第5話 豊寿の祭り

 緑の木々が各々赤や黄へ装いを変え、豊寿の祭りの季節になった。


 村の中心には祭壇が組まれ、広場全体に盛大なご馳走が並ぶ。秋の豊寿の祭りは豊作や狩猟の成功を祈願するのが目的だが、若い狼達は冬の祭りに備えて番の相手を探す為に浮き足立っている。毎年この時期は若い狼達にとって人生をかけた一大行事なのだ。

 

 レティリエは大きな樹の枝に座り、ヤマモモのパイをかじっていた。このヤマモモは、今朝レティリエが採ってきたものであり、パイも自分で焼いた。ヤマモモが好きな彼が食べてくれるといいなと思い、愛しい人の姿を思い浮かべる。

 パイを噛りながら尻尾と足をぶらぶらさせ、眼下に広がる華やかなお祭りを眺めた。

 あちこちで焚き火がたかれ、獣肉が焼かれてあたりに美味しそうな匂いが漂っている。焚き火を囲んで談笑するもの、既に夫婦となり睦まじく過ごすもの、雌の気を引こうと自分が狩った獲物を手に武勇伝を語る若者など、それぞれ思い思いのやり方で祭りを楽しんでいた。

 

 ふと視線を下に向けると、ナタリアに一生懸命話しかけるクルスの姿が見えた。

 大袈裟な身ぶり手振りで話すクルスに、時折手を叩いて喜ぶナタリアを見て、レティリエは微笑んだ。ナタリアは自分にも優しくしてくれる数少ない女の子だ。以前に話した時に、クルスのことが好きだと言っていたことを思いだし、幸せに輝いている彼女へ心から祝福を贈った。

 そしてつい探してしまう黒色の愛しい彼は、先程から何匹かの雌狼に話しかけられているが、その度にレベッカが追い返している。


 レティリエはじっとレベッカの姿を見つめた。

 肩まで切り揃えられた赤い髪に、鋭い目。肢体は筋肉で覆われ、文句なしに美しい雌の狼だ。

 私も彼女ほど強さと自信があれば、あんな風に好きな人を独占することができたのかしら。嫉妬心は感じない。それを思うには、あまりにも彼女と自分はかけ離れすぎている。

 だから、二人が夫婦になってもレティリエは祝福をするつもりでいた。笑って二人におめでとうと言って、その日は少しだけ泣いて、それでおしまい。グレイルと自分の人生が重なり合うのは、彼とレベッカが夫婦になるまで。

 だからこそ、今触れあえる距離にいる一瞬一瞬が自分にとってはとても大事な時間なのだ。


 ぼんやりと物思いにふけっていると、ふいに肩を叩かれた。驚いて振り向くと、今しがた思い描いていた愛しい顔が目の前にあった。


「きゃぁ!!」


 小さく悲鳴をあげて咄嗟に距離をとってしまった拍子に重心が傾き、樹から体が離れていくのを感じた……瞬間、がっしりとした腕に抱きとめられた。


「おっと、大丈夫か?」


 右手で頭上の枝を掴んで支えにしたグレイルが、左手でレティリエの腰に手を回して抱きとめていた。なぜか右手には肉が刺さった串を持っている。

 突然の出来事に理解が追い付かず、固まったままでいるレティリエを、グレイルが腕に力をこめて引き寄せた。レティリエの体がグレイルの胸元まで持ち上げられ、そのまますとんと隣に座らせられる。

 抱き寄せる形で座らされた為、グレイルの胸にレティリエの背中がピタリとくっついていた。


「グッグレイル!! あっあの、あの、ありがとう……!!」

「いや、急に話しかけた俺が悪かったな。ごめん」

「うっううん、大丈夫……」


 真っ赤になってあわあわしながら、レティリエはお礼を言うことしかできなかった。意識は先程の腕の感触と触れあっている背中に向いている為、頭の中が混乱してぐるぐる回っている。


 だって背中が……とても熱い。


 毎朝並んでグレイルと一緒に話す時は、周りの狼の目もあり、あまり近づきすぎないように気を付けているので、ここまで至近距離で話すのは初めてだ。肩越しにグレイルの体温や息遣いを感じ、レティリエは次の言葉が紡げなかった。

 そんなレティリエの様子などどこふく風で、グレイルは右手に持っていた肉の串をズイとレティリエの前に差し出した。まだ焼きたてで、香ばしい匂いが鼻をつく。


「お前見たところ全然肉食べてないだろ。これ食えよ」

「えっ? で、でも私、今日の狩りに参加できてないし、食べられないわ……」

「お前ならそう言うと思ったよ。これは俺が採ってきたイノシシだ。狩った張本人が食べろって言ってるんだから四の五の言わず食えよ。お前は小さすぎるんだからもっと肉を食った方が良い」


 レティリエは他の狼達と比べてもかなり小柄だ。グレイルは大柄な方だが、それでも大抵の雌狼はグレイルの目のあたりくらいまでの身長がある。対してレティリエはグレイルの胸くらいまでの高さしかない。

 狩りに参加できない後ろめたさから肉はほとんど食べないレティリエを心配して持ってきてくれたのだろう。レティリエは遠慮せず素直に受けとることにした。

 

 パクリと一口肉にかじりつく。ジュワッと肉汁が溢れでて口腔を満たした。お肉ってこんなに美味しかったかしら……とレティリエはひとりごちた。多分その理由は、久方ぶりに食べる肉だからという理由だけではないだろう。

 レティリエは上目でそっとグレイルを見た。途端に輝く金色の瞳とカチリと視線があい、慌ててそっぽを向く。子供の頃からの仲で付き合いは長いはずだが、レティリエはどうしても正面から見て話すことができない。

 自分への視線を感じて顔が熱くなるのを感じるが、レティリエは景色を見るフリをしながら、肉にかじりついた。

 昔は一緒に狩りの練習をしたり、探検に出掛けたりと仲良く遊んでいたのに。でも昔のグレイルはもう少し細かったし、レティリエと同じくらいの身長だったはずだ。大人になった彼は背丈も遥かに高くなり、精悍な顔と逞しい肉体、艶やかな黒の毛並みを持つ青年になった。恋心を意識してからはもうダメだ。

 レティリエは密着した背中からグレイルの体温と視線を感じて、肉の味がわからなくなってきた。

 頬杖をついて暫くレティリエを眺めていたグレイルは、持ってきた肉を食べ始めたレティリエを見て満足そうに頷いた。


「旨いか、良かったな。俺はもう行くぞ」

「うん、グレイル、ありがとう」


 どうやら本当に肉を届けにきてくれただけらしい。体をひねり、座っていた枝にぶらさがると勢いをつけて地面へ跳躍した。少しだけ名残惜しさを感じながら、レティリエは去っていく黒の姿をいつまでも見ていた。



 宴もたけなわとなり、酔いつぶれて寝てしまう者や、子供を連れて家に帰るものも増えた。

 レティリエは夜風にあたりながら、胸に手をあてた。まだ少しドキドキしている気がする。幼い頃を除いてあんなに至近距離で話したことはないし、体が触れあうことも初めてだ。想い人とのやり取りが胸を踊らせる一方で、無理やり蓋をしていた恋心が顔を覗かせ、叶わない思いに胸がチクンといたんだ。わかっているつもりでも、やっぱり本人を目の前にしてしまうとどうしても胸の高鳴りは押さえられない。

 もうすぐ孤児院の子供達を寝かしつける時間だからそろそろ戻らないといけないが、あと数刻だけでもレティリエは夜風にあたって体の火照りを鎮めたかった。

 何気なく山の方へ目線を向けると、何かを感じてレティリエは眉を潜めた。暗闇にぽうと五つほどの小さな光が浮かび、ゆらゆらと揺れながら移動している。


 恐らくあれは松明だ。誰かがそこにいる。

 

 そしてその光は少しずつだが狼の集落へ近づいていた。道に迷った子供を連れ帰る狼かもしれないが、狼は夜目が効くため、松明は使わない。そして今は運の悪いことに豊寿の祭りで警備が手薄になっている。

 レティリエは様子を確かめるために、樹から降りると光の方へ走り出した。


 光が近づくにつれ、ガヤガヤとした話し声も聞こえる。レティリエは音を立てないように近づき、木々の影からそうと顔を出して様子を伺った。

 自分達によく似た姿形の者が話ながら歩いている。しかし、彼らには獣耳や尻尾がなく、自分達よりも上等の衣服を身に纏っている。


 人間だ。レティリエは確信した。


 一人か二人の人間がたまに森へ迷いこんでくることはあるが、今ここにいる人間は五人。しかも各々手に捕獲網や弓、剣など厳重な装備で身を固めている。彼らの目的はわからないが、このまま移動を続けると間違いなく狼の村へ到達してしまう。

 

 早く村へ知らせて警戒の体制を整えなければ、とレティリエは踵を返して走り始めた。誰何すいかする言葉を振り払い、一目散に駆け出す。

 レティリエは狼にこそなれないが、人狼である為に脚の速さは人間の非ではない。加えてこちらには地の利がある。追い付かれることはまず無かった。


 しかし、突如頭部に強い衝撃を受け、レティリエの視界は暗転した。体ごと弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。「う……」痛む頭を押さえつつ素早く体勢を整えて逃げ出そうとするも、間髪いれず尻尾を押さえつけられ、レティリエは弾みで再度地面に叩きつけられた。振り返ると、屈強な体をした人間の男がレティリエの尻尾を踏みつけて体を地面に縫い止めていた。


「おぉーい、どうしたー?」


 前方から声が聞こえ、五つの炎がゆらゆらと揺れながら近づいてくる。


「わりぃ。松明の火が切れちまった……そっちに合流しようとしたら何かがすげぇ速さで近づいてきたから仕留めたんだが……なんだこりゃ、エルフか?」

「違う、獣耳と尻尾がついてる。こりゃあ人狼だな」

「チッ、人狼か。そいつぁ気性が荒すぎて番犬にもならねぇし、特に売れねぇな」

「いや待てよ。こいつを見てみろ」


 松明の炎が近づき、レティリエの顔を明るく照らし出した。

 松明の下に晒された銀色の髪と白い肉体、恐怖に見開かれた金色の瞳を見て、人間達が息を呑むのがわかった。


「おいこりゃあ……すげぇ上玉じゃねぇか」

「そもそも銀色の狼は今まで見たことがない。これは高く売れるぞ! 下手をしたら人魚より……いや、エルフより高く売れるかもしれねぇ!」

「おいお前ら、傷つけないように運べよ。おいお前、得物は何だ?」

「松明の柄だ。見たところ出来たのはこぶくらいで他に傷は無さそうだ」

「そりゃあ良かった。傷物は商品価値が下がるからな」


 口々に言いながら、人間の男達は捕獲の準備を始めた。


 レティリエは先程から何度か脱出の機会を伺っていたが、レティリエの倍程もある大柄な男がガッチリと腕を掴んでおり、振り切ることができなかった。

 一人の男が腕に抱えている太い荒縄と鎖のついた首輪を見て、レティリエは逃げ出すことが不可能であることを悟った。


「暴れて怪我でもされたら一大事だ。いいこでおねんねしてろよ」


 腕にチクンと何かを刺され、レティリエは睡魔の海に沈んだ。

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