イグニスの夢

〜2.イグニスの夢〜



 ──

 ──アズロは、背負ったアラマンダがずり落ちないよう、何度も背負い直していた。


 ラナンキュラスを離れてから早三年。

 各地を放浪しながらラナンキュラスの務めを果たしていたアズロとアラマンダだったが、ここに来て、窮地に陥る。


 ことの発端は、イグニスの噂だった。

 異能者の、おびただしい数の死──

 事態を確かめるために遠周りにイグニスに近付いた二人は、姿を潜ませながら移動していたのだが。


 とある街道くの林で、イグニス王国兵と出会してしまい──

 ラナンキュラスの掟……

 一般能力者には手を出さない──を守ったばかりに、一方的に重傷を負わされてしまう。


 かろうじて逃げ延びた二人だが、隠すことを禁じられた異端な容姿のため街に入ることもままならず、負った怪我を回復する力もまた、残されていなかった。


 アズロは背に感じるアラマンダの温もりを絶やさないために、ある決断をする──。


「ごめんなさい……ラナンキュラスの掟……破ります。この先に見える集落──治癒のため踏み入って、襲われそうになったら…………僕は、力を、使う」


 眼前に見えるのは、簡素に建てられたらしい、集落。

 あと、少しだ──。




「──お前ら《逃げ延びた民》か?」


 集落まであと数歩ほど。

 太い幹を持つ木が二本、門のように構えたその入り口付近で頭上からかかった声に、アズロは素早く反応する。


「人の頭上から弓を構えて威嚇する人間に答える義務はありません。貴方がその矢を放ったが最期、私は貴方を消し炭にするでしょう」


 冷たい、酷く冷たい眼差し。

 アラマンダ以外の人間全てを、敵と見なしたような──。


「……」


 アズロ目掛けて弓を構えていた少年は、アラマンダを背負いながらも敵意を散らすアズロを一瞥すると、長い漆黒の髪を揺らして地へ飛び降り、背負っていた弓矢を全部、それから弓本体をも地面へ放った。


「……悪い、警戒させたな。ちょいと試させてもらったんだ」


「試す?」


「そ。お前らが王国からの刺客じゃないか、ってな」


 最近は負傷者を装ってここ、自治集落セレスに踏み込む輩が後を絶たないからな。

 黒髪の少年は話しながら、空になった両腕を広げてアズロを見据える。


「──大丈夫だ。どういういきさつかは知らねぇが、お前ら、国から追われてるんだろ? 安心していい、ここ、セレスまで辿り着いたんなら、後の心配は要らない」


 申し遅れたな。俺は一応、ここのリーダーっつーのをやってるジェイって者だ。

 少年はそう言うと、アズロの凍てついた眼差しに臆することなく、爽快な笑みを浮かべた。


 セレス。

 それは、未だ認可されていない自治集落の名だった。


 星の名前をもらったんだ、と、ジェイは言う。

 瞳を輝かせて、そう──

 自分達もまた《民》なのだと。


 どこの誰とも知れぬ者を何気なく迎え入れ、風のように笑い合う、誰よりも人間らしい彼ら……セレスの民は、国を追われた存在だった。

 この国イグニスの統治者ディクタトルは、異能者を根絶やしにしようと──日々、異能者を捕らえては、見せしめのように処刑を続けている。

 国を揺るがす悪しき存在として、一人たりとも見逃さない姿勢を貫いて……。


 ジェイたちセレスの民は、イグニスに生まれながらも生きることを認められない民。

 ジェイ自身は異能者ではないが、国に楯突く者もまた異能者と同等の扱いを受ける。


 何故身の危険を知りながら、セレスのリーダーをしているのか。

 問うて返された言葉は、アズロの瞳を見開かせるものだった。


「俺は人だからな。人として当たり前のことをしているだけさ」


 ──人。

 人とは、何なのだろう。


 下界の監視?

力の暴走を抑える?

 それよりも先に、ラナンキュラスにはやるべきことがあるのではないか?


 人に手出しはできない、それでも──。


 人が人として生きる、その権利が踏みにじられている現状をほうっておけと──?


 自治集落セレスで、アラマンダが回復するまでの束の間の休息をとった二人は、その後も自らの意志で集落に残り続けた。


 いつしかジェイの役目──

 国を追われた異能者を招き入れる手助けをするようになり。

 ジェイと、ジェイを慕う人々、アズロとアラマンダの間には、家族のような絆が生まれつつあった。


 なかでも一本気なジェイとそれを窘めるアラマンダの仲は日に日に熟成──人々が揶揄するまでに。

 そんな二人に、アズロがやきもちのような可愛らしい感情を抱くこともあったとかなかったとか。

 とにもかくにも日々は静か過ぎるほど穏やかに過ぎゆき、アズロとアラマンダが集落に辿り着いてから、三年の歳月が経とうとしていた──。




「──なんだって!? ディクタトル側が折れた!!?」


 イグニス王国の統治者にして暴君、ディクタトル・ウォーデン・イグニアスが今までの制圧から手のひらを返したように、異能者自治集落セレスとの和平を唱え始めたとの報告に、セレスの民をはじめ、ジェイは驚きを隠せずにいた。

 王国側は明日にでも交渉団を派遣、国として本格的に異能者の受け入れ、及び異能者自治集落セレスを公認の街と認める旨の通達を送ったのだ。


「……和平に見せかけて、一網打尽にでもする気?」


 腰まで伸びた長い蒼の髪を揺らして怪訝そうに呟いたアズロに、ジェイも渋った表情を浮かべる。


「かもな、あの王ならやりかねん。しかし──」


 これが本当であったなら、どれだけの民が救われるだろう。

 ジェイは痛切を言葉にして。


 ──そう。

 ジェイの本名はジェラルド……。

 ジェラルド・ウォーデン・イグニアス。

 イグニス国の第一王子だった。


 彼はある年、異能と発覚して国を追われた妹ルージュを庇い、共にこの地に逃げ延びた。

 ルージュは残酷にも、王国兵からの負傷により息を引き取ってしまったが、彼女の“全てのもののしあわせ”を願う想いは、しっかりと兄のジェイに受け継がれている。


 けれど、もうひとつの事実──

 ジェイがディクタトルの息子で、幼年にはディクタトルからの愛情を受けていたことが、度々ジェイの決心を揺るがせていた。


 もしも父が本当に本気ならば。その言葉が真実ならば。

 ジェイの胸には、言いようのない想いが去来していた──。




 斯くして、交渉団は予定通り派遣された。

 ジェイやアズロの疑念が薄れそうになるほどに、交渉は真実味があり……

 双方の今までの頑なな姿勢を視野に入れつつも、具体的に、如何にして融和してゆくかが述べられ。

 その一つとして、今まで捕縛させていた異能者の解放が挙げられた。


 政府側は和平調印が叶うならば、その日のうちにも異能者を解放すると──。


 ……長きにわたった内乱での双方の疲弊が、和平という苦肉の策をとるに至らしめたとしか考えられない悲しい有り様。

 けれどそれで救われる者があるならば、早急に和平調印をすべきではないのか?


 ……否。これはあまりにも唐突過ぎる。

 和平交渉にしてもそうだ。こちらに有利すぎはしないか。

 冷静になれ、ジェラルド。

 奴らの狙いは何だ──?


「俺は──」


 俺は、この和平交渉に納得しかねる。

 ジェイが口にしようとした時。


「やった! これで家族が帰ってくる……!」

「やりましたねリーダー! 俺達の悲願が叶ったんですよ!」

「そうだ! 親がいなくなっちまった異能の子らを、ここで育てましょう! きっと喜びます!」


 ……場を取り巻いていた皆から、口々に挙がる、歓喜の唄。


 歓喜、それは一歩間違えば狂気となる……

 ここで俺が和平を断ったなら、内乱の中に内乱が生じ……新たなリーダーが生まれるまで、ここは、地獄に──。


「……俺は、和平交渉を受諾し、調印に応じようと思う」


 ぽつりと、囁くように言ったジェイに、アズロは静かに目を伏せた。





「……どうして」


 調印式前夜、アズロはいまだ灯りの点るジェイの私室を訪ねた。


「どうして、応じたの? ジェイならわかるでしょ。アラマンダは喜んでたけど、物事ってそう簡単に収まらないものだよ?」


「ああ」


「なら──」


「……お前なら、判るだろ、アズロ。数多の人の裏切りを、決裂を見てきたお前なら」


「……」


「俺は、ここを血で染めたくはないんだよ……」


 ジェイは机に乗せた両手を祈るように組んで、額に押し当てる。

 ぎゅっと固く閉じられたその瞳から、仄かに窺えるのは──


(……涙?)


「──アズロ、これから俺が言うことは、真面目に聴くなよ」


「?」


「馬鹿みたいな話だけどな。俺も……信じてみたいみたいなんだ。まだ……まだ、あの国に光はあると。……そして……もし。もし本当だったなら、俺はこの場所を、誰もが平和に暮らせるような土地にして──」


「うん」


「お前とアラマンダの、安息の地にできたら、と思っているんだ」


「──」


 ふ、と瞳を見開き顔を上げたアズロ。

 その表情は、次第に柔らかく崩れていった。


 ジェイは同様に顔を上げると、アズロの手を取って力強く微笑む。


「アズロ、お前にもアラマンダにも、もう苦しい思いはさせやしない。今までずっと、ずっと苦労してきたんだろ? ──お前は必要以上に張り詰め過ぎだ。……何か。何か、とてつもなく辛いことを越えて来たんじゃないか。そう、思わずにはいられなかった。だから……調印式が無事終わったら……この地をお前たちの故郷に──と、思っているんだ」


「ジェイ──」


「……それから」


「それから?」


「……アラマンダに、プロポーズしようと……思ってたりもする」


「──え」


 赤面し、咳払いをするジェイに、アズロは思わず吹き出した。

 一本気で真面目なこの男がこうも可愛いしぐさをするものだろうか。

 アラマンダに密告したら、面白がるに違いない。

 もっとも、アラマンダのほうも赤面するかも知れないが。


「──ふ」


「……何だ」


「ふふ。叶うといいね、ジェイ」


 小さな。


 小さな祈りとともに、アズロは柔らかく微笑んでいた。


 この時が、このささやかな喜びが、永久に続けばいいと──


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