第9話 振り回される男たち




 不老ヶ谷の風景を眺めながら魚市場に辿り着くと、数名の男たちが待っていた。見覚えがある。今朝、会ってるなたぶん。そのうちの一人が前に出て頭を下げる……受付で俺を門前払いした、軽薄そうな人だ。


「鯨井様。当ツアーの責任者、木地きじと言います。この度は申し訳ありませんでした」


 そう言うと、周りの男も頭を下げた。

 雁首を揃えてこうべを垂れる。そんな感じ。責任者といっても形だけ。本当に代表でここにいるべき巳海のお坊ちゃんはいない。なんかむかっ腹が立ってきたぞ。


「すべてこちらの不手際。対応もお客様の満足いくものではありませんでした。せめてものお詫びとして、無償のうえ参加するはずだったツアーのサービスを提供させてください」

「……俺はそれでいいけど、他の参加客はどこに?」

「午後のツアーはさっき終わりましたので、貸し切りとなります。これは、まあ、臨時便ですね」

「わかった。じゃあよろしく」


 そっけなく木地って人に返事をした。

 文句の一つでも言ってやろうと思ったが、こいつに言ったって上には報告しやしない。せっかくツアーに行けるんだから、切り替えて楽しまなきゃ損だ。忘れよう。……クジラ見れなかったら巳海さんに洗いざらい告げ口しよう。俺はわりと根に持つタイプだからな。


「これを着ろ」


 屈強な男からライフジャケットを手渡された。

 カチッとバックルを差し込み、装着具合を確かめる。ベルトの調節はサイズが合っていたのかちょうど良かった。


「荷物はあるか? そこのロッカーに預けられる。海に何か落としても、保証は出来ない」

「いや、これだけだ」


 携帯と財布。どちらもホルダーで半ズボンにくくった海遊び仕様。

 携帯は防水カバー付き。じいちゃん家に兄さんが置いてってるのを拝借した。あとはスポーツ飲料水のペットボトルをここに来る道で買っただけだから、置いていくようなものは本当にない。


「ならさっそく出航といこう。来てくれ」


 日に焼けた大きな背中を見せ、のっしのっしと屈強な男が船に向かう。

 ……うん。変にへりくだった態度より、よっぽどいいや。海の男はこうでなくちゃな。


 船はエンジントラブルがあった、ツアー用の奴だった。

 ちゃんと直ってるなら、豪華客船より乗組員の慣れた機材があるこっちのほうがホエールウオッチングは上手く行くだろう。それに、豪華客船に貸し切りなんてガラじゃないし。


「午後や午前、クジラは見れたの?」

「ん、俺の担当した船は出遭えたな。少し遠巻きだったが。今日の海の感じじゃわざわざ沖まで追いかけなくて良さそうだ。期待してていいぞ」


 こういう自信が、いかにも漁師気質だなあ。

 海や魚の機嫌みたいなものを知ってるみたいな、そしてへの怖れと敬意は絶対に持ってる。

 この人は悪い人じゃなさそうだ。なら、大船に乗ったつもりでいるか。


 甲板に立ち、ぐるりと見回す。


 ツアー客用に船首のスペースを広く取り、船の天井部分に登って全方位眺めることの出来るタイプらしい。二、三十人くらいは余裕でウオッチングできそう。貸し切りはやっぱり気後れする……。

 木地って人が無線に前進前進、と呟き――船がゆっくりと動きだした。


「出るぞ。適当に座ってろ」

「はい。お願いします」


 クルーは三人。

 そばにいる屈強な男。無線を使ってた木地。あとは操舵手がいる。

 あれ、そう言えば手続きとかはいいのかな? 今朝は何か事故があった時責任は問いません的な紙にみんな書いてた気がする。無償だから省いた? まあ自分で気を付ければいいんだけど。


「一人かあ」

「貸し切りだが、手は抜かない。必ず満足させてやる。巳海の大旦那からの申しつけだ。不義にはできん」

「何て言ってました?」

「……ん、久しぶりに雷が落ちたというか、人の道理を説かれたよ。ガキの頃に悪さしたら叱られたことが何度もあってな。それを思い出した」

「あのドラ息子に、小さい時から振り回されてたんですか?」

「いや、どちらかと言うと姉さんの方にだな。あの人はホント突拍子もないというか、誰も予想しなかった行動に出るんで目が離せなく――」


 屈強な男の口が、ぽかんと空いたままになった。進んでいく船の後ろ……魚市場の方を見ている。つられて自分も振り返ると、細く伸びた突堤の道を走って来る姿が映った。






 *  *






 白いつば広の帽子。白いワンピース。

 肩に掛けたポシェットは揺れ、サンダルは駆ける足についていけず今にも脱げてしまいそうだった。徐々に加速していく船に並ぶと、脇に繋がれた小型船を次々と踏み越え、何のためらいもなくこっちに向かってジャンプした。


「ハル!」


 とっさに身を乗り出し手を伸ばす。向こうも同じように手を前に突き出していた。……海に落ちる! そのギリギリのところで手を掴む。引っ張り上げる力と、サンダルで船の側面を蹴る力が加わり、勢いよく身体がぶつかって来たのを受け止める。


「危ない! ケガするとこだぞ!?」

「ごめっ……ごめんなさい」


 弾んだ息もそのままに、トウコちゃんが顔を上げた。潰れた帽子から見えるその表情は余裕の欠片もない。親からはぐれてすがり付く、子どものような眼差しをこちらに向けていた。


「トウコも、一緒に……行きたくて」

「馬鹿。それなら走って来る時にそう言や良かったろ……船だって停められたんだし」

「ええ? そうなの?」

「ですよね? お詫びって意味のサービスなんだ。貸し切りの船に知り合いの同乗者が一人増えても、べつに構わないでしょう?」


 乗組員の方に確認をすると、木地って人が引きつった笑顔で頷いてくれた。屈強な男の人は面白おかしそうに笑っている。


「ほら見ろ。次からは気を付けろよ? ちゃんと話せば大抵のことは分かってくれるし、解決に向かうんだから。いきなりあんなことされると心臓いくつあっても足りないぞ」

「わかった……ハル。ごめんね?」

「いいよ気にしてない。それより汗拭こうか。タオル持ってる?」

「うん」

「お嬢。しばらく甲板よりも、こっちの日陰にいてください」


 トウコちゃんがポシェットからハンカチを出すところで、そばにいた男が声をかけて来た。船内の座れるところへと促している。なんだかやけに上機嫌そうだ。木地や操舵手の人はちょっとうんざりしてるのに。


久万倉くまくら。気遣いはいい。そんなの要らない」

「では客としてのみ、お声を掛けさせていただきます」

「ふん……」


 汗をハンカチで拭きながら、トウコちゃんが鼻を鳴らした。

 久万倉さんは見られていないのに深く頷いて、甲板に出ていく。どちらにしてもクジラを観察できるのはしばらく船を進ませた後になる。トウコちゃんは船内で休ませておこう。




 甲板に出ると、潮風を全身に感じられた。

 日差しでかなり強いが、快適な暑さって感じだ。やっぱり海はいい。


 すぐそばに木地って人が座って作業をしている。手鉤てかぎ? 魚や水揚げのケースを引っかけて運ぶ時に使う奴。それを研いでいるようだ。


「あん? クジラはもうちょっと沖だぜ。俺たちが呼ぶまでは、のんびり巳海のお嬢様とくつろいでなよ」

「いまは道具のメンテナンス中ですか?」

「これはツアーとは関係ねえな。漁や水揚げでつかうのよ。ちょい錆びてたから砥石で磨いてんだ。この尖った鉤の部分で魚をしめたり大物を引きずったりするんだが、錆びてると魚の価値が下がるからな」


 そう言って何本目かの手鉤を取った。研いだ手鉤は鈍い光を放っている。じいちゃんがタコとか〆るのに使ってたなそう言えば。木製のグリップとフックした鉤の形は琴吹で見かけたものと全く変わらない。


「ホントは乗客がヒマしないように海の知識とかベラベラ喋ったりするんだが、明日の準備とか遅れてっからやらせてくれ。こちとら生活がかかってるんでな。クジラと遭遇したらきっちり仕事はするからよ、大目にみてくれや」

「いいですよ別に」

「へへ、ありがとさん……な、な、巳海のお嬢様とどこで知り合った? ずいぶん仲良さそうだったが、あまり欲目を出したりはするなよ。巳海の連中は人をこき使うくせに、見返りなんて求めるだけ無駄なんだ。年寄りどもは未だ信奉してやがるけど、頭がイカれてるとしか思えないね。俺にはなんのお恵みもないんだから」


 文句と金のことしか頭にない漁師もいるんだな。

 琴吹じゃあんま見ないタイプだ。儲けるなら他にいくらでも……ああ、だから副業に精を出してるのか。本末転倒な感じに思えてしまう。


 船首の方では久万倉くまくらさんが黙々とモリを点検している。魚に向かってバネかゴムで射出するタイプのようだ。これで漁をするのならかなりの時代錯誤だし、観光用かな。


「久万倉さんも道具の手入れですか」

「ん、そうだな」

「まさかその銛で、クジラを突くってワケじゃないんでしょう?」

「捕鯨は昔やっていたらしい。大きな砲台に槍を装填して、火薬でぶっ放す逸話をガキのころ耳にしたよ。貧村だった不老ヶ谷の漁業の一つだが、もうおおっぴらには捕れないだろうな。世間の目と声がある」

「へえ! 自分もじいちゃんから聞いたことがあります。当時は希少な食糧になって、不老ヶ谷が近隣の村たちを支えたって」

「そうか。だが、クジラを観に来たアンタに話す内容じゃあなかった。すまん……これはただの手銛だ。浅瀬潜りの団体様が使う予定だが、素人の魚突きじゃ岩にぶつけて先がなまる。なるべく長持ちさせてやりたくてさ」


 そういって銛を一本一本磨き、浮き輪やオールが収めてある場所に並べる。なんとなく丁寧な仕事なのが見て取れる。




「そろそろお嬢の息も整ったろう。アンタはどうやら信頼されているようだ。そばにいてやってくれ」

「はい。そうします」

「……今日は懐かしいことばかり思い出すな。少ししたら屋上に上がってみろ。せっかくの貸し切りだ。楽しむといい」




 久万倉さんの声を背中に受けて、頷いた。



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