第2話 『住み易い』街 

良一と京子が住む一帯は土地の大小差が小さく、調和のとれた家々が並ぶとても静かな街並みを描いている。

『Live Ever Green Town』と名づけられたとおり、高低をつけた広い遊歩道やジョギングコースのある公園もあり緑が多いが、駅や主要施設から離れているせいか周囲の交通量はとても少ない。

二十五年前に開発されたこの街は外周をぐるりと飾り煉瓦の塀で取り囲まれ、オフィス街から通勤一時間半といういわゆるベッドタウンである。

『静かな環境と豊かな緑、自家菜園の農地貸し出し』という謳い文句につられて建て売りの家を買ったのはほとんどが早期退職を希望する中年の夫婦であるが、街中でも自作自農を夢見るナチュラル志向の若い夫婦も少なからずいた。

ただし最初の建築計画からか、建てられている家のほとんどは『子供が独立した夫婦が悠々自適に暮らせる家』がコンセプトであるため、その半数以上は平屋の3LDKか、二階建ての2LDKというコンパクトさで建物数は多いものの、三世帯以上の大家族には向いていない。

だから子育て中の子供世帯との同居を諦めきれない親世帯は街内にもう一軒の新居を購入するか、そもそもこの街への抽選販売を見送るしかなかった。


そんな狭小住宅が建ち並ぶわりにこの街が人気である理由のひとつには『安全な街並み』──『Live Ever Green Town』の中を走る自家用車がほぼないことでもあった。

これは販売を手掛けたメーカーの『街の中は安全』という謳い文句を逆手に取り、初期に入居した住人が中心となって作られた『町会役員』が『街内規則』を設け、各家庭に設けられたカースペースに自家用車を置くことを否とするルールを、ほぼ満場一致で決めたためである。


しかしほとんどの家庭が一台ないし二台の自家用車を持っているため、本来であればこのような決まりは現実的とは言えない。

だいたい再開発が進むこの地域でかなり広い区画を占める『Live Ever Green Town』から大型商業施設や繁華街に出るには、街の外周にあるバス停を使って駅まで行くしかないのに、全区画が埋まる前ではまとまった乗車率を見込めないと本数は今だに少なかった。

そうなれば当然のごとく、ほとんどの住人は自家用車を使いたがったが、そこを解決したのが『町会役員』である。

メーカーが開発中に街の西側に作った来訪者駐車場とプレハブで作ったモデルハウスの展示場を『共有地』として購入し、そのまま住民専用の駐車場とした。

むろん購入費は一時的に『町会役員』の面々が立て替えたという形で、現在も各家庭から毎月決まった額が徴収されている。

それを皆が許容しているのは、企業相手に複雑な交渉してくれたのが『町会役員』であり、『街』の外で有料駐車場を探そうと思えばかなり離れてしまうし、たとえ近隣に見つかったとしても専用駐車場よりも月極利用料はほとんど変わらないか、少し高くついた。

だいたい『町会』が徴収している金は駐車場だけでなく、街全体の保全や修繕費でもあったため、そこに妥当性を見出せば反対する者などなかったのである。


だが最初の頃は「いい運動になる」と大半の住民に受け入れられていたその規則も、住民が増えることで反対の声も上がった。

だいたい悪天候が続いたりしても歩行が絶対的に無理ということでもない限り、街への乗り入れはほぼ禁止されている。

たとえ許可されたとしても長時間の駐車があれば町会役員やその下っ端が遠慮もなく怒鳴り込むようになり、ついには「長時間の街内駐車に対する罰金」などという懲罰が加えられることが『街内規則』で決められてからは、たいして有難がられてはいない。

しかし揉めるのを嫌がる住人は多く、ほとんどは『町会役員』のいいなりと言っていい状態で、不便を嫌う者はゆっくりと淘汰されていった。


だが法律的にグレーなその規則のおかげで『Live Ever Green Town』の中では、日中はおろか夜間に乱痴気騒ぎをする者もなく、排気音の代わりに季節の虫やカエルの鳴き声、公園のそばであれば人工的に作ったものではあるが綺麗な小川がせせらぎを運ぶ。

「静かでいいなぁ」

良一のところへ遊びに来た友人は、口を揃えて羨ましそうに言う。

もちろん住民としてはそう言われて悪い気がしないし、素直に喜んだ。

「いいだろう。車は必要な時以外は住宅地にはほとんど入ってこないし、うるさく騒ぐ子供たちもいない。お前も引っ越してくればいいのに」

「おお、そうだなぁ」

しかしそういう友人たちは、誰ひとりとして良一の近くに引っ越しては来ない。

代わりに来るのは、孫と一緒に写った写真入りの年賀状か、どこかのマンションと思しきカタカナの建物名と数字が追加された引っ越しの挨拶ぐらいだ。



若い世代が次々といなくなったのには、交通便だけではない事情がある。

数年前には街の南側にある大きな公園横に幼稚園が建設される話が持ち上がったが、それは『Live Ever Green Town第一町会長』である藤畑ふじはた 大介だいすけが中心となり、街ぐるみでの大々的な反対運動が起こった。

「せっかく静かな環境だったのに、『騒音』は迷惑だ」

と藤畑が先頭となって声高に訴え始めた。

それに次々と論調を合わせる者が出始めると『街に住む者の総意』ということで建設会社とやり合い、美味しそうな時事ネタと嗅ぎ取ったマスコミが押し寄せ「静寂な環境を守る住人と違法建設を推し進める建設会社」という記事が書面を賑わせる事態になって、ついに建設計画は破綻した。

そんな保育施設すら建設できない、しないようにと町会長たちが先頭となって進めた『街内規則』のせいで子育てに向かない環境が決定的となった頃からは、さらに若い世代の家族は相次いで引っ越してしまったのである。


そしてバツが悪そうな顔で一弥が近所に引っ越してくる計画もなくなったことと告げたのは、保育施設建設反対運動が本格的となり、どうやら街の主張が通ろうかという時だった。

それは初孫であるのぞみが産まれてすぐのことだったから、まだ若年層の追い出しが始まる前である。

それなのに、まるで先を見越していたかのように、息子夫婦は『この街には住めない』という決断を下してしまった。

「何だっていいじゃないか。近所に引っ越してくれば、何かあった時に面倒見てやれるぞ?」

良一はそう言ったが、言いにくそうな一弥に代わり、首の座らない赤ん坊を抱いた真希がこう答えた。

「だってお義父さん、ここらへんって保育施設がないじゃないですか?小学校も徒歩四十分以上のところに一校しかないし」

遠慮なく言う真希に良一は押し黙ったが、特に悪い気持ではない。

むしろきちんと答えてくれて、ありがたいぐらいである。

一弥と真希は同じ会社に勤めているが、不景気なご時世にやりたい仕事に就いて産育休も取得させてくれるいい会社である。

「だから、半年後の育休が明けたら、この子を保育施設に預けて、私は復職するんです」

真希と一弥夫婦は結婚する前から、今後家族が増えた時の計画を話し合って決めていたという。

だがこの街には保育園も幼稚園もない。

建設しようとすれば、また同じく反対の声が上がるだろう。

保育園や幼稚園がないのだから、働いて家族を養う若い夫婦は、子供を預ける場所を探すのにさらに範囲を広げなければいけないが、それこそ駅前までほぼ無いのが現状だった。

子供を育てるためには保育施設と働く環境が必要なのに、どちらも生活範囲内にない。

息子夫婦が夫の両親との同居や近所に住むことを断念した理由は良一にとっては理解しづらいものではあったが、いずれは孫だけで泊まりに来ることを楽しみにすればよいと思っていた。

その時はそう思って、無理やり納得したのだ。

しかし、今ではそれもかなわない。

なぜなら──


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Dead Town 行枝ローザ @ikue-roza

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