第6話

 物騒なことを言いながら上げたその顔は、今にも泣き出しそうだ。

「…………」

 その土下座をしているような格好を見て俺は、不謹慎にも吹き出しそうになった。なんというか、ひどく芝居の下手な喜劇を見ている気分だった。

「あのー」

 俺は玄関の上がり口に腰を下ろした。

「えっと……さっき、小池って名前を出しただけで、それがどんな人なのか、男か女かも聞いてないんだし。それで殺してくれって、ちょっと変じゃない?」

「変ではございません。私は契約違反者でございます。それ相応の処罰を受けなければなりません」

「その処罰を下すのって、俺?」

 俺の言葉に、渡邉は暫し考えた後「いいえ。それ相応の、しかるべき手続きを取りまして、最終的には大統領のご判断により処罰が下されます」と、なんだかよく分からない説明をした。

「えっと……じゃ、俺がこの場で殺したら、処罰じゃなくてただの殺人なんじゃない?」

 渡邉は再び胸ポケットからチーフを取り出し、音を立てて洟をかんだ。

「失礼。いえ、滝沢様は人殺し権の試験資格をお持ちですので、ただの殺人ではございません」

「でも俺、まだ契約書にサインとかしてないし」

 この言葉を聞いて、渡邉は目を見開いた。

「はっ! そうでございました! 私としたことが、またまたすっかり忘れておりました!」

 ポンと手を打った後、額に右手をあてて天井を仰ぎ見るポーズを取った。

「それでは急いでご契約を!」

 この契約が成立したら、渡邉は自分が殺されるかもしれないということは、どうやら考えていないようだった。面倒臭いのでこれ以上は触れないことにして、俺は他のことを聞いた。

「あっ、ちょっと待って。その前に聞きたいことがあるんだけど」

 アタッシュケースの中から朱肉を取り出そうとしていた渡邉の動きが止まる。

「なんでございましょう」

「あ、えっと、もし他の人にこの人殺し権のことしゃべったら、俺はどうなる?」

 渡邉はすっくと立ち上がり、朱肉の代わりに新しいチーフを取り出した。

 そしてそのチーフで手の平と膝についた汚れを払い、丁寧に畳んで胸ポケットにしまってからこう言った。

「実はこの試験のことは、大統領の側近と私たち三人以外、誰にも知られておりません」

「へぇー」

「もしも他言なさいましたら、その時は残りの二人のうちどちらかが、その方を殺さなければならないルールになっております」

「……ってことは」

「ということは、何だと思われます?」

 本日二回目の同じ台詞。両腕を後ろに回し、身を乗り出すポーズまで同じだ。

「……マニュアルがあるのか?」

 渡邉の様々なポーズについて出た言葉だが、彼はそうは思わなかったらしい。

「いかにも、おっしゃるとおりでございます。あらゆる可能性を想定したシミュレーションを行い、フローチャートを作成いたしました。マニュアルというより、ルールブックのようなものですが」

「なんだ、人殺し権のほうか」

 マニュアル男は目を丸くし、手の平をこちらに向けて広げ、驚きのポーズをとった。

「他に何があるというのです!?」

「いや、えっと、その……ルールって他にもあるの?」

 なんとかごまかそうと苦し紛れに出た言葉に、渡邉は大きく反応した。

「OH!」

 またしても外人のような声をあげ、両頬に両手の平をあてて見せた。まるでムンクの叫びのようだ。

「私としたことがっ!」

 慌てて足元のアタッシュケースを探り、中から一枚の紙を取り出した。

「本来であれば契約書をご覧いただきましたときに、制令施行試験権利のルールを明記いたしましたこの紙を、併せてご覧いただかなければなりませんでした」

「ふーん。それって、忘れてたってこと?」

「しかしながら!」

 書類を持った手を広げ、渡邉は狭い玄関を右に左に歩き出した。

「しかしながら、初っ端から滝沢様が詐欺だとか実験台などとおっしゃるから、私のペースがすっかり乱れてしまい、このような失態を……ああっ!」

「なんだよ、俺のせいかよ」

 小声で呟いたつもりだったのだが、渡邉にははっきりと聞こえたようだった。その演説めいた動きをピタリと止め、渡邉は毅然とした顔を俺に向けた。

「今、何かおっしゃいましたでしょうか」

 次第にムカついてきた。

「い・い・え! な・に・も!」

 思えば玄関でいきなりわけの分からないことを言い始め、殺すだの殺してくれだのと騒ぎ、挙句の果てには全てが俺のせいだと言う。あれから随分と時間は経っているが、話は何一つ進んでいない。

 強い口調に少したじろいだ様子の渡邉は「そっ、それでは!」と、それまでのことは一切無視して、先を急いだ。

「ただ今より、この権利のルールをご説明いたします」

「あのー」

「何ですかっ!? また私を惑わす気なのでございますかっ!?」

 眼鏡のつるを持ち上げ、キッとした顔付きで言う渡邉。

「またってなんだよ、またって。そうじゃなくて、うちに上がらない? なんか立ち話疲れちゃってさ。暑いし」

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