒狐は俺にムカつくしたり顔を見せた。

「あったりめーだ。人間観察歴四百年超えだぜ? わからないほうがおかしいだろ。そのうえお前も隊長も単純でわかりやすいしな」

 単純と言われたことに少々恥ずかしさを感じたが、黒狐が「まあ、お互い言いたいこと言えたのは良かったんじゃねぇの」と肩をすくめた。今度は俺がさっさと話を終わらせたくなった。

「んで、さっきの龍神、何で隊長を狙ってるの?」

 黒狐はあごをさすってうなった。

「それが、俺もよくわかんねぇんだよな。ただ、何か良くないことを企んでるのは確かだ」

 黒狐はきっぱり言い切り、腕を組んで黙り込んだ。眼鏡に光が反射して、何を考えているのか全く想像がつかない。俺はふいに先ほどまでの怒りを思い出し、黒狐と別れてまた外に出た。

 正直、もし龍神が隊長を連れ去ってしまうならそれでいい。あんなやつとはもう二度と顔を合わせたくない。腹が立ってしょうがない。

 深呼吸をすると、湿った香りで肺がいっぱいになった。暗雲が垂れ込めている。もうすぐ雨が降りそうだ。俺は心が落ち着くまで延々と空を眺めていた。

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