縁《えにし》

〜2・えにし



「アズロ師団長、戻られたのですね!」


「イシオス……うん、ただいま」


 薄暗くなってきたためだろうか、日陰になった金の髪とともに、普段は明るい部下の表情がどこか曇っている気がして、アズロはイシオスの青い瞳をじっと見据えた。


「アズロ……様?」


「いや、何でもないよ。用があったらいつでも言って」


 にっこり微笑んだアズロに、イシオスは小さく唾を飲み込んでから、口を開く。


「実は……妻が、急な病で逝きまして」


「アトリスさんが?」


「はい」


「……今夜、お酒でも飲まない?」


 イシオスは寂しげに微笑むと、穏やかな声音で返答した。


「いえ、お疲れでしょう。今夜は早くお休み下さい。アズロ様……お引き留めしてすみません」


 踵を返したイシオスを眺めながら、アズロはゆっくりと瞳を閉じる。

 再び開いた眼にイシオスを映すと、軽くため息をついた。




 師団の様子をざっと観察し、宿舎に戻ったアズロは、ドアを施錠して、夜風が程よく入る程度に窓を開けた。

 一旦服を脱いで、服の裏地を表にして、各所に忍ばせてある小ぶりのナイフや飛び道具を一つ一つ丁寧に磨ぐと、再び元に戻してから服を羽織り、帯を結ぶ。

 帯に仕込んだ毒針に外側からそっと触れ、指の感覚で残数を確認した。

 予備の衣服を軽く汚して無造作に椅子と机に放ってから、服を着たままベッドに潜り込んで──眼は開いたまま、闇に慣らす。


 背にした窓に注意力を集中させ、同時にドアの外の足音に耳を澄ますこと、数刻。


 ──音もなく開いた窓から降り立った人影は、所持していた刃を迷いなくベッドに突き立てた。




 ──キィン。


 予測していたはずの鈍い音ではない刃と刃の反響に、人影は素早く後ろへ飛び退く。


「──用があったら言ってと言ったけど、こういう用事は遠慮してほしいな」


 手近な壁を背に、アズロは微笑んで。


「俺も嫌々なんですよ。貴方に挑むなんて、死んだも同然ですからね」


 闇色の装束に身を包んだ青い瞳の青年は、窓を背に盛大なため息をついた。


「……イシオス改め、フリューギルと申します。ヴァルド軍総司令官リゲルの命により、貴方を殺めに参りました」


「総司令さんは私を名指しで?」


「いえ、セレス軍の有能な戦力を排除せよと。俺には貴方がそう見えたので」


「……そう。手が震えてるみたいだけど、大丈夫かい?」


 短剣をイシオスに向けたまま、アズロは苦笑いする。

 対するイシオスも、剣をアズロに向けたまま、片手を額に当てた。


「大丈夫なわけないじゃないですか、怖くてたまらないですよ。だから、早く終わらせましょう」


 ある程度広さのある部屋の左右の壁と壁に対峙し直した二人は、同時に床を蹴った。




 ──刹那。




 弾かれた長剣は床に落ち、イシオスの首筋に、アズロの短剣が突き付けられる。


「何か言っておきたいことはある? えーと、最近忘れっぽいから後でメモしておかないとね」


 殺伐とした空気を放ちながらもどこか緊張感の無い声に、イシオスは柔らかく微笑んだ。


「ふっ、貴方らしい。そうですね……俺はヴァルドの刺客ではありますが、セレスに渡ってから貴方の部隊に配属されて……貴方の下で働けた日々は穏やかで、幸せでしたよ。貴方を、尊敬していました。これだけは──演技ではありません」


 青い瞳は澄んでいて、夕方の陰はもう、見当たらない。


 アズロはイシオスの首筋に当てた短剣を一度離すと、もう一度持ち直して、イシオスの首目掛けて、風を切る音とともに素早く──




 ──手刀を打ち込んだ。




 短剣ではない感覚に驚きながらも、イシオスは尋常でない痛みに床に崩れ落ちる。


「……っ!」


「首が折れなくて、よかったねえ。……とりあえず、今ので君は死んだことにしよう。私の目の前に居る君は、ヴァルドのフリューギルではなく、セレス特務部隊長イシオスだ」


「──え?」


「二度目は容赦しない、今回だけだよ。さて……君は、これからどうしたい?」


 アズロは肩の力を抜いて、ふわりと微笑んだ。


「俺は……」


 呆気にとられながら、イシオスはアズロをただ眺める。

 アズロの微笑みに全くと言っていいほど怒気が無いことが、不思議に思えた。


「……貴方は、どうして笑っていられるんですか?」


 問えば、のんびりした口調で返される。


「何度か、こういうことがあったからね。慣れているし──仕方ないとも思ってる」


「仕方ない?」


「こういう立場に居て、いろんな土地を制していたら、恨みを買わないほうが可笑しい。たくさんの人に憎まれることを、私はしてきたから……もし仮に君に殺されたとしても、それはそれで因果かなと思ったり」


 ふわあ、と小さくあくびをしたアズロの表情は自然で、イシオスは思わず苦笑した。


「だけど、貴方は殺されてくれなかったですよね」


「そだね。私は今、死ぬわけにはいかないんだ。そして君も、死なせたくない」


「──は?」


 わけがわからない、という眼差しを向けたイシオスに、アズロは柔らかく微笑む。


「……ねえ、イシオス。私には、妹がいたんだ。ちょっと凶暴だけれど……争いを好まない、優しい子だった。その子は昔、ある一部隊に殺されてしまってね……私は、妹を殺したその部隊全員に激しい怒りと……憎悪を向けた。……気がついたら、辺りの草むらは一面真っ赤に染まっていて……やけに、静かだったよ。──ある人が後方からそれを見ていてね、私は、部隊が絶命してからも死体に向けて異能を振るい続けていたらしい。……私がしたことは、復讐には程遠い、ただの殺戮だ。


……私は、死んだほうがきっと楽なんだと思う。こびりついて離れないあの記憶から、逃れられるかもしれないしね。


……でも。だからこそ……私は、こうして生きている」







 淡く深い瞳の色は、外見のあどけなさとアンバランスで。

 イシオスは一瞬、息を飲んだ。


 この人の瞳は、どこを眺めているのだろう。


「アズロ様……?」


 揺らいだ声音を察したのか、アズロはふわりと微笑む。


「……首、痛むよね。ちょっとそこに座ってくれる? 薬を塗ってから、湿布代わりにこの葉を……薬効が……えーと」


 備え付けの引き出しの中をごそごそと漁るアズロの背に向かって、イシオスはそっと口を開いた。


「──リゲル様は、俺の双子の兄のかたきなんです」


「……そう」


「俺の兄は、危険能力者であることが発覚してから、ヴァルドの異能者管理施設に収容されて……その抹殺処分を下したのがリゲル様でした。……俺はリゲル様に復讐しようと忍び込み、あっけなく掴まって処分されるところを、リゲル様の暗部への引き抜きによってまぬがれました」


「……」


「……リゲル様と、貴方は少し似ている。お二人とも、甘いんですよね。呆れるくらいに」


「……そう、かな?」


 首を捻ったアズロを見据えて、イシオスは力強く首肯する。


「ええ、馬鹿です」


 それから、何かを考えるように、長い溜め息を吐いた。

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