***





 ──白い、白い、雪が降る。


 涙のようなそれは、セレスと名付けられた大地に、はらはらと舞い降りていた。


 うとうとと、一人、また一人、眠りにつく。

 安らかな呼吸に、夢は訪れる。

 一人にひとひらずつ、花びらのように溶けてゆく――。


(アディ、首都の機工技師きこうぎし工房で修行できることになったんだ! 中枢研究室にはまだ入れないけど、軍部配属なら農耕の器機ききの部門に空きがあった。このユーディアル集落に役立つナチュラルな機械、やっと研究できそうだよ!)


 言の葉は、記憶とともに、セレス各地に降り始めた。


(──あなた機械としか喋れないでしょ? 一人にならない? いじめられない?)


(ひどいなぁ、アディ。僕はもう、弱虫じゃないよっ!)


(ふーん? じゃあ壮行会のご飯に、アリュカの実を混ぜよーかなぁ)


(や、やめて! それだけは……お、お願い! え、えっと、苦手じゃないけど、そのっ)


(ふふっ、バカね。入れないわよ、祝い事に欠かせない実だからって入れる予定だったみたいだけど、リオのだけ抜いておくわ)


(アディ! あ……ありがと! たすかったぁぁぁー)


(あははっ、そのしょんぼり顔が見られてよかった! リオはそうでないとね)


(あでぃー、ひどいー)


 きらきら、きらきら。

 はしゃぐ少年と少女の表情は、幼い夢のはじまり。


 いつしか笑顔は、砂時計の砂がこぼれるように、ゆっくりと失われていく……


 空飛ぶ力導器機が開発されて間もなく、穏やかだった国際情勢は変化を見せた。

 暗雲は、人々の不安を餌食に世界をじわり、じわりと覆い始めて……


 少国は大国の傘下に。

 広がる戦禍は、世界の真ん中に位置する太古の集落、ユーディアルの中央に流れる小川を境に、西軍せいぐん東軍とうぐんに分断された。


 西軍は、力導器機のさらなる発展を目指す新興国による指揮で技師たちをかき集めて軍のトップに配属し、世界の未来を謳い東に進軍。

 東軍は、古より機械を極力使わない、自然との共存生活を送ってきたユーディアルの民を人質にとり旗に掲げ、軍事力の抑止と自然保護を謳いながら、実際にはその軍事力を強めていき、西へ進軍した。


(……アディ、僕の開発した力導機器……壊すところを見つかった。遅かれ早かれ、また作らされるだろう。……ユーディアル補佐のナギノ様と、叔父上、西側の民の半数を人質にとられた…。僕は…西軍の前衛を……近く、指揮する)


(リオ……。同じなの……。エンジュ族長や……お祖父様も、みんな。東側の民たちは、軍に拐われたわ。古の力を導く巫女を継承した私は、東軍の……旗印になるの)


(アディ)

(リオ……)


(……今なら、逃げられる)


(そうね。でも、そうしないから、リオは私に会いに来てくれたんでしょう……?)


(……逃げたいよ、とても。これから起こることは、見たくない)


(……うん……そうだね。私は、最後まで、力は使わないわ。守る、以外には)


(……僕もだ。……やり方は、きっと違うけど)


(リオ)


(何?)


(またね、また──この森で)


(──うん、絶対に)




 はらはら、はらはら。

 雪の色は、青。


 青年の想いは、海を、空を願う。




 ひらひら、ひらひら。

 雪の色は、藍。


 女性の想いは、森を、大地を願い。




(進軍せよ! 南北に器機を展開、火炎能力者は前へ! 導線着火、照準は一号機にならえ! ──我に続け、伝導砲でんどうほう起動準備。三、二、軌道は正常。一、解放──)


(西に現るる者共ものどもは、大地をめっせんとするゆがみなり。いにしえ継ぎしユーディアル、巫女が七代ななだいアデュラリア……天への舞踏、とくと見よ!  飛び行け──氷の牙たちよ!!)




 ユーディアルの最前線に並んだ機体に注がれ満たされた火の能力は空気を伝導し、中央に配備された大型のうつわへと注がれる。

 場の動揺、恐怖、不安、悲鳴を喰らいながら、思念を操る大型力導器機は唸った。

 開発者にして指揮官、イシティリオ・レグランダイトの号令により、目の前のユーディアルの東側陣営は業火に──




 ──包まれは、しなかった。




(な! まさかこれは……)

(指揮官!! 貴方はまさか!)




 代わりに出現したのは、東西を分断する、天高い塔のような、強固な壁──。

 先の見えないその壁は、世界の果てにも似た、綺麗な空の色をしていた。




(逆噴射の記述!? 解除は、解除はできないのか!? くそっ、こいつ──!)




 既に事切れて機体の横に倒れ、動かないリオの身体には、いくつもの刃が突き立てられる。

 処刑のごときその刃は、亡骸を剣の山に変えていった。


 巨大な機体に力を注いだ各器機は、ぴくりとも動かない。

 否、主となる機体からの信号による、内部破壊コードによって、全てが、壊されていたのだ。


 赤よりも、剣の鋭利な色に覆われた死体。

 それだけが壁の前に置き去りにされ、動かない器機を手放した兵たちは拠点へと退避しようとして──




 リン、リリン。




 リリ、リン、リリン──


 響いた鈴の音を耳にし、一人、また一人、地に倒れていく。




 ──東側陣営の氷の牙は、放たれていた。


 しかし、放たれた牙たちが襲ったのは、東側陣営の兵器庫。

 そして、兵士たちが手にした「機械」の武器の一つ一つだった。


 砕かれ飛び散った破片に愕然とした軍部の将は、巫女アデュラリアの心臓を背中から何度も貫いたが、彼女は死ななかった。


 鮮やかな赤い血を滴らせたまま、皆に恐れ避けられながら、まっすぐに壁の付近の──かつてのユーディアルの祈りの祭壇だった場所にたどり着いたアデュラリアは、深く頭を垂れ、世界そのものへと、渾身の祷りを捧げる。




(あなたの声が聴こえない。リオ、逝ったのね)




 しゃら、しゃら。


 足にくくりつけた鳴子が、軽く音を立てた。




(あと一回刺されたら、死んでいたわ。ユーディアルの巫女は、代替わりのぶんだけ生きる……あなたは、知っていたかしら。ユーディアルの巫女を継ぐことは、命を七度断たれぬ限り、皆を見送り続けねばならないこと……。……ねえ、私は争いが大嫌いだったけど……ひとつだけ感謝するとしたら、それは──)




 リン、リリン。


 最期のいのりは、巫女の秘技。


 ひとつになった命のときだけ、捧げることができる、願いの秘技。




(私は──)




 しゃら、しゃら……




 ──シャラン。




 一度だけ、前に大きく降られた鈴の杖。




(世界よ、皆から能力の記憶と力を、取り去って)




 ──白い、白い、願い。




 リオが集落を出てから伸ばし続けた長い薄紫の髪が、ふわりと大地に沈んでいった。




 ゆっくりと、ゆっくりと、空の色が変わる。


 鮮やかな空は、白を含み、灰に悲しみを隠した優しい蒼に塗り替えられた。


 ドーム状に星を覆う霧のようなその蒼は、ごく一部の者だけに歴史を委ね、雲を形作った後、大地を雪色に染め上げる。


 眠りにつくように、数多の命が昇っていった。




(ごめんなさい、古の力は、世界の力……。みんなみんな、奪ってごめんね──)




 一部の人間だけが息をしている大地に、小さな芽が顔を出す。




(いつか──)




 以来は雪を知らぬ大地に、いつしか能力を持たぬ人々の世界が構築されゆき、芽もまた、少しずつ成長していった。




 いつか、時が来た時に、咲くために──

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