第11話 最悪の臭い①




「おい! 何してる!?」

「お前も無線で聞いてみろ! このガキが、根津を! 宇佐美の奴もフカに喰わせちまいやがった……次は俺たちがやられる。死にたくねえ! 殺されてたまるか!」


 久万倉さんの制止も聞かず、意味不明なことを叫びながら再び棒を構え、トウコちゃんに飛び掛かる。とっさに身体で庇おうとした瞬間、棒の向きが切り返され自分の胸を突き上げた。


「ぐっ……!?」

「お嬢様を助けようとしたのかい色男? ……邪魔すんじゃねえよ」

 

 痛い! 息が……出来ない。

 木地がもだえる自分を見下しながら、棒の先で牽制する。棒は木製……反対側に網が付いていた。魚取りの網、で、俺たちを……なんで……?

 

「やめて、ください……なんでこんなことっ、するんですか……」

「運が悪かったな。お前、もう陸に戻してやれなくなったわ」

「よせ! ……殺すな」

「だが、こいつは根津たちを……!」


 再びトウコちゃんに向かう木地の肩を、無線を聞いていた久万倉さんが止めた。助けを求めて声を絞り出そうと顔を上げ、目が合う。さっきまでの温かな人情を感じさせる顔では無かった。冷たい視線を俺たちに向けている。水揚げされた魚を品定めするような、ぞっとする目。


をどこかに隠されていたらどうする? 重要なのはそれだ。今度へマしたら俺たちが責任をおっ被せられるぞ。その鞄の中を探ってみろ。なんの価値も知らずに持って来ているかもしれん」

「……そうだな。へへ……いっちょ裸にひん剥いてやるか。二つとも持ってりゃお嬢サマは用済みだよな? 魚の餌にする前にせいぜい楽しんでやろうぜ」

「正気か? 巳海家の。それも、あの人の娘を……」

「知るもんかよ! ほとんど身に覚えのない恩を、勝手に親が背負わしやがったんだ。俺にも少しくらい役得がねえとやってられるか!」

 

 欲望を貼り付かせた薄笑いを浮かべ、木地がトウコちゃんの身体に触れようとする。夢中で伸ばした手が、木地のズボンの裾を掴んでいた。

 

「……なあ久万倉。こいつはどうする? やっぱ口封じか? 抱き込むのも面倒だろうし」

「俺たちの考えることじゃない。今は確認を先にしろ」

「だめ……だ。トウコ、ちゃんを……傷付けさせない……ぞ」

「へへ。いいぜ色男。気が変わった。その心を念入りにすり潰して、愛しのお姫様をバラバラに解体する仕事をやらせてやるよ!」

 

 木地がゆっくりと棒を振りかぶる。

 裾を掴んでいる俺の手を痛めつけるつもりらしい。今すぐトウコちゃんに暴力が向かうことはないけど、今のうちに、何か、何かしなくちゃ……。

 トウコちゃんを海に逃がす? いや、頭に大ケガしてるし、広い海じゃ捕まるだけだ。この木地って奴だけでも海へ引きずり込むか? 足にしがみ付いて自分ごと飛び込めばあるいは……時間がない、やるだけやれ! 

 

 精いっぱい両腕に力を込めるのと、ぶつかる軽い衝突音はほとんど同時だった。真っ白いサンダルが、這いつくばった視界に入ってまた消えた。そして木地の肩から、ぶらりと何かが垂れ下がる。顔を上げると、手鉤てかぎが木地の首横に突き刺さり、小さな手が離れていくのが見えた。


「あ……はぇ?」

「木地……!?」

「かへっ、かひゅ、久万ぐら゛。俺の首……どうなって」


 木地が口から息を漏らす。

 力がぷっつりと消えて、棒も身体もこっちに転がって倒れた。

 自分で研いでいた手鉤が首に深々と打ち込まれている。


「もう喋るな! おおおおおッ!」

「……」


 吼えるその先に、トウコちゃんは立っていた。

 つば広帽の下、黒髪がべったりと顔に張り付いて表情は見えない。幾すじもの血が流れて、あご先からぽたぽた垂れている。


 久万倉さんは近くにあったモリを構えて、突進した。尖った銛の先は、ふらつく彼女の脇を逸れる……ただ速度は緩まない。体当たりする気だ!


 どん、とぶつかる音と甲板を踏む音が重なった。トウコちゃんと久万倉さんは船外を跳び越え――そのまま海に落ちた。


「トウコちゃん……!」


 船から身を乗り出して見回すが、二人の姿は消えて、海の静寂さだけが戻っている。沈んだのか? ライフジャケットは共に装着してなかった。救助用の浮き輪……はすぐ投げられる位置にあるけど、どこにいるかが分からない。船のエンジン音が止み、波に揺られるだけになった。顔を早く出してくれ!


 ふと気配がして後ろを向いた。

 舵取りを離れた男が、木地に駆け寄って嘆いている。


「酷い。なんてことだ。さっきまでいいツアーだったじゃないか」

「かひっ……首……痛えよ……抜いてくれ……はやく」

「あ、ああ……」


 男が、肩をがたがた震わせて手鉤を掴む。

 いや、待て。

 なんかまずい気がする。大丈夫なのか? 刺さったものを抜いても。もし血管とか破れてたら……この海のど真ん中で治療はできないんだぞ!?

 声をかけられないまま、男は手鉤を引き抜いた。


「どう……木地? 血は、あまり出てないみたいだね」

「ありがとう……楽になった。口の中に血の味がしてたんだが、異物感と一緒に無くなったみたいだ」


 予想された惨劇は訪れなかった。

 血は言った通り、傷の深さにしてはほとんど出ていない。奇跡的に大きな血管を避けたのか? 兄さんが俺と澪にした話で『投げ槍が首に刺さって無事だった人』を聞いたことあるけど。


 でも、良かった。

 こんな奴でも助かったってのもある。 

 それ以上に、トウコちゃんが人殺しにならなくて済んだ。このまま安静にしてれば陸で治療を受けられる。少なくとも木地以外は、俺たちに危害を喜んで振るいはしないはずだ。市場に近付いたら、こっそり携帯で巳海さんに繋げれば、きっと保護してもらえる。

 いいぞ、希望が持ててきた。あとはトウコちゃんたちが……




 ふしゅう――しゅうしゅう――


 何だ? この音。

 タイヤから空気が抜けているような音。


 ふしゅう――しゅうしゅう――

 



 そして、この臭いは!? ……覚えがある。

 トウコちゃんに追い付いたあの竹やぶで確かに嗅いだ。最悪を煮詰めて発酵させたような臭い……!



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