第4話 噛み合う帰り道



 

 セミの鳴き声。まばらな人の行き交い。さっきからぐるぐる見回っていた町並みにほっと一安心した。そのまま舗装された道に出て、先を歩く少女の後をついていく。

 

 帽子かぶってないし暑そうだ。

 日焼けしていない白い肌は、長いあいだ炎天下を歩かせていると真っ赤になるな……結局、あの男と帽子の行方は分からなかった。

 

 そしてあの臭い。


 最悪という言葉が生やさしいくらい、心の奥底まで汚していきそうな……どんなものとも説明の付かない悪臭。あれは何だったんだろう?  

 

 気付けば女の子が振り返り、こっちを見ていた。

 立ち止まるのが遅れて二人の間はかなり詰まっていたが、彼女は特に気にしていないようだ。つば広の帽子があれば触れている距離。

 いい匂いがする。子ども特有の、落ち着いた気持ちになる匂い。むかし妹と友だちが部屋で騒ぐのを注意する時に、嗅いだかもしれない……もう澪は部屋に絶対入れてくれないから、今はどうか知らんけど。


「なんで助けようって思ったの?」

「危ない目に遭わないか、気になって……」

「気になっただけで、わざわざ裏道まで行く理由は? 危ないかも知れないって何かが、自分に降りかかることだって考えられたでしょ?」

    

 あれ? 顔にほとんど出てないけど、すごい怒ってる?

 不機嫌? 違うな。この子は面倒くさそうにしてる。

 やっかいごとに巻き込まれた不幸を噛みしめるような……って立場が逆じゃないか? それって俺の方だろ? 今も彼女を家に送る途中だし。まあ俺が必要のないお節介を焼いたってのは、否定しようのない事実だけどさ。


「や……深い理由はないんだ。その、もし、手を引いて連れてかれてるのが、妹や知り合いだったら、って頭をよぎったんだよ。本当、それだけ」

「ふぅん……」


 女の子は分からない、と言うように首を少し振った。

 何かを考えている仕草がいかにも子どもっぽくてかわいい。

 

「なんか大変だね。やんない方が楽そう」

「あはは……友だちにも似たようなこと言われるよ」

「余計なお世話焼き? 笑ってられるくらいならマシだけど……にどんな想いを刻むかはその人次第だし――


 ん? 歯には歯? ……ハムラビ法典?

 恩が仇になるかも、みたいなことを伝えたかったのかな?

 

 女の子は勝手に満足したのか再び歩き出した。

 伝えることは伝えた、と言うような表情が印象的だが……ぜんぜんよく分からん! まあ本人が納得してるなら、いいか。

 女のドヤ顔には逆らうな。俺は母さんと澪で学んだんだ。鯨井くじらい家の鉄則よ。男子限定のな。


「家まであと何分くらい?」

「……疲れたの?」

「ああ、大丈夫。大体どこらへんにあるか聞こうと思って」


 もし不老ヶ谷の端まで歩くとなると、昼飯所を目星しておいた方が賢明だ。怪しい男がこの子の手を引いて歩いてたことから考えると、たぶんそう遠くない気がするけど。

 横を見るとさっきから同じ塀が続いている。というか倉かこれ。酒を醸造する家にしても規模が大きいし多い。


。でも玄関までちょっと遠いから」

「え? もしかして、この家が……」

「そうだよ。一緒に来てくれないと、おじいちゃんに怒られるところだったし。はぁ……ホントに面倒なのはこれからだけど」


 家……これが、全部? 嘘だろ?

 道の左右が塀で……じゃあ俺たちが歩いているのって私道? やけに揃った石畳なんだが。大地主ってレベルじゃないぞ。屋敷……いや豪邸……どんな言葉なら言い表せる?

  

 視線の先に大きな門が見えた。武士が大勢出て来ても違和感のない趣がある。むしろでっかく天守閣でも見えれば、完全に城だこれって言い切れるのに。

 女の子が小走りで門に向かい、その横の……脇戸を開けて招くような仕草を取る。誰かに教えられたのか真似をしているのかは分からないけど、少しぎこちなくて微笑ましい。


「ど、どうぞ。お通りください」

「……ありがとう?」

「では、玄関までお連れします……こっち」


 再び先導されるまま、飛石の道を歩きながら景色を見る。

 ……すごい庭だ。掃除とか、木の剪定とかやってるんだろうなプロの人が。それくらい手入れが行き届いている。

 

 この子、名家のご令嬢さんだったりするのかな? ちょっとしたお節介のはずが、だんだん予想もつかない大ごとになってきた。目の前の屋敷も奥行きがどれくらいあるのか見当もつかない。何よりスケールが違う。




 ふと視線を移すと、女の子がひと息ついて表情を緩めている。

 それは自宅に戻って安心した、普段通りの顔なんだと思うけど……




 その様子を見ても、妙な緊張感は消えなかった。

 


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