24.主人公と勇者



 下の階にあった明らかに怪しい赤黒いドーム状の物体目掛けてセリスに突き落とされた俺は、ドームをこじ開けて中から紅葉を助けようとしたのだが、ツノと羽と尻尾が生えて完全に悪魔っぽい見た目になっていた花咲さんに吹き飛ばされた。


「――……ってえ」


 俺はどうにか受け身を取りつつ、立ち上がってこちらを静かに見据えている花咲さんと対峙する。その背後には、目に涙を溜めて唇を噛み締めながら俺と花咲さんを見ている紅葉の姿があった。

 見た感じ紅葉には怪我もなく、まだ最悪の事態という訳でもないだろう。ここで俺が花咲さんを抑えることができれば、全部終わる。。

 今、俺がやることはたった一つ。

アモデウスに目を付けられて悪魔堕ちした花咲百合を、“どうにか”する。

それだけだ。


「ねえ、河合くん……っ、どうして邪魔するの? 邪魔したの? あとちょっとで、私は紅葉と一緒に、……一緒になれたのに……、あとちょっとで、私……、邪魔しないで、ねえ、これ以上もう、邪魔しないで、邪魔なの、邪魔……っ」


 花咲さんの瞳は虚ろで、まともじゃない。「邪魔しないで、邪魔」と狂ったようにブツブツ呟きながら、彼女は憎悪するように俺を睨み、手の平をこちらに向けた。


「――邪魔」


「っ――ぅっ!?」


 ドンと至近の空気が弾けたように爆発して、俺は吹き飛ばされる。先ほどよりも容赦がない。さっきのは紅葉が近くに居たから手加減されていたのかもしれない。


 俺はなすすべもなく背後にあった壁に叩きつけられた。痛みが全身に駆け巡って、俺はその場に膝を着いた。

 でも、死ぬほどじゃない。俺は自分自身を叱咤して立ち上がる。顔を上げると、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきている花咲さんが見えた。


「河合くん、このままだと、死んじゃうよ……? いいの? 大人しくして、もう紅葉に近づかないっていうなら、見逃してあげてもいいよ?」


「は……っ、それは無理な相談だな。ずっと昔から一緒にいた紅葉と今更離れられる訳ないだろ」


「……っ、ずっと……、ずっと……紅葉の気持ちに気付いてなかったくせに……っ、今更……っ! ふざけるな……! ふざけるな……!」


 花咲さんの顔が歪んで、また俺に手平を向けた。

 それを見た俺は咄嗟に横に跳ぶ。直前まで俺がいた壁際に衝撃波が走って、壁にヒビが入った。


「……」


 ……今の喰らったらやばかったかも。怖い。

 悪魔堕ちするとこんなことができるようになるのか。やっべぇ。


「実樹……っ!  ねぇ! 百合、お願い、お願いだからやめて……っ」


 俺がヒビ割れた壁を見て震えていると、ドームの中から紅葉が出てこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「紅葉は大人しくしてて。河合くんがいなくなったら、後で一緒に愛し合おうね」


 そんな紅葉に視線を飛ばして、百合がそう言うと、ガクンと力が抜けたように紅葉がその場に倒れ込んだ。


「み、実樹……っ、百合……っ」


 泣きそうになりながら、紅葉が俺と百合にそう言った。耐え切れなくなったように、紅葉の瞳から涙がこぼれる。


 俺はそんな痛ましい紅葉を見てから、花咲さんに言う。


「なぁ、花咲さん」


「な、に……?」


「花咲さん、この前言ってたよな、どうしようもないくらい紅葉のことが好きだって」

 

「そう、だよ……? 大好き、好き、なの。どうしようもないくらい好きだから、好きなのに、好き、だから、こんなこと……!」


 花咲さんが拳を握りしめて、鋭い瞳で俺を見た。


「あの時、花咲さんの話を聞いて思ったよ。あぁ、本当に紅葉のことが好きなんだなって」


「だから……? だから何なの? 好きだよ? 大好きだよ? だから、だからこんな……!」


「あぁ分かるよ。俺も紅葉のことが好きだから、分かった。花咲さんが紅葉の好きな所を語ってる時、あぁそうだよなって思ったよ」


「ふざけないで!! だったら……! だったらなんで……!」


「あの時はさ、なんか負けたような気がしたんだよ。本当に嬉しそうに紅葉のことを話してくれる花咲さんを見て、応援しようとも思った。でも、やっぱりやめだ」


「……っ、何の、こと……っ」


「応援するのはやめだ。本当に紅葉が好きなら、紅葉のことをあんな風に泣かせて言い訳がない」


「簡単に言わないで!!」


 花咲さんが叫んで、大気が震えた。同時に床も大きく揺れて、俺は転びそうになる。花咲さんが駆け寄って来て、俺の胸倉を掴み上げた。背後の壁に押し付けられる。


「私だって、紅葉を泣かせたいわけじゃない! でも! 他にどうしようもなかった!」


 喉が締められ息が詰まったが、俺はどうにか言葉を続ける。


「他にどうしようもなかったら、好きな人を悲しませて言い訳ない。花咲さんだって、そんなことは分かってるだろ」


「じゃあ、じゃあどうしたら良かったの!? 何が正解なの!? 私には、……分からない、分からないの……っ」


 花咲さんの手が震えていた。彼女の表情に、動揺がうかがえた。虚ろだった瞳に感情の色が見え隠れする。俺は言葉を継いだ。


「何が正解かなんて正解するまで分からねえよ……、それが分かったら誰も苦労しない。だから人間は必死に頑張ってんだろ。だけどな、少なくとも、花咲さんがこんな強引な手で紅葉を手に入れようとすることが間違っていることは分かる」


 分かっている。

 花咲百合という少女が、本来こんなことをするような少女じゃないことは。

 きっと自分の紅葉への気持ちが成就しないことが分かってしまって、そのことに絶望して叶わないと決めつけた欲が渦巻いて、偶然このショッピングモールに居合わせた悪魔に、異世界から来た悪魔に、誘われてしまったのだ。欲の為に手段を選ばない悪魔に堕とされてしまった。

 でも花咲さんが起こした行動、その根幹にあるのは花咲百合という少女の想いであることに間違いはない、はずだ。


 悪魔と同じ世界から来た天使――セリスが言っていた。

 『悪魔落ち』した人間を止めるには、その堕ちるキッカケとなった『欲』を壊せばいいと。


 正直な話、今の俺は何様だって感じだ。自分のことを棚に上げて、上から目線で花咲さんに口を聞いている。彼女からすれば、本当にふざけるなって所だろう。自分で言っていて、俺はそんなに高尚な人間じゃないと自覚する。

 

 それでも。


 それでも今、この台詞を彼女に言えるのは俺しかいない。


 俺は花咲さんの目を見つめ、言った。



「――そうやって無理やり手に入れた紅葉は、本当に花咲さんが欲しかったものなのか?」



「つっ――っ! うるさい! うるさい! うるさい! そんな訳……っ、そんな訳、ないでしょ!!」



 花咲さんが涙を流しながら、絶叫するように言った。その次の瞬間、パリンとガラスが音を立てて崩れるように、どこかで何かが壊れる音が聞こえた気がした。


「――!?」


気付けば、花咲さんの体からにじみ出るように赤黒いモヤが浮き上がって、ぐるぐると彼女の頭上に集まって渦巻いた。


 次第にその赤黒いモヤは、かろうじて人影とわかるような形をとって、ぽっかりと空いた目のような空洞を俺に向けた。

 おぞましい物体だった。見てるだけで吸い込まれて、暗いどこかに堕ちてしまいそうになる感覚。これが……花咲さんの『欲』?


 俺の胸倉を掴み上げて壁に押し付けていた花咲さんの瞳から、フッと意識が失われ、彼女の体が崩れ落ちる。俺は慌ててそんな花咲さんを抱き留めると、手早く床に寝かせて壁から離れるようにダイブした。そして立ち上がって全力ダッシュ。


 走りながら振り返ると、赤黒い人影は大人の五倍くらいの大きさに膨れ上がり、俺に顔を向け、その腕を振り上げていた。


 やばいやばいやばいやばいやばい。


 その人影はどんどん大きさを増して行き、簡単に俺をまるごと捻りつぶせそうなほど大きくなった手の平を、音もなく振り下ろす。

 俺のすぐ背後の床にその手は叩き下ろされて、ビシィっと周辺の床に亀裂が走った。あと一歩逃げるのが遅かったら死んでた。


「ひぇぇぇぇっ」


 思った以上にやばかったその人影に俺は動揺して、足元がもつれる。転んだ。


「うぶっ」


 慌てて立ち上がって逃げようとしたが、既に俺の10倍くらいの大きさになっているその人影を見上げ、俺は観念する。


 あ、もう死んだなこれ。


 そう思った次の刹那――。

――光り輝く剣を手にしたリヒトが俺の目の前に現れた。目にもとまらぬ速さでリヒトの腕がブレて――剣閃が瞬く。

 スッと一直線の光の線が巨大な赤黒い人影を両断するように走って、光の奔流が爆発した。


 思わず目を瞑って、再び瞼を開いた時、目の前には憎たらしさを通り越して嫉妬すら浮かばないイケメン笑顔スマイルを浮かべているリヒトが居た。

 リヒトは嬉しそうな顔をして、俺に手を伸ばす。


「さすが主だな、信じていたぞ」


「おっせぇよ……、このドアホ勇者が……」


 俺は呆れたように薄く笑ってそう言ってから、リヒトの手を取って立ち上がるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る