終章・2



 緑の葉が、そよそよと風に揺れている。

 辺り一帯に民家は無く、あるのは小さなこの一軒家のみ。

 所々が老朽化してなお居住できるしっかりした骨組みを「彼」がどうやって築いたのか考えると少しだけぞっとしたが、そこはもう気にしないことに決め込んだ。


 ──シェエラザードとその父、エスタシオンが数年間暮らしていた山小屋は、自らの軌跡すべてを葬った彼らしくない「遺構」で。

 その理由を知る唯一の女性に奨められるまま、少し前に、シェーナとアズロ、そしてレストの三人はここに移り住んだ。


 それまで各地を転々としながら、皆に発生した「新たな能力へのとまどい」を和らがせていった三人。


 シェーナはアデュラリアの持つ古の力をそのままに、万物と融和し能力を発揮できる術を携え、アズロはイシティリオの持つ発明能力……複数のものを組み合わせることにより発揮することができる、誕生の能力を宿している。

 レストはそれまでの能力を抱きつつ、新たな能力を──木々や花、農作物の成長を助ける優しい能力を、自ずと身に付けていた。


 セレス世界全ての民が、こうした何らかの「特能」を身をもって思い出し、今ではそれぞれが独自の暮らしを営むに至っていた。国家という枠がありつつも、そこに縛られることのない個々の能力は、かつてとは真逆に、協和音を伴いながら、国を安定へと導く標となっていった。




「だから、お酒はちょっとしか入れてないってば!」


 ぷくっと頬をふくらますシェーナに、アズロはやれやれと溜め息をついた。


「シュナ……君は、酒豪の自覚あるかい? いつか僕とワインの飲み比べをした時、君が多少のお酒じゃ眠らないのは判った。ただ、かなりつよいお酒を数瓶空けても眠らないことも、判った。……けど、シュナ、シュナさん……あのね、せっかく料理すごく上手いんだから、最後の最後で台無しにしなくても──」


「だいなし……?」


 にこにこと笑うシェーナの頭に二本の角が生えているのが見えた気がして、アズロは玄関の方角に後ずさる。


「す……すみません。ハイ。料理音痴の僕が言えるセリフじゃなかったですごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!!」


「──解ればよろしい」


 うむ、と頷いたシェーナを見て、アズロは自らの肝臓が今後弱ってゆくであろう未来を痛感していた。

 毒より何より、シェーナの愛のこもった手料理のほうが破壊的かもしれないと、最近思い始めている。

 かといって、一向に上達せず(主に極度の緊張による)自らの黒焦げの料理も食するものの寿命を縮めるだろう。

 つまり、どっちもどっちで。


「──あ。父さん、シュナさん、皆さんみえたようですよ」


 柱の陰から掃除用具片手にレストが顔を出し、シェーナはくすくすと笑った。


「レスト、いつになったら母さんって呼んでくれるのかな?」


「あ! つい……すみませんっ、えっと、か、母さん……」


 顔を赤らめつつ言い直したレストは、先の戦よりだいぶ大人になった。

 シェーナとアズロの密かな結婚宣言(本人たちと他数名しか知らない)以来、アズロの養子のレストにとって、シェーナは養母となったのだが……年がそんなに離れてはいないせいか、ついつい名で呼んでしまう。


 年といえば、アズロの実年齢をジェイから聞いた時には驚いたものの、現在順調に老化?しているアズロは青年そのもので。

 童顔が作用してか「中身がおじいちゃんな青年」に留まってしまっている。


「そうだ、父さん。お酒は昨晩、香料をお酒風味に似せた水に取り替えておきました」


 耳打ちしたレストに、アズロは何度も胸の中で繰り返した。


(本当に……本当に出来た子だよ……!)


 開いたドアに向かって涙ぐむアズロを見て、シェーナは少しだけ微笑む。


「感傷? 最近涙もろくなったよね」


「あ……ああ、うん──そうだね」


 いい感じに誤魔化せたことに安堵しつつ、玄関に並んだ皆を迎え入れる。


 一人は、少し遅れるようだった。




「久しぶり、元気だった?」


 満面の笑みのアズロを、年老いたジェイは、年を感じさせぬ腕力で、骨が砕けそうなほど強く抱き締めて。ギリギリと軋む身体に悲鳴を上げるアズロを横目に、適度な距離を保ったまま来訪したルーチェとイシオスがシェーナを呼び止め、事の進展についてこっそり尋ねた。


「どう?」


「全然です。そーいう気配は全くナシ。レストも気付いて気を遣ってくれてるのに、当の本人は興味がないんだか知らないんだか……もー、私から押し倒しちゃおうかと」


 げんなりした様子に、二人は同時に吹き出してしまう。

 なんというか、シェーナとアズロは相変わらずのようだ。


 ようやくジェイの熱い抱擁から解放されたアズロが、きょとんとしてこちらを眺めてくる。


「何かありました?」


 言ったアズロに、シェーナ含む三人からの哀しげな眼差しが向けられたのは、言うまでもない。




「皆! 遅くなってすまない! ヴァルドのほうは大分落ち着いたぞ」


 小走りで馳せ参じたエナは、今日ここに来る予定の最後の一人。

 ドアにもたれ掛かり息を整えつつ、長く伸びた癖のある金の髪を掻き分けた。


「エナさん、髪、伸びましたね。そういえばあの時、私たちの中で髪色が変わらなかったのは、狭間の世界のルーチェさん以外には、エナさんだけでしたっけ」


「ああ。私は元々この色として生を受ける予定だったみたいだな。……感謝、しているよ。──あいつと、同じ色のままだ」


 優しい苦笑いに、皆がそれぞれ、表情を変える。

 それに気付いたエナはゆっくりと、顔を横に振った。


「皆は、間違っていない。そして、私もそうだろう。それに──あいつ……リゲルも、リゲルの道を生きたのさ。正直……私はまだ、分からないよ。何が正しく、何が誤りなのか。いつだって、判明するのは、後になってからだ」


 エナの言葉に、ルーチェはそっと首肯した。

 続いて、シェーナ、アズロ、ジェイ、イシオス、レストの順に。

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