***




「──ふう」


 ようやく機体が静まり、カシャン、と小さな音を立てて、器が割れた。


「やっと……まともに目が開けられるわね」


「うん……あれ?」


 脱力感に襲われながら、なんとか立ったままでいたシェーナとアズロは、雲が切れ、見え始めた空の色にまばたきをする。


「ねえ──空は、あんなに青かったかな?」

「ほんとだ! 海みたいね……」

「そうだな、不思議な色だ」


 エナは、眠気の限界で床に倒れてしまったイシオスを支えながら、首肯した。


「──それが、本当のこの世界の空の色だからね」


 凛とした声が響いて、三人は入り口を振り返る。

 無事で何より、と笑ったルーチェに、それぞれが笑みを返した。


「シェーナ、アズロ、エナ。身体の調子は?」


 問いの答えに、三人はもう、気付いている。


 空の民、地の民は、セレスを護るための仕組み。

 つまり、今セレスが元に戻りつつあるということは──


「今は、まだ大丈夫みたいです。身体は少し、ふわふわしますが」

「ああ……私もだ」

「私は……逆に、重いような……」


「──そうだね、アズロとエナは守護の任から解き放たれようとしているし、シェーナは薄々感じてただろうけど、アデュラリアの化身の芽が長い年月を経て人の形になったものだ。だから二人の身体は空に溶け始めているし、シェーナの身体は大地に眠ろうとしているんだ」


 淡々と語ったルーチェに、三人は、静かに微笑んだ。


「地上は、大丈夫ですか?」


 問うたアズロの瞳は、凪に似た穏やかさを持っている。


「そうね……セレスの眠りが覚めたから、皆が皆、もとの容姿に戻っているし、能力も……皆が異能力と言っていいわね。落ち着くまでは大変でしょうけど、なんとかすることはできるわ」


 ルーチェはため息をつきながら、空を見上げた。

 嫌いではない──まっすぐな、青だ。


「イシオスさん、どうしよう」


 普段の調子に戻ったのか、軽い口調でシェーナが呟き、ルーチェはくすりと微笑む。


「大丈夫さ、私が下に運んでおく。この男は、生命力が半端ない。放っておいても生きてるだろうけど」


「──ルーチェ殿、リゲルは、どうなる?」


「彼は既に眠っているけど、あなたたちと同様、跡形もなくなるわね。……大丈夫、かしら?」


 遠慮がちに三人を眺めたルーチェを、三人の微笑みが包む。

 ルーチェは、周りの景色に融和してゆく三人を、ただ見守って──


 螺旋を描く自らの思考に、終止符を打った。




「──ごめん! 無理よ!」


 声とともに素早く、幾何学的な模様が宙に描かれる。


 陣は、三つ。




 それぞれ形の異なる術式を操れるようになったのは、いつからだろう?


 武術を要とする名門に生まれたルーチェは、武術は並そのもので、魔力に秀でてしまっていた。

 どれだけ努力しても一族に敵わない……拭えない親族の嘲笑は、後天的に身に付けた虚勢で弾いてきた。

 蔑みの眼差しに冷ややかに笑んでいたら、いつしか堂々たる跡継ぎの器とまで呼ばれ、興味さえない、磨きたくもない武術に明け暮れる日々──。


 だから、エスタシオンで魔術科を専攻したのだ。

 それまで抑えてきたものを、解き放つように。




 ……ある日、学府で会った「オールマイティーだけどオールマイティーしかできないんだよね」と語った紫の髪の人物は、にやりと笑う。

「だから僕は、つい禁術書を読み漁ってしまうんだ」と──書庫侵入を見逃せと笑った。


 その人物は、総合学府エスタシオンにおいて、常に首席だった。

 武術に減点のあるルーチェは、常に次席。

 けれど、羨望を浴びるその人物は、なぜだかルーチェになついてきた。


 彼女は言ったんだ。

 「好きなものを自らの意志で選ぶ……勇気あるルーチェと並んで歩けることを、僕は誇りに思ってる」と。


 彼女は、ルーチェが魔力を上げるたび、瞳をきらきらと輝かせ喜ぶ。


「すごいね、僕はどうすればルーチェみたいに速く詠唱できるかな?」


 ただただ純粋に、聞いてきた。

 そこに羨望はなく、あるのは単なる探求心だったのだろう。

 ルーチェを真似て発動を試みては失敗する彼女──首席らしからぬエイシアに、いつからか、ルーチェは自らの術を伝え始めた。




(私は──だから、今この術が使えるのよ)




 もう、セレスにも狭間の世界にもいないエイシアを思いながら、シェーナ、アズロ、エナ三人それぞれに向けて、同時に術式を展開してゆく。




 その速さは、言葉が言葉として聞き取れぬほど。


 動作は、捉えることができない。




 詠唱が終わり、ルーチェは不敵に笑んだ。




「──私は、まだまだ腕を磨くつもりよ」

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