第23話

「おはよう。あら、電話中?」

「あ、おはよう。うん、ちょっと……」

 夜勤明けの翌日で、母親が家にいることをすっかり忘れていた。

 ここで保留が明けて渡邉が喋りだしたらまずい。俺は急いでパンを掴み、二階へ戻ろうとした。階段を一段上がったところで「一彦、その携帯どうしたの?」と母親が聞いてきた。

「え? あ、これ? えっと……ああっ! ちょっとスマホの調子悪くて修理に出したら、代わりに貸してくれたんだ」

「あ、そう」

「うん。あ、もしもし?」

 電話は変わらず保留中だったが、友達と話しているふりをしながら階段を上った。

 急いで部屋に入り鍵を閉め、掴んでいたパンをベッドに放り投げた。

「うわっ、怖ぇー! すっかり忘れてた。おかげで飲み物なしでパンかよ……キツイな、こりゃ」

 保留音が流れ続ける携帯をずっと耳にあてているのも、そろそろだるくなってきた。一度切ってかけ直そうと思った時、ようやく渡邉の声が響いた。

「大変お待たせいたしました。申し訳ございませんでした」

「……今切ろうかと思ってたとこだよ」

「またそんな寂しいことをおっしゃる」

 その少し拗ねた様な言い方に思わず「彼女かっ!」と突っ込んでしまった。

「いえ! 仕事一筋この渡邉、彼女など足手纏いになるだけでございます!」

 突っ込みの意味を理解していない渡邉の答えは、逆に笑える。

「渡邉さん……独身で彼女いないんだ……いや、そんなことより何だったの?」

「いえ、実は私――あっ、先ほどの件でございますが、滝沢様にはある選択をしていただかねばならなくなりました」

「ちょっと、渡邉さんの身の上がすっげー気になるんだけど。でもとりあえずこっちの、何の選択か教えてよ」

「ま、それは後ほど。実は、小池様の処遇についてなのですが」

「えっ、それってまさか……」

ああ。今度こそ嫌な予感が当たりませんように。

 俺は祈りながら次の言葉を待った。

「その決定につきましては、少々お時間を要すようでございます」

「……少々ってどれくらい?」

「それを確認してまいりました。どうやら七日前後はかかる見込みでございます」

「七日? 一週間ってことは……えっ!? もしかして俺、ギリギリ?」

「そうなのです。もしかしたら滝沢様の権利履行期間に間に合わない可能性がございます」

「マジかよ……」

「はい。マジでございます」

「ぷっ!」

 緊迫した状況にも関わらず、渡邉の返事がおかしくて思わず吹いてしまった。

「どうかなさいましたか?」

「いっ、いや、なんでも……で、俺は何を選ばなきゃいけないの?」

「はい。ですので、小池様を殺害なさる場合、ギリギリまでお待ちになって間に合わなかった時のために、もうお一人候補を挙げておいていただくか、又は……」

「又は……?」

「契約違反の処分としてではなく、本来の人殺し権を小池様に向けて発動なさるか。どちらになさいますか?」

「どちらにって……」

 まるで機内で牛肉と鶏肉のどちらを選ぶかを聞かれる時のような、とても気楽な感じで聞いてくる渡邉に戸惑った。

「そんな簡単に……でもちょっと待って。それって、小池さんは処分されない可能性もあるってこと?」

「さようでございます」

「なんで? 契約は変わらないんじゃなかったっけ?」

「今のところは、でございます。しかしながら、若草様はやはり明日以降のテレビ放映を待って決断されるようでございますし、そうなりますと――」

 渡邉は、明日もしかしたら契約内容が変更になり、小池は処分されなくなる可能性があることと、契約通り処分されることになっても十日以内は難しいであろうということを、長々と説明した。

「うーん……」

 俺は迷っていた。

 小池はテレビで見る限り嫌な感じだったし契約にも違反している。しかし、だからといって殺したいと思う程の相手ではない。

 それに、何といっても彼女には幼稚園生の娘がいる。

 他に何か考える手立てはないものかと考えて、思い出した。

 渡邉から返事を急かされる前に聞いた。

「あ、でもその前に、俺が聞いたあの件はどうなった?」

「例の件でございますね。あの、実は……」

 今日の渡邉は、歯切れの悪い物言いばかりだ。

「まさか、進んでないとか言わないよね?」

「あ、いえ、あの……はい。実は小池様の件でこちらは大変殺伐としておりまして、なかなか……その……申し訳ございません」

 先ほどの嫌な予感の内容は当たらなかったが、小池の件といいこれが進んでないことといい、想像以上の嫌な出来事が続く。もしも、小池の処遇決定が俺の人殺し期間に間に合わず、さらに刑務所や拘置所にいる犯罪者を殺害できるかどうかの判断も間に合わなかったら、一体どうなるのか。

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