第4話 狼になれない女の子(2)

 秋のこの時期は狼達にとって最も忙しい時期だ。もうすぐ秋の豊寿の祭りが始まる為、村中総出で食糧をかき集める。

 通常は狩りに行った者がその場で獣の解体など肉の処理を行い、村に戻り次第共同の貯蔵庫に保存をするのだが、この時期は大量の食糧調達が必要になる為、狩りに行かれない者達が代わって貯蔵作業を行う。


 今日はレティリエも、狩りを引退した老人や怪我人達に混ざって貯蔵作業を手伝っていた。

 狩りから戻ってきた狼から解体した肉を受け取り、煙で燻したり塩漬けにしたりして貯蔵庫に入れる。人手がいる為、マザーや子供達も駆り出されており、まるで戦場のような忙しさだった。


 何度目かの備蓄作業を終え、ふうと一息ついたレティリエの目に、一人の初老の狼が映った。狩りから戻ってきたばかりなのだろう。まだ羽のついたままの鴨を両手に持ってよたよと歩きながらこちらに向かっている。

 老いた狼は基本的に群れから外れて狩りを引退するが、この時期に関しては別だ。少しでも多くの食糧を集める為、まだ動ける老人は狩りに参加することを求められる。


「おじいさん大丈夫ですか? 手伝います」


 レティリエは老人に駆け寄ると、重たそうに引きずっている鴨を受け取ろうとした。老いた狼はレティリエを見ると、眉を潜めて鴨を手元に引いた。


「いや、いい。それより、お前さんそんなことをしていていいのかね」

「え?」


 老人の冷たい物言いに、レティリエは驚いて制止する。差し出した手が行き場を失って空を切った。


「お前さん、例の出来損ないの子だろう? ワシみたいな老いぼれですら食糧調達に駆り出されているのに、若い狼が狩もせずこんなことをやっていて恥ずかしくないのかね?」


 老人は仏頂面で言い放った。確かに、貯蔵庫作業を行っている狼のほとんどが怪我人を除いて子供か年配者だ。まだ年若い狼はレティリエだけだった。

 途端に、情けなさでレティリエの胸がきゅうっと締め付けられる。


「……すみません……私……」

「いや、ワシは怒っとるわけではない。ただ、今のままでいいのかと忠告してるんだ」


 老人はその場にどかりと腰を下ろすと、狩ってきた鴨の羽をむしり始めた。だが、手元がよく見えていないのか細かい毛がまばらに残っている。本当は誰かにやってもらうつもりでここまで持ってきたのだったが、役立たずの狼の世話になるくらいなら、という意地でやっているのだ。

 老人は尚も続ける。


「ワシも長く生きてるが、狼になれない人狼なぞ見たことも聞いたことがない。お前さん、狩りに行かずとも物が食べられる現状に満足して、狼になる為の努力を疎かにしているんじゃないのか」

「そっ……そんなことありません! 私、いつも皆に申し訳なく思って……」


「ほう、そうかい。まぁお前さんも雌だ。一族の為に子を産めるなら少しは役に立つと言うものだが……番になる相手の当てはあるのか?」


 老人の言葉を聞き、レティリエの脳裏に一瞬黒の狼が浮かんだ。途端に胸がキリッと痛む。

 彼と一緒になれたらどれだけ良いだろう……でも、彼は自分とはかけ離れた存在だ。そもそも、自分のような力を持たない雌狼が、雄の中でも強者であるグレイルに懸想しているなんて、身の程知らずと言われても仕方がないのだ。


「いえ……ありません……」


 か細い声で答えると、老人はため息をついた。


「狩りもできない、子も産めない……お前さんは、一体何になら役に立つというのかね」


 レティリエの胸に、老人の言葉が鋭く突き刺さる。何の役に立てるのか……それはレティリエ自身もずっと知りたいことだった。幼い頃から何度も何度も悩み続けて、それでもまだ答えは見つけられない。

 レティリエは言葉に詰まり、何も言えない自分を恥じた。心臓が締め付けられるように痛む。


「……ごめんなさい……」


 きっと次の瞬間には「誰に謝っているのか」と言われるのだろう。それでもレティリエは謝らずにはいられなかった。目の前の老人と、村の皆に。

 老人が何かを言おうと口を開いた時だった。


「ちょっとあんた! 言いがかりはやめておくれよ!」


 マザーが怒りの形相でやってきて、老人の手から鴨を引ったくった。老人はマザーの姿を見ると、腹立たしそうに睨み付ける。


「なんだお前か。ワシは間違ったことは何も言っとらん。そもそも、こんな歳まで何もできずに育ったなんて、お前の育て方が悪かったんじゃないか?」

「はっ! あんただって若い時の狩りの戦績がイマイチだった癖に、よくもそんな大きな口が叩けるね!」

「なんだと?! もう一度言ってみろ」

 

 二人は目に火花を散らして激しく睨み合う。レティリエはオロオロと二人の様子を見ていたが、どうして良いかわからず、思わずマザーの服の裾をきゅっと握った。

 マザーはどうやって目の前の老人を言い負かしてやろうか逡巡していたが、レティリエが真っ青な顔をして自分を見上げている姿を見ると、ハッとして怒りの矛先を鎮めた。


「あんたが獲ってきた鴨はこっちで処理しておくからもう行きな!」


 マザーが怒りと共に吐き捨てると、老人は鼻を鳴らしてくるりと背を向けた。


「ふん、ワシはもう一狩りしてくる。おお忙しい忙しい。狩りに行かれない者達の分まで獲ってこないといけないからな」


 最大限の皮肉を込めて言い捨てると、そのまま老人は去っていった。


「ごめんなさい、マザー。私のせいで、こんな……」


 マザーに迷惑をかけてしまったことを謝ろうとしたが、声が詰まって最後まで言えなかった。

 育て方が悪いと言われたが、マザーはとても愛情深く子供達に接してくれている。自分の弱さのせいで、マザーが悪く言われてしまったことが悲しかった。

 辛そうな顔をしているレティリエに、マザーが背中を優しくさすってくれる。


「何言ってんだい。あんたは悪くないよ。あの爺さんはね、昔私と同じ群れにいた仲なんだが、私より少し年かさの癖に私より狩りができなくてね。あんたに八つ当たりしてるだけなんだよ」

「ううん、でも、全部本当のことだから」


 寂しそうに微笑むレティリエに、マザーは何も言えなかった。

 レティリエがこうやって誰かに責められるのは今に始まったことではない。酷い言葉をぶつけられる度に心は深く傷ついているだろうに、レティリエはもう自分の前で泣くこともしなくなった。マザーは心の中で深いため息をついた。

 レティリエの手を取り、手のひらを優しくさすってやる。


「……あんたが良い子だっていうのは私がちゃんと知ってるからね。帰ったら、あんたの好きなりんごのケーキを焼いてあげるよ」

「うん、ありがとう、マザー」


 レティリエはコクリと頷き、優しくさすってくれるマザーの手をきゅっと握り返した。


 

 貯蔵作業の後、すぐにレティリエは村の近くの森でヤマモモを採取しに行っていた。お祭りの準備の為に今から沢山採っておく必要があるし、とにかく何かをしていないと落ち着かない気分だった。

 手頃な木に登ると、頭上には宝石のようにキラキラと光るヤマモモが夜空の星の様に無数に広がっている。

 ヤマモモはグレイルの大好物だ。いつもなら彼の顔を思い浮かべて、少しだけくすぐったい気持ちになりながら摘み取るのだが、今は明るい気持ちにはなれなかった。


(狩りもできない、子も産めない……お前さんなら一体何になら役に立つというんだね)


 先程の老人の言葉が頭に浮かび、レティリエは思わず手を止めた。

 心臓がキリキリと痛み、思わず胸に手をあてる。幼い頃から幾度となく言われてきたことだが、やはり面と向かって自分の存在価値を否定されると、心が叫びだしたくなるくらい苦しくなるのだ。ズキンズキンと、心臓の鼓動に合わせて痛みが押し寄せてくる。

 

 レティリエは採取する手を止め、木からそっと降りた。ヤマモモが入った籠を持って、近くの小川まで移動する。

 この辺りは、昔からよく狼になる練習をしに来ていた場所だった。何度かグレイルに付き添ってもらったこともある。

 人から狼の姿になるのは、それこそ赤子にすらできることだ。コツなんてあるはずもないが、グレイルは練習にも根気強くつきあってくれ、やり方も丁寧に教えてくれた。


(俺達は、頭の片隅で意識すればすぐ狼になれるんだが……レティリエの場合は、自分が狼になった時の姿を具体的にイメージしてみればいいんじゃないのか?)


 遥か昔に教わったことを思い出しながら目をつむる。

 狼の姿をイメージしながら、狼になりたいと頭に意識を集中させる。頭の中に、四つ足で立つ自分の姿が浮かび上がった。

 パッと目を開いてあわてて小川を覗き込む。淡い期待とは裏腹に、そこには先程と全く変わらない自分の姿が写っていた。レティリエは悲しそうな顔で水面を見つめた。


(どうして私だけ何をやっても狼になれないのかしら……)


 思えば銀色の毛色も自分だけだ。黒や茶、灰色や赤色の狼は沢山いるが、銀色の毛並みをした狼はレティリエだけだった。 

 自分だけが、何もかも皆と違う。ひとりだけ取り残された気持ちになり、レティリエは項垂れた。胸が張り裂けそうに痛い。

 その時だった。


「おーい! おねーちゃーん!!」


 遠くから子供の声が聞こえ、レティリエの耳がピクッと動いた。声がする方に目をやると、孤児院の子供達がこちらへ走ってくるのが見えた。後ろから子供達を見守るようにグレイルもついてきている。

 先陣を切っていた二人がレティリエの姿を見ると走る速度をあげ、息をきらしながら飛びこんできた。


「ジャン! ルーシー! どうしたの?」


 驚いて声をかけると、ジャンという名前の少年は大きく息をつきながら、持っていた魚を高々と掲げた。ジャンの背丈の半分ほどもありそうな大きな魚だ。

 負けじと、ルーシーもレティリエの目の前に縄をつき出す。縄の先には丸々と太った野ウサギが括られていた。


「見てこの魚! めちゃくちゃ大きいだろ? 俺が獲ったんだ!」

「私は野ウサギ! 初めて獲れたの!」

「まぁ、二人ともすごいわね」


 驚いて目を見開くと、二人はへへへと得意そうに笑った。


「今日は少し時間を作れたから子供達に狩りを教えていたんだ。特に、ジャンとルーシーは、群れでの生活が始まったばかりだからな。大いにしごかせてもらったよ」


 後から追い付いてきたグレイルが笑いながら言った。グレイルは年老いたマザーに代わって、こうやってたまに子供達に狩りを教えているようだ。

 他の子供達もジャンとルーシーの周りにわらわらと集まって、獲物の大きさに興奮していた。他の子供達の前で得意気に魚を見せていたジャンがふと真顔になり、プイと横を向きながら、魚をレティリエの前に差し出す。


「ん、これねえちゃんにあげる」

「え? どうして?」

「だって……ねえちゃんは狩りができないだろ。だから、やるよ」


 拗ねたようにそっぽを向くジャンの顔は少し照れくさそうだった。

 ルーシーも、野ウサギをレティリエの横に置き、甘えるように腰に抱きついた。


「あのね、私たち、おねえちゃんが大好きだよ。孤児院を出てもずっとずっと好きだからね? だから、悲しい気持ちにならなくて大丈夫だよ」


 ルーシーがレティリエの胸に顔を埋めながら言った。レティリエはその言葉で全てを理解した。

 恐らく子供達は先程の貯蔵庫での老人とのやり取りを見ていたのだ。ジャンやルーシーはその場にいなかったが、他の子供達から詳細を聞いたのだろう。グレイルも事情を知っているのか、優しい眼差しで子供達を見ていた。


「ありがとう、二人とも。折角だからこれは今日の晩御飯に使いましょう。ジャンとルーシーも来てちょうだい。マザーも喜ぶわ」


 そう言って二人を抱き締める。二人はくすぐったそうに身をよじったが、大人しくされるがままになっていた。

 村の大多数からは疎まれているかもしれないが、マザーやグレイル、子供達だけは自分の存在を認めてくれている。

 

 そのささやかな喜びが、レティリエを強くしてくれていた。

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