たまには歩いて帰ろうか

望月 葉琉

『たまには歩いて帰ろうか』

 これはわたしが十にも満たない歳の頃のことである。当時千里山というところに住んでいたわたしは、梅田とは反対側の終点・北千里まで、スイミングスクールに通っていた。水泳を習っていたのはわたしだけだったが、弟は同じ敷地内で似たような時間帯に体操を習っていたため、プールに行く時は決まってわたしと弟、付き添いの母の三人で電車に乗ったものだった。

 スクールの近くには図書館もあり、泳いだ後は決まってそこに、借りていた本を返し、新しい本を借りるために寄ったものだった。

 付き添いの母も、その時のわたしにとってはよくわからない、難しい大人向けの本を借りていた。

 弟は生き物が好きだったため、動物や恐竜、昆虫などの図鑑を借りていたように思う。

 そしてわたしは、今でも大好きな魔法などが出てくるファンタジーな児童書や、今では絶対に借りない、怪談話などの怖い話を集めた本を好んで借りた。

 ある日のこと、借りたての本の中身が気になって我慢できなかったわたしたち家族は、電車の席に横一列に並んで座って、周囲の音を遮断するほど集中しながら、それぞれ読書に勤しんでいた。

 そうして黙って手元の本を読み進めていたわたしの耳に、ふと、音が戻ってくる。

「せんりやまー、せんりやまー」

 気づいた時には既に遅く、扉はプシューっという音を立てて閉まってしまう。母と弟はまだ気がついていない様子で、熱心に読書を続けていた。

「おかあさん、せんりやまだよ! ドアしまっちゃった、どうしよう?」

 声をかけて初めて、漸く母が顔を上げる。しかし無情にも、電車は既に動き始めてしまった。バスと違って、「すみません、やっぱり降ります!」と言い出す訳にもいかない。ひとまずわたしたちは、次の駅では二の舞を演じないように、各々の鞄に本をしまい、降りるための準備をした。

「かんだいまえー、かんだいまえー」

 隣駅で降りると、わたしたち三人は顔を見合わせた。誰からともなく、プッと吹き出し、笑い合う。

「誰も気づかへんなんて、逆にすごいな」

 北千里行きの次の電車まではまだ時間がある。それに、乗ったとしても、たった一駅。ここから自宅まで子どもの足で歩いたとしても、そう時間はかからない距離だった。

「たまには歩いて帰ろか!」

 そう言った母の提案にわたしたち兄弟は頷き、改札を出ると、久しぶりに手を繋いで歩いて帰ったのだった。

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たまには歩いて帰ろうか 望月 葉琉 @mochihalu

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