第15話 現実を受け止め、そして




 「ま、待って……トウコちゃん。いま引っ張りあげるから」


 冷静を装った声は、少し震えた。

 ほぼ垂直の崖を小さなくぼみやでっぱりを足場にして、ここまで迂回して来たみたいだけど、危険過ぎる……! 早くこっちに来れるよう助けてあげないと。


「ハル? 大丈夫です……よっ、と」

「うわ、わ」


 トウコちゃんは手足に集中している。たしかに直下の海を意識していないのか、危なげないルートでこっちに向かっている。手に汗握る自分とは対照的に落ち着いている。


 でももし、掴んでいる岩が割れて落ちたら。あのボルダリングに向きそうにないサンダルで足場を滑らせたら。風だって急に吹くかもしれない。

 トウコちゃんをすぐ掴めるように、限界まで岩場の端に立ち、身体を傾ける。あと数回、手足をかけ直せば届く範囲。


「んしょ、これで行ける。あれ? ハル……っ?」

「え、あぶな――」


 トウコちゃんが、最後の一歩を盛大に踏み外した。

 がくっと前に倒れかかり、投げ出された手が虚空を掴む。

 

 その手を捕まえて、思いっきり力を込めた。トウコちゃんが反対の足で崖を蹴り、こっちに飛び移る……!

 船にジャンプした時よりギリギリの離れ業。でも間に合った。トウコちゃんの身体を夢中で引き寄せる。


「あぶないよ、ばかっ! なんで落ちる! なんでっ……崖を」

「ちょっと登るとこあったけど、だ、大丈夫かなって」

「歩けそうになかったら、砂浜まで引き返せばよかったじゃんか!」


 感情のままに声がでる。

 汗がぶわっと噴き出して、いまも心臓が跳ねている。自分でさえもそうだから、トウコちゃんはもっとだろう。


「え、え、だって……そ、そんなに、あの登り坂だって、垂直だったのはあそこくらいだったし」

「落ちたら、危ないよ……ホントに……」


 心配しているこっちをよそに、トウコちゃんは海の方に眼を背けた。

 自分は悪くない、という珍しく反発した態度。あと、妙にソワソワしてる気がする。でも、最後の一歩がなぁ。あんなに落ち着いてたのに、変に動揺してたというか、焦ってたというか……


「……ハルの裸の方が危ないです」

「え?」

「な、なんでもない! トウコの歩いてきた砂浜には、ペットボトルがあったよ! 大きいのと、フタのない小さいの。何かに使えるんじゃないっ?」


 掴んでいた手を離すと、トウコちゃんはつば広帽子を目深に被って、先の道を引き返して歩いていく。表情は見えないが、耳が真っ赤だった。なにか呟いていた言葉は聞き取れず……まあ、駆け寄ってから何て言おうか考えることにしよう。


 並んで歩きながら様子を伺う。やっぱり怖かったのかな? もっと冷静に言葉をかけてあげれば良かった。感情的に怒ると大体うまくいかないんだよ。俺の身近にいる女性陣には特に。


 帽子のすき間と角度から、トウコちゃんが自分を見ているのが分かる。

 ぷうっと、そのほっぺが膨れた。


「ハルだけ裸。ずるい。トウコには脱ぐなって言ったのに、ハルはシャツ脱いでます……もうトウコ、我慢しなくていいよね?」

「い、いや、普通の海スタイルだよ? 浜にいるっしょ、こんな奴」

「本当? 海で遊んだことないので、よく分からないです」


 眼を細めジロジロこっちを覗き込むトウコちゃん。

 と言っても半ズボンの後ろにシャツを巻き付けた方は見てこない。あくまでこっちの顔の表情だけを見てる。少なくとも彼女がいきなりインナーを脱ぎ捨てる気配はなさそうだ。


 ……妙だな。不老ヶ谷には琴吹に勝るとも劣らない、すばらしい海水浴場がある。母親と小さい頃から海で遊んだりしていないのか? 一度も? 

 それなら人前で堂々と裸になる、というのも頷け……はしないが。巳海家では外にあまり出さずに育てられたみたいだ。なら羞恥心や価値観が少しズレてるのもその辺から? 巳海さんも教育方針で悩んでるなきっと。


 さて、いまは現状の整理だ。


 トウコちゃんが自分の所まで周ってこれたということは、ここは間違いなく島。それも、かなり狭い島だ。お互いが歩いて10分もしないうちに辿り着いているしな。そして、人のいる痕跡は


 もう覚悟するしかない。

 ここが小さな無人島だってことに。


 救助が来るまで、飲み水を確保しないと干からびてしまう。

 いまのところ雨は降りそうにない。まだ島の中央、草木の群生したところまでは行っていないが、木の実や果物、湧き水……何とかして水分を摂れるものを探す必要がある。




 真剣にサバイバルに挑まないと……俺もトウコちゃんも死ぬぞ。




 岩場を降りた波打ち際のところで、雲の切れ間から光が差す。

 照りつける真夏の太陽は、砂浜に2人の影を暗く落としてきた。




 

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