7
***
「──ふう」
ようやく機体が静まり、カシャン、と小さな音を立てて、器が割れた。
「やっと……まともに目が開けられるわね」
「うん……あれ?」
脱力感に襲われながら、なんとか立ったままでいたシェーナとアズロは、雲が切れ、見え始めた空の色にまばたきをする。
「ねえ──空は、あんなに青かったかな?」
「ほんとだ! 海みたいね……」
「そうだな、不思議な色だ」
エナは、眠気の限界で床に倒れてしまったイシオスを支えながら、首肯した。
「──それが、本当のこの世界の空の色だからね」
凛とした声が響いて、三人は入り口を振り返る。
無事で何より、と笑ったルーチェに、それぞれが笑みを返した。
「シェーナ、アズロ、エナ。身体の調子は?」
問いの答えに、三人はもう、気付いている。
空の民、地の民は、セレスを護るための仕組み。
つまり、今セレスが元に戻りつつあるということは──
「今は、まだ大丈夫みたいです。身体は少し、ふわふわしますが」
「ああ……私もだ」
「私は……逆に、重いような……」
「──そうだね、アズロとエナは守護の任から解き放たれようとしているし、シェーナは薄々感じてただろうけど、アデュラリアの化身の芽が長い年月を経て人の形になったものだ。だから二人の身体は空に溶け始めているし、シェーナの身体は大地に眠ろうとしているんだ」
淡々と語ったルーチェに、三人は、静かに微笑んだ。
「地上は、大丈夫ですか?」
問うたアズロの瞳は、凪に似た穏やかさを持っている。
「そうね……セレスの眠りが覚めたから、皆が皆、もとの容姿に戻っているし、能力も……皆が異能力と言っていいわね。落ち着くまでは大変でしょうけど、なんとかすることはできるわ」
ルーチェはため息をつきながら、空を見上げた。
嫌いではない──まっすぐな、青だ。
「イシオスさん、どうしよう」
普段の調子に戻ったのか、軽い口調でシェーナが呟き、ルーチェはくすりと微笑む。
「大丈夫さ、私が下に運んでおく。この男は、生命力が半端ない。放っておいても生きてるだろうけど」
「──ルーチェ殿、リゲルは、どうなる?」
「彼は既に眠っているけど、あなたたちと同様、跡形もなくなるわね。……大丈夫、かしら?」
遠慮がちに三人を眺めたルーチェを、三人の微笑みが包む。
ルーチェは、周りの景色に融和してゆく三人を、ただ見守って──
螺旋を描く自らの思考に、終止符を打った。
「──ごめん! 無理よ!」
声とともに素早く、幾何学的な模様が宙に描かれる。
陣は、三つ。
それぞれ形の異なる術式を操れるようになったのは、いつからだろう?
武術を要とする名門に生まれたルーチェは、武術は並そのもので、魔力に秀でてしまっていた。
どれだけ努力しても一族に敵わない……拭えない親族の嘲笑は、後天的に身に付けた虚勢で弾いてきた。
蔑みの眼差しに冷ややかに笑んでいたら、いつしか堂々たる跡継ぎの器とまで呼ばれ、興味さえない、磨きたくもない武術に明け暮れる日々──。
だから、エスタシオンで魔術科を専攻したのだ。
それまで抑えてきたものを、解き放つように。
……ある日、学府で会った「オールマイティーだけどオールマイティーしかできないんだよね」と語った紫の髪の人物は、にやりと笑う。
「だから僕は、つい禁術書を読み漁ってしまうんだ」と──書庫侵入を見逃せと笑った。
その人物は、総合学府エスタシオンにおいて、常に首席だった。
武術に減点のあるルーチェは、常に次席。
けれど、羨望を浴びるその人物は、なぜだかルーチェになついてきた。
彼女は言ったんだ。
「好きなものを自らの意志で選ぶ……勇気あるルーチェと並んで歩けることを、僕は誇りに思ってる」と。
彼女は、ルーチェが魔力を上げるたび、瞳をきらきらと輝かせ喜ぶ。
「すごいね、僕はどうすればルーチェみたいに速く詠唱できるかな?」
ただただ純粋に、聞いてきた。
そこに羨望はなく、あるのは単なる探求心だったのだろう。
ルーチェを真似て発動を試みては失敗する彼女──首席らしからぬエイシアに、いつからか、ルーチェは自らの術を伝え始めた。
(私は──だから、今この術が使えるのよ)
もう、セレスにも狭間の世界にもいないエイシアを思いながら、シェーナ、アズロ、エナ三人それぞれに向けて、同時に術式を展開してゆく。
その速さは、言葉が言葉として聞き取れぬほど。
動作は、捉えることができない。
詠唱が終わり、ルーチェは不敵に笑んだ。
「──私は、まだまだ腕を磨くつもりよ」
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