第二十八話 黒魔術師

― 王国歴1144年-1145年


― サンレオナール王都




 前話の最後の文から読者の皆さんは不穏な空気を感じ取ったことだろう。正にその通りで申し訳ない。


 いつ頃からか、姉は体調が思わしくないのを感じていた。ザカリーに言う前に一人悩んで医者にかかったが、原因不明だった。


 ある医者は更年期障害の症状に当てはまらないこともない、などといい加減な診断をした。しかし、姉は自分の魔力のせいだろうと考えていた。


 姉は王国中他に例を見ない大魔力を持っている。その体調不良の原因が魔力だとしたら、たとえ優秀な王宮医師だとしても診断、治療は無理だ。


 そして仕事も休みがちになっていった姉の体調について僕達は侍女のグレタから聞いた。そろそろ引退を考えていたグレタも、姉のことが心配になり、退職できずにいたのだった。


 姉は仕事を辞めたわけではなかった。気だるい体をおして時々貴族学院の研究室に通っていた。いつもそうだが、姉が根詰めて仕事に励む時は必ず何か思うところがあるのだ。


 ザカリーは出来る限り姉の側に居るようにしていた。夫婦はその頃から悪い予感がしていたに違いない。


 子供達の前ではなるべく明るく振舞い、不安を読み取られないように努めた二人だった。今では立派な青年に育ったドミニクのことである、しかも医学を学んだ彼は薄々何かを感じていた。ジョゼフにしても同じである。両親と兄を元気づけるためにわざと面白可笑しい話をし、いつも笑顔を崩さないようにしていた。


 ザカリーや家族の懸命の支えも虚しく、しばらくすると姉は遂に寝込んでしまう。


 高祖父クロードは大魔力を覚醒しても長生きをしたと記録に残っている。しかし、姉の体はそれだけの魔力を保つにはかなりの負担だったのではないかと姉自身は考えていた。


 そしてザカリーは遂に、病気の愛妻に付き添うために長期休暇を取った。ザカリーの治癒魔法も万能ではなく、大病や命に係わる怪我などは治せないらしい。僕達家族も事の深刻さを悟った。いつお見舞いに行ってもザカリーは姉の病床に付きっきりだった。




 ある日、姉はザカリーに僕と二人きりで話をさせてくれと頼んだ。


「姉上、今朝のご気分はいかがですか? 今日は南国から届いた珍しい果物を持って来ました、後でザカリーが切って持ってくると言っていますよ」


 姉の前では悲しそうな顔をしない、というのが僕達家族の間で暗黙の了解になっていた。


「ありがとう、フランソワ。いつ何があるか分からないから今のうちに貴方にお願いしておきたいことがあるのよ。私が死んだら研究室にある魔法石をザカリーに無理矢理にでも持たせてもらえるかしら」


 僕もどんなことを頼まれても覚悟が出来ていた。


「姉上、そんな先のことを言われても、僕は覚えてやしませんよ」


 姉だって僕が空元気を振り絞っていることなど分かっているのだ。


「そうね……でも一応お願いしておくのよ。ザカリーはまだ若いのですもの、私が彼を置いて逝くことになるに決まっているわ」


「人生何があるかわかりませんからね、一応聞いておきます」


 姉は自分の余命があと僅かになっているのをずっと前から察知して、いわゆる終活を始めていたのだった。


 自分よりずっと若いザカリーを残して逝くのは大層心残りだろう。しかもその夫は自分の魔力が無いと酷い貧血に見舞われる。死んでも死にきれず、成仏出来るとは到底思えない。


 そこは異世界だ、ガブリエルは仏教徒じゃないだろーが、というツッコミをされる読者の方々も多いだろう。言葉の綾だ、許して欲しい。とにかく、姉は自分の魔力を込めた魔法石をせっせと作製していたのだった。




 不覚にも姉の部屋から出ると僕は涙が出てきて止まらなかった。


「ザカリーごめん、でも姉の前では笑顔で居たから」


 コイツに涙を見られた口惜しさよりも、自分の無力さが身に沁みた。僕のたった一人の姉、ガブリエルの命はもう消えかけていた。まだ逝くには若すぎる、これからもっと豊かで幸せな人生が待っている歳だというのに。


「フランソワさん、来て下さってありがとうございました。ガブが貴方に何を頼んだか、大体分かっています」


 彼は僕に頭を下げると姉の部屋に入っていった。




「ザック、私は生まれた時からずっと愛する貴方の成長を見守れて、中々誰にでも出来る体験じゃないわよね。それに貴方に最期を看取ってもらえるなんて。歳の差のお陰ね」


「ガブ、貴女を二十年以上待たせてやっと幸せに出来たと思ったのに……」


「私幸せよ、今までも今もこれからも。だからあまり悲しまないで、約束できる?」


「うん、でもあまり自信ないよ」


「ドミニクとジョゼフのこと、お願いします。もう二人共立派になっているから心配はしていないけれど」


「うん」


「天国で一人待っているマリー=アンジュに会えるのが楽しみだわ。ジョゼフと同い年だからもう十六よ」


「そうでした、俺の中でいつまでもマリー=アンジュは赤ん坊なのです。貴女に似た美しい娘になっているでしょうね、さあそろそろ休みますか。沢山話したから疲れたでしょう?」




 僕達や両親が姉に最後に会ったのは彼女が亡くなる前日だった。姉にはもう悲愴感はなく、穏やかな顔をしていた。その日は姉に会った後、皆でしみじみと語った。


「死を覚悟して受け入れるとあんな美しい厳かな顔ができるのね」


「俺は改めてお母さんを尊敬します」


「うん、僕も。僕が成人するまで見守ることが出来なくてごめんね、あまり悲しまないで、今までありがとうって言われて泣いちゃったよ」


 ジョゼフのその言葉に僕達はしんみりしてしまい、もう何も言えなくなってしまった。




 姉を看取ったのはザカリー一人だった。最期は二人きりにして欲しいというのが姉の望みだったからだ。


「ザック、生まれ変わりって信じる?」


「生まれ変わり?」


「ええ、私ね、次の人生では貴族でも魔術師でもなく、庶民の、貴方の実のご両親のような家族の元に生まれたいわ」


「その可能性大だよね。貴族に生まれる人なんてほんの一握りなのだから」


「ええ。私の今のこの人生も悪くなかったけれど……今度はもっと自由な人生を送りたいの。そして、もし貴方の生まれ変わりと出会えたら、きっと私また恋に落ちると思うのよ。前世の記憶はなくしてしまっているでしょうけれど、私には分かるわ。こ、今回みたいに成就できる恋だといい、けれど……ゴホゴホッ」


 それだけ言うと姉はその後咳こんでしまい、何も言えなくなった。ザカリーは優しく姉を横向きに寝かせ、背中をさすっていた。


「ガブ、もう喋るな……来世では絶対貴女の気持ちにすぐ応えるって約束するよ」


「ザック……ありがとう……」




 姉の遺志に従って、僕が学院の研究室を訪れたのは彼女が亡くなって数日後だった。姉の研究室には沢山の魔法石が残されていた。窓から差し込む太陽光に照らされた色とりどりの光り輝く魔法石を見て僕は息をのんだ。


 僕はただの凡人で、魔力など感じることは出来ないといっても、一瞬姉がそこに生きて戻ってきたかのように感じられ、幻聴まで聞こえた。


『フランソワ、やっと来てくれたの。遅かったわね……』




***ひとこと***

うぇーん、ごめんなさーい!

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