第3話 不可視の分かれ道




 魚市場から続く道をぐるっと回り、不老ヶ谷を当てもなく歩いたが、想像していた以上に栄えている印象だった。娯楽や色んな店舗も琴吹うちとは比べ物にならない。どの季節にも人が集まるよう、イベントやツアーの企画を途切れさせない努力がいやでも伝わってくる。

 浜から大分離れたけど、きっと海で遊ぶ観光客やサーファーがたくさんいるんだろうな。日差し避けのパラソル貸しだけで夏の一財産が作れそうだ。

 

 だいぶ見て回れたかな? 携帯を見ると昼前だった。

 伸びた木々の影に入り、汗を拭う。ポケットを探ると大玉の飴が入っていたので口に放り込む。爺ちゃん家から無意識のうちに持って来てたみたいだ。今年は兄妹で俺一人だけの帰省だから別に要らなかったが、澪にいつもあげてるから癖になってた。

 都会じゃみたことがないパッケージと大きさ。そしていかにも人工的なフルーツ味。澪への土産はこれをたくさん買おう。兄さんには……まあ適当に空港で買えばいいか。高校の友だちになに渡すか考えなくちゃ。

 

 ううん、どこか適当に入って昼は食べようか?

 それとも海の家まで足を延ばすか……琴吹みたいな独特のメニューはあるかな? 参考にはしたいがどうせ割高だろうしなぁ。冷やかしに入るのもアレだし。

 定食屋さんか喫茶店が無難? それも観光客が入りたがらない、地元の人がモーニングセット頼みに毎日来るような店だ、狙うなら。

 

 ころ、と口の中の飴玉を転がすと、向こうの道から歩いて来る二人が目についた。手を繋いでいるが兄妹、というには年が離れすぎている。中年の男は日焼けした肌にくたびれたTシャツ姿。髪の長い子どもの方は白いワンピースにつば広の白帽子。口元までしか見えないが子どもだ。たぶん中学生くらいの――


「……」

「はやく歩けよ……ほら……!」


 通り過ぎる時に男の呟きが聞こえた。

 イラつきよりも、なにか雰囲気だ。よく見れば手は繋いでない。一方的に男の方が少女の手を引いている。


 ……携帯に目を落として知らんぷりを装っていたから、向こうは特にこちらを意識していない。そのまま道の横……ちょっとした山に入る緩やかな坂をずんずん登っていく。


 地元の住民? 少なくとも観光でこんな脇道に入るのは考えられない。トイレ……いや、ここからそう遠くないところにあった。使うつもりならそっちにいくはず。野郎一人ならともかく女の子連れてるんだから。

 

 うだるような暑さの中、セミの鳴き声が一際大きくなった気がした。空を見上げるととんびが飛んでいる……琴吹と変わんないな。空も海も同じだ。そこに違いなんてない。

 

 つばを飲み込む。小さい頃から知ってるフルーツの味がした。

 ……もしあのおっさんに手を引かれているのが澪だったら? みんな顔見知りの琴吹の子たちだったら?


「何考えてんだ俺は? バカ丸出しだぞ……」


 いつのまにか木陰から出て、二人の入った山道に歩き出していた。

 いましょうもない行動をしていることは


 きっと……そうだな。小道から竹やぶに入って釣り竿用の竹でも切る気なんだよ。田舎じゃごくありふれた風景。んで、あの子は釣りとか乗り気じゃない。たぶんそれだけのことだ。

 この話を伝えたら高校のみんなは笑うだろう。リアクションが眼に浮かぶ。

 くだらない早とちり。それで済む話。 


 なだらかなカーブを歩きながら、おそらく数十メートル先の二人を探す。距離は開いてるがほぼ一本道だ。姿が見えないけど子どもを連れた足。いずれ追い付く。 

 周りには竹がかなり生い茂っている、この感じだとアケビやザクロ、山菜を取りに向かった線も薄い。もうほとんど小走りになる。思った以上に俺は焦っているらしい。

 もしかしたらって……嫌な方向にばかり考えてしまう。


 道が二手に分かれた。一つは坂の勾配に沿った道。もう一つは獣の通るような竹やぶの道。ほとんど足は止まらず、陽の遮られた方の道を進む。落ち葉や笹を踏み散らして広がる風景に、白いワンピースの端が見えた。







 *  *







 濡れたような長い波打ち髪。

 笹の葉に触れた肩口の肌は白く、日陰でより強調されている。背はすらりと高いが、不釣り合いの幼さを感じた。澪よりは年下らしい。

 ぼうっと茂みの奥を見ている横顔は、と言っているかのようだった。


 その佇まいの雰囲気にのまれ、無意識に手と歯に力が入り、しばらく息をするのも忘れていた。飴玉の割れた音に気がついたように、少女がこっちに振り返る。


「誰?」

「え、えっと……」

 

 さっきは分からなかったが、ポシェットを肩に掛けていたようで、何か仕舞ったみたいだ。あるいは何かを取り出そうとしていた……?

 

 防犯ブザーとかならシャレにならん!

 まったく、マジで。向こうからしてみれば本当に、としかいいようがない状況。怪しい年上のお兄さんそのものだ。


「……」

「あ、怪しい人じゃないからね、だからその……」


 あわわ。思ったより言葉が出てこないぞ。

 俺がこの子なら、大声で叫びながら逃げたかもしれない。幸い、女の子はほんの少し不思議そうな表情をするだけで、犯罪者と疑うような目は向けてこない。見れば見るほど隙のない、整った顔立ちをしてる。


「もしかして、心配だから付いてきたの?」

「ああ、ええと。そうなるかな」

「ふぅん……」

「さっきまで一緒にいた男は?」


 女の子は首をふる。近くにはいないらしい。この道をさらに奥深く行ったか、さっきの道で別れた? どちらにしても想像していた悪い予感はただの杞憂に終わったようだ。

 ……そういえば帽子をかぶっていたのに、今は見当たらない。


「白い帽子は……持って行ったのかな?」

「あんなの、もういらない」


 あまり気持ちのこもっていない声だが、不快な感情が顔に滲んでいるのは分かる。きれいだったものが汚れてしまった、そんな風に聞こえた。


 笹の葉がかすかに揺れ、淀んだにおいを運んでくる。森の……いや、魚? 獣? 鼻につく臭い。何か腐ったものとも違う、嗅いだことのない悪臭だ。近くに臭いの元がある気がする。たぶん、すぐ近くに――

  

「ねえ」

「ん……」

「助けようと思ったのなら、家まで送ってよ」


 そう言って、女の子はお互いに来た道を引き返そうとした。薄暗い竹やぶを抜ける少し手前で立ち止まり、促すようにこちらを見る。

 そこで俺は……初めて女の子と目が合った。

 

 正しく表現するなら

 間抜けな顔の後ろ……もっと奥の方を見据えている。

 

 理由は分からないが、おそらく警告を促しているらしい。その茂みの先に行かない方がいいと。その透き通った瞳が言っている気がした。強制はせず、俺がどうするのかを委ねている。

 

 また無意識に力が入り、息をのんだ。女の子はただ静かに待っている。それだけで人の心を引き付けて離さないような、雰囲気を感じた。

 



 やがて足が自然と前に出る。



 それを見た女の子が眩しそうに目を細めると、先を案内するみたく日差しの当たる道を歩き出した。



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