帰蝶よ花よ、夢幻の如くなり!

東導 号

第1話「父からの結婚命令」

「イシュタル! お前は隣国アルカディアのアーサー王子へ嫁げ、異論は許さぬ」


 父から呼ばれた時、覚悟はしていた。

 命じられたのは王家の女子に課せられた使命、政略結婚の駒となる事。

 しかし想像するだけと、実際に告げられ、引導を渡されるのとは全く違う。


 嫁げと命じられた瞬間!

 父とふたりきりの小さな部屋には沈黙と冷たい空気が立ち込めた。


 これまで父にはとても可愛がられていた。

 跡取りの兄上は居た。

 だが、もしかしたら入り婿を迎え、このまま故国アヴァロンに居られるものかと思っていた。

 だけど、それは全く見当違いな幻想だった。


 私はイシュタル・サン・ジェルマン、16歳。

 アヴァロン魔法王国の王女。

 父はアルベール・サン・ジェルマン、魔法王国の国王である。


 でも私の父は元々王族ではなかった。

 流浪の魔法騎士だったと本人から聞いた。


 父は言葉巧みにアヴァロンの先王へ取り入り、底知れぬ魔法の技と権謀術数を駆使してのし上り、先王を追放。

 遂にアヴァロンを手中にし、魔法王国の名を付け、

 改めて新生国家として樹立した。

 

 ちなみに跡取りの兄は私と血がつながっていない。


 先王の側室だった女性が生んだ子をサン・ジェルマン家の養子とし、

 嫡男としたのである。

 

 実子に男子が生まれなかった事もあったが……

 王族ではない成り上がりな父が、愚鈍だった先王の至らなさを正し、

 追放しただけでは求心力に欠けていた。

 先祖代々アヴァロン在住である、旧来の重臣達の十分な忠誠を得られなかったのだ。


 アヴァロンの国王にはなったが……

 版図を広げる野望に燃える父は、一国を手に入れただけで満足はしていなかった。

 

 宿敵と見なす強大なガルドルド帝国に対抗する意味もあったが……

 組し易しと見て……

 アヴァロンより小国である隣国のアルカディア王国へ、まず目を付けたのだ。


 早速、表向きの友好同盟を結び、更に関係を深める為、王族同士の政略結婚を思いついたのである。


 しばらくすると、アルカディアからはマッケンジーと名乗る老齢の公爵が使者として、アヴァロンを訪れた。


 先方も乗り気だったらしく、話はとんとん拍子に進んだ。

 

 こうして……

 私、イシュタルはアルカディアへ嫁ぐ事となったのである。


「イシュタル、はっきり言っておく。お前の夫となるアーサーは極めて愚鈍ぐどんだ」


「愚鈍? そうなのですか?」


「ああ、だからと言って脳キンな猛き戦士というわけでもない。逞しさも皆無だ」


「…………」


「大人しく覇気に欠け、しなびた野菜のように、ひよわで情けない男だそうだ」


「…………」


「取り柄もなくクズの三流男に可愛いお前を渡すなど、断腸の思いである」


「…………」


「だが、仕方がない。強大なガルドルドに対抗し、我がアヴァロンが生き残る為にはアルカディアを併合し、強くなるしか道がないのだ」


「…………」


「分かってくれるな、イシュタル」


「はい、お父様の仰せの通りに致します」


 いつもの通り、理詰めで来る父に私は反論のしようがない。

 

 ぎこちない笑みを浮かべ、答えれば、

 父も爽やかな笑みを浮かべ、


「よし! ではお前に伝えておく事がある。大いなる覚悟を持って聞くが良い」


「覚悟……で、ございますか?」


「ああ、覚悟だ。今からお前に特別な魔法を教授する」


「特別な魔法? で……ございますか?」


「良いかな、心の準備は?」


「はい……」


 イエスの返事をした私に父はその特別な魔法を教えてくれた。

 発動に必要な言霊、詠唱と発動のコツなどを……


 それは怖ろしい魔法だった。

 忌まわしい呪いの言葉を投げかけ、相手を死に至らしめる、一撃必殺の魔法だ。


 そのとてつもない効果効能の代わり、発動と同時に、相手のみならず、

 術者自身の命をも奪う非情の魔法なのである。


「お、お父様……このような魔法を何故?」


「ふむ、いざとなれば……」


「…………」


「この魔法でアーサーを殺せ!」


「…………」


いにしえにお前と同じく嫁に出された王女がおったそうだ」


「…………」


「父王から、夫を刺し殺せと、餞別に短刀を渡されたらしいぞ」


「…………」


「良いか、イシュタル。この魔法は短刀の代わり、餞別せんべつだ」


「餞別…………」


「しかし短刀とは違い、見えない餞別だ。それ故、武器を携行せぬお前を咎められる者は居ない」


「…………」


「普通の魔法なら、防御の手立てもある。だが、今お前に教えた魔法に対抗する術はない!」


「…………」


「イシュタルよ! お前の力により、アーサーを骨抜きにし、籠絡ろうらくせよ。それがもし叶わぬなら、いっそ殺せ」


 ああ、運命の言葉を告げられた。

 私の行く末は決まった。

 決まってしまった!

 

 私が生きるこの世界は戦国と呼ばれる世。

 刺客として他国へ送られる女子は多い。

 

 そんな女子達に同情する事もあったが、

 遂に私も……そのひとりとなった。


 しかし夫を刺し殺せば、妻自身の命も確実に失われる。

 父は、それも見越し、相手を殺すと同時に自死できる魔法を私へ授けたのだ。


 暗澹たる気持ちになったが……

 表情に出すわけにはいかない。

 私は戦国に生きる女子なのだから。


「かしこまりました、お父様」


 私は努めて冷静を装うと、無理やり笑みを浮かべ、


「では、今生の別れとなります。これまでお育て頂きありがとうございました」


 と、別れと礼を告げたのである。

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