わたしの大切な人

〜5.わたしの大切な人〜



「リゲル様、あちらに動きがあったようですわ」


 薄闇が覆うヴァルド首都アフィリメノス。

 市街地の地下に広がる広大な異能者管理施設は、足音ひとつ響いていなかった。


 皆が眠っているわけではない。

 ここに居る人間は現在、少女と、目の前の青年二人だけだったからだ。


「誰からの情報だ?」


「カナリー・シュネーの隊です」


「セレネの辺りか」


「はい、勘づかれましたわ。……もっとも、こちらの準備もそろそろですわね」


「ああ、問題ない」


 青年……リゲルは、無造作に背に回していた長い金の髪をきつく束ねながら、管理施設と王城地下を繋ぐ細い通路へと歩みを早める。

 そして、途中でふと、振り返った。


「ルーアン」


「何でしょう?」


 ルーアンと呼ばれた少女は、長いプラチナブロンドの髪を隙間風に遊ばせている。

 ふわりふわりと漂うその煌めきは、これからこの地で起きることとはかけ離れた、優しい色彩で。


「後悔しているのではないか? あれは……君の親友だろう?」


 じっと瞳を見つめられ、ルーアンはゆっくりと目を伏せる。

 司令官にあるまじき、リゲルの気遣わしげな瞳が、苦しかった。


「シェーナちゃん……の、ことですよね。大丈夫、もし彼女と対面することになっても、その時、わたしはわたしではいないでしょうから」


「……ルーアン」


「構いませんわ。これからセレス王国軍に薙ぎ倒されて死にゆくヴァルドの異能者たちの断末魔……悲痛な思念。それをこの身に全て宿し受け入れ、器の機能を最大に引き出してリゲル様の操る一兵器と化すこと……それこそが、わたしの願いなのですから」


「だが、君は本当は……」


 リゲルの言わんとすることを察し、ルーアンは口だけで笑みを作る。


「確かに、わたしの名はアンジュ・ユアン・アーリア。特殊能力が発覚してから秘密裏にヴァルドに譲渡された、アーリア第一王女……ではあります。けれど、そんなことはわたしにとって、とるに足らない事実ですわ。現アーリア王女は妹のシンシア。アーリア王家は王女は一人と明言しています。アーリア王家にとっていわば不穏分子のわたしは、早々に消え去るのが祖国のためでもあるでしょう」


「君の言いたいことは理解しているつもりだ。私もヴァルド軍師としては、そう思う。しかし、君自身の意思はどうなる? 私は、私の見据えた未来のために国を動かしている。……だがルーアン、君は、君ののためにそれを決めたのか?」


 酷なことを言っている自覚はあった。

 リゲルにとって、ルーアンはなくてはならないヴァルド戦力の要塞だ。

 その彼女に、今の今になって問いただすことではないと、解ってはいた。

 けれどほんの少しだけ、まだ残っていたリゲル自身の迷いが、ここで止めてくれと言わんばかりに、ルーアンを問い詰める。


 ルーアンは、何かを察知したのか、数度瞬きをしてから苦し気に……

 彼女にしては珍しく素の表情で、柔らかく微笑んだ。


「リゲル様、現在のわたしの父……養父ようふであるお義父様が、言ってくれたのです。この戦に貢献したら、ほめてくれると。正式に子供として、この施設ではなくお義父様の邸宅に迎えてくださると」


「それは……」


「ええ、その通りですわ。この戦が終わった時、わたしは生きておりません。器は、じきに壊れてしまいますもの」


 揺れる藍色の瞳は宙を映しているのか、リゲルを映しているのか定かではない。

 ルーアンの微笑みは、次第に温度をなくしていった。


「それでも、今のわたしにとって、お義父様が唯一なのです。お義父様が認めてくださるなら、わたしはどうなっても構いませんわ。わたしも、周りも、全て……どうなっても構わないの。でも──」


 虚ろな表情と相反するように、ルーアンの両目からは、透明な雫が滴って止まらない。

 リゲルは、ルーアンに目隠しをするような仕草でルーアンの瞳の辺りに手を翳すと、穏やかに言葉を紡いだ。


「君の指環は、強力と聞いている」


「リゲル様……知って……?」


「悪い、監視させてもらっていた」


「ならば、何故です?」


「さあな、解らん。私も……迷っていたのかも知れないな」


 深い、ため息がひとつ。

 小さな、祈りがひとつ。


 彼らは、知っていた。


 動き出した時間、流れ。

 こぼれ落ちた一滴は波紋となって水を伝い、外へ外へと向かう。


 それらは決して、止められないことを。

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