夜半の飛行

〜3.夜半の飛行〜




「うん、よし……もう飛べる」


 アズロはにっこり微笑むと唐突に呟き、シェーナの制止を軽くかわしてシェーナの部屋伝いに一階へと歩み始める。

 廊下にかけてあった貸し出し用の防寒マントを適当に羽織って慣れた手つきで服をうまく隠すと、階段へとさらに一歩。


「ちょ……ちょっと……」

「だいじよーぶだいじょーぶ問題ない、エストイビエンーカインプロブレームーヴィジュヴェトレビアン」

「大有りよ! なんかの暗号かと思いきや結局大丈夫って連呼してるだけだろアホー! あなたまだ安静に…それに、ここがどこだと……!」


 叫びたい気持ちを抑えつつ、小声でストップをかけるシェーナを悪戯っ子のような笑顔で一度振り返ると、アズロは鬘をしっかりと付け直し、長い金髪を揺らしながら一階へと下りて行った。


「シェーナさんはちょっとそこで待っててねー」


 ひらひらと手を振りながら階下へ下りたアズロを、仕方なく階上から見守ると、シェーナは眉間を強く押さえた。


「あの馬鹿……」


 階下の声に、耳を澄ませる。

 いつでも動けるように、策をめぐらせた。


 もう夜も遅い。

 先ほど確認したが、今階下にいるのは宿屋の管理者の女性だけだ。


 これなら、動きもとりやすく──


「……」


 階下から、聞き慣れた声が響いた。

 シェーナは思考を中断すると、会話に注意を向ける。



「こんばんはー」

「あら今晩は。また裏玄関から入ったのね。知り合いとはいえ、礼儀はわきまえなきゃダメよ? 習わなかったの? ……ところで、あなたにプレゼントした青い鳥さんはお元気かしら? ちゃんと世話してあげてる?」

「あはは、ごめんなさい。お腹すいちゃって、残りのご飯がないかなあって。ルーチェさんのご飯美味しいからさー。今日仕事遅くなっちゃってお店も閉まっちゃったし……。あ、鳥さん……フォーゲルは元気だよ。ちょっと前に病気になっちゃってね、酷くなって心配してたんだけど、父さんの知り合いの獣医さまが治してくれたんだ。今はまた元気に飛び回ってるよ」

「……いい加減料理を覚えなさい、ティエン。それから、フォーゲルの世話も忘れずにね。元気になってよかったわ」

「うん、フォーゲルは相棒だからね。でも、料理は……僕が破滅的料理しか作れないこと、ルーチェさん知ってるでしょ?」

「まぁね。でも、回数こなせば食べられるものにはなるんじゃないかしら? ……さて。何食べたいの? 疲れてるみたいだし、今日だけは特別に作ってあげるわよ」

「ううん、いいや。ルーチェさん疲れてるみたいだし。今度のごちそう期待してる。今度来た時に、ルーチェさん特製野菜たっぷりスープが食べたいなっ。……あ、あと、ここにシュウさんよく来るよね? 隣町の仕事が延期になって、これからちょっとの間休暇もらったから僕まだここにいるし、シュウさんのお店に至急で頼んどいた携帯食糧、お店に陳列しちゃってって言っておいてくださいー」

「ええ、わかったわ。ティエンも遠慮をするようになったのね。少しは成長したかしら。シュウにもちゃんと伝えておくわ、たまにしかない休暇なんでしょ? 楽しんでらっしゃい。あなたの家に届いた通知とか手紙は、私が保管しといてあげる」

「ありがとルーチェさん。愛してるよっ」

「はいはい、さっさと行きなさい。あなたみたいなお子様は私の趣味じゃないの」

「あはは、じゃあねー」




 数分ほどにこやかに日常的な会話をした後、アズロはそっと正面玄関に手をかけ、顔を動かさず眼だけで素早く周囲を、宵闇に静まり返った街の状態と警備兵の有無を確認すると、堂々と外へ出ていった。

 ルーチェと呼ばれた宿の女性も、その後姿に軽く手を振る。


 それから一分も経たないうちに、アズロは音もなく、窓からシェーナの部屋へと降り立った。

 会話の内容にとりあえず安堵し、階段のそばから離れて部屋に待機していたシェーナは、予想通りの展開に苦笑する。


「早いお帰りねティエンくん。ここから来ると思って開けておいたわ。通達ついでに外の警備兵の有無もついでに確認してくるあたり、ちゃっかりしているというか何と言うか……。……いったいヴァルド内にどれだけの伏兵がいるのやら」


「……すまないね」


 様々な意味を含んだアズロの言葉に、シェーナはまあいいわ、と軽く笑った。


 話が通じていないからこそできる、迫真の演技もある。

 中継ぎが無いが故に、シェーナもルーチェも、他の客や警備兵に勘付かれる互いのリスクを最小限に抑えた振る舞いができたことになる。


 ルーチェの立場では特効薬が手に入ることはないうえ、この街の中では横流しも難しい。仮に連携できていたとしても、集められる情報が増えるくらいだっただろう。

 騙されたのは癪といえば癪だが、結果としてはこれで良かったのかも知れない。


「負傷を何らかの手段で知らせた相手に回復の旨の報告と、もし特効薬が入手できたら自分はもう必要ないから、保管しておいてくれ……といったところかしらね。それから、これから少しの留守をうまくごまかしてほしい、と」


 シェーナが聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟くと、アズロはくすくすと笑う。


「御名答。ちなみに、ここの野菜スープはとっても美味しいんだ。……さて」


 アズロは、これで僕もシェーナさんのことも後は大丈夫、と呟くと、シェーナへと手を差し伸べる。


「シェーナさん、助けてくれたお礼に、ちょっと旅行しませんか」


 それは、強い眼差しだった。

 穏やかな眼光の中に、炎が燈ったような眼差し。


 シェーナは拍を置かずに、その手を取った。


「安静に……って言っても一人で飛んでいきそうね。ほっとけないから付き合うわ」


 呆れと、ほんの少しの何らかの感情の混じった眼差しが、強い眼差しに応じる。


「どうせ私のことも、言いくるめてあるんでしょ」




 少し後、夜陰に紛れた二つの影がラシアンの上空を駆け、彼方へと消えていった。


 屋根裏部屋に人が居た痕跡はなく、シェーナの使っていた二階の部屋には、客の滞在を現すかのように、読みかけの本が伏せてテーブルに置いてあった。


 栞が、本の脇に置いてある。

 コップには、飲みかけのお茶。


 少しの間部屋を出て階下に下りているかのようなその客が、ヴァルドを出たことを知るものはない。


 ……ただ一人を除いては。




 部屋の窓の鍵は、内側からしっかりとかけられている。


 星の瞬く夜空を見上げて、ルーチェはそっと呟いた。




「気をつけてね……」





 ──辺りは夜半の深い闇。

 眼下に見える街々は、いずれも眠りについていた。


 ラシアンを出てからは、明かりという明かりが見えてこない。

 ぽつりぽつりと灯る微かな燈が、時折視界に流れて消えた。


「今はどのあたりなの?」


 シェーナが問うと、隣から落ち着いた声がかかる。


「ヴァルドを過ぎて、西側からセレスを迂回して北へ向かってる。セレスの上空を飛ぶのはちょっと危険だからね。……今は、そうだね、もうセレスも……セレスの北の国もいくつか通り過ぎたよ」


「……そんなに飛んで大丈夫? 」


 アズロは肯定すると、シェーナの方を向いて微笑んだ。


「これくらいならいつもの飛行距離の十分の一くらいだよ。色々往復したりしてるからね。シェーナさんの知る国で言うと……そうだな、ヴァルドにセレスは知っての通り。あと、アーリア、アクア、ログレアのあたりもよく行くよ。でも、今から行く所はそのどこでもない。ここからは真っ直ぐ北へ北へと飛んで、その後少しだけ東へ進んだ場所に、めったに人が訪れない高い山脈がある。……そこが目的地だね。頂上付近に、シェーナさんの好きそうな風景が広がっているから……それを見せたくて」


「風景?」


「そう。……淡い蒼の花が群生していてね。周りには……草原が広がっている。夜明けぐらいには……きっと着ける。あそこから見る朝焼けは絶景だよ」


 アズロの声音が妙に落ち着いている気がして、シェーナは言いようのない感覚を覚える。

 それを振り切るかのように、明るく答えた。


「それは楽しみだな。ヴァルドからも出たことなかったしね……こんな遠出は初めてだよ。……戻った後が怖いけど」


 アズロはシェーナの態度に微笑むと、前を見据える。


「大丈夫、後のことは何とかなるから。……もし万一、シェーナさんに危険が及ぶようなら、表沙汰にならないような……ありとあらゆる手段で危険払いをさせてもらうよ」


 歌うように言ったアズロに微かに恐怖を覚えつつ、こんな奴を怖れてどうする、と自分自身に言い聞かせつつ、シェーナはなんとか口を開いた。


「……それは……どうも」


 アズロはシェーナの若干震えを伴っているその声に、不思議そうな顔でふと首を傾げると、まぁいいか、と呟いて飛行を続ける。


 その後ぽつりと一言だけ呟くと、あとはただただ飛んでいた。


「……誰かとこんなに飛ぶのは、久しぶりだよ」


 呟きに、シェーナは無言で北を、前方を見つめていた。




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