ありふれた諍いの記録

瀬戸の蝙蝠

加賀明日香容疑者の供述

 あの、供述調書っていうんでしょうか、こういうの。どこまでが記録されるんでしょう。何分、こういうことが初めてなもので。もしかして、作法みたいなものってあるんですかね。自分に不利になることは言わなくてもいい、みたいなのをドラマで見たことがあるんです。

『こちらの質問にお答えいただくだけで結構です。事件当日、何があったのか、何故加賀佳乃さん、あなたの姑さんですが、その人を、殺害するに至ったのか、お聞かせ願えるところだけをお願いします』

 え、ああ、はい。その、まだ少しふわふわして、ふふ、現実じゃないみたい。夢を見てる途中みたいな、わかります?つかみどころのない感じ。今にも目覚ましの音が聞こえてきそうな、なんだか、そう、そうです、布団の中にいるみたい。こんな話、してもしょうがないかもしれませんが、でも本当に、不思議なんです。どうして、あんなことが出来てしまったのか。やっぱり、服装って、大事なんですかね。

『出来るだけ、簡潔にお答えいただきたいのですが、事件当日、お二人の間に何がありましたか?』

 改まって聞かれると、少し困ってしまうのですが、特別何かがあったかっていうと、多分なかったんじゃないかなって。その、でも、別に、仲が良かったって事じゃなくって、なんていうか、普段から少し、いびられてた、んですかね。お小言が多い人でした。去年、あ、私、結婚して二年目なんですが、同居を始めたのは去年の暮れくらいからだったと思います。旦那のお父さんが亡くなってしまって。あんまりお話したことはありませんでしたが、穏やかな人でした。付き合い始めた頃に、ご挨拶に伺った時も、よく来たねぇって、笑顔で迎えてくれて。ずっと笑顔でお話ししてくださったように思います。そのお義父さんが亡くなってすぐ、同居をすることになったんです。旦那から佳乃さんに提案したみたいで。父さんが死んじゃって、老後に一人じゃ寂しいだろうから~って。私は、ちょっと嫌だなって思ってたんですけど、でも、落ち込んでるところを見てしまっていたので、つい。その時に、ちゃんと断っておけばよかったんですかね。一緒に住んでなければ、こんなことにはならなかったのに。

『当日のことについて伺いますが、明日香さんは、事件が起こる前、何をしていらっしゃいましたか?』

 近所のスーパーで働いていました。ちょっと前から、働きに出るようになったんですよ、パートタイムで。その、どうしても家の居心地が悪くて。あと、家計の足しになればなって。佳乃さん、うちの旦那を甘やかしたいのか、家計を考えてくれないというか、旦那のためにって、私が買わないようなちょっと高いものばかり買って来るんです、牛乳とか、卵とか、あとは、お酒ですかね。発泡酒じゃなくてビール。それで、勝手に買ってきて、レシートを渡してきて。だから、ちょうどよかったんです。一緒にいる時間を減らせるし、その時間でお金が稼げるし。旦那からは、母さんを一人にしても大丈夫なのかって言われましたけど、お金の話をしたら、しぶしぶ納得してくれましたね。

 仕事自体は、最近慣れてきて、ちょうど楽しくなってきたところですね。作業の勝手も分かりだしてきて。何より、職場の人はいい人ばかりで。佳乃さんの話なんかもう、話してる私からしても全然面白くないのに、ちゃんと聞いてくれるんですよね。レジ打ちの彩ちゃんも私と一緒で、家に居たくないからって働きに来てるみたいで、早く別居したいーなんて言っていましたね。それで、その日も一緒に愚痴で盛り上がって。帰りたくないなーって言って時計を見たら7時半を回ってて。急いで帰りましたね。

『事件が起こったのは、帰宅されてすぐとのことでしたが、ゴーグル、マスク、ゴム手袋は、どこで手に入れたものでしょうか。普段から使われていたものですか?』

 あれは、職場の備品です。帰り際、慌てて帰り支度をした時に、そのまま持って帰っちゃったみたいなんです。普段なら、ロッカーにしまったり捨てたりしてから帰るんですけど、急いでたからそのままカバンに放り込んじゃったみたいで。家に帰ってようやく気づいて、びっくりしちゃったんですよ。ああ、やっちゃったなって。それで、捨てようと思ってキッチンに行ったら、佳乃さんがアイスを食べてるところに出くわして。ハーゲンダッツでした。高いから買わないでって何回も言ったのに。洗い物も、そのまま放置してありましたね。旦那の帰りが早いときは、片づけてくれるんですけど、その日はちょうど遅くなるからって言ってたので。いつもよりぐちゃぐちゃだった気がします。もしかしたら、勝手にお友達をうちに招いてたのかもしれません。カップも、お皿も、佳乃さん一人で使うにしては多かった気がするので。ゴミ箱も、ふたが開いたままでした。コバエが出るから閉めてくれって何回言ったか。

 それで、ただいま帰りましたって一応挨拶をしたんですが、無視されまして。まあ、旦那が居ない時は大体そうですから、またかって思って。片づけようかなってキッチンに入ろうとして、すれ違いざまに小さく、意地汚いって言われたんです。もしかしたら、違うかもしれませんけど、確かめようがないですよね、もう。何か、小言を言われたんです。耳を疑いましたね。何が?誰が?自分のことじゃなく?どこを見て言ってるのかって。その時に、ちょうど捨てようと思ってたマスクとゴム手袋を身に着けてみたんです。ああ、ゴーグルも、ですね。それで、手近なところにあったすりこぎと包丁で。

『あの、すいません、少し話を整理させてください。お二人は普段からあまり仲がよろしくなかった。同居生活に関しても、明日香さんが仕事に出る必要を感じる程度に、金銭的、精神的な面でうまくいっていなかった、その鬱憤が溜まっていたところに、佳乃さんが決定打となる一言を言い、明日香さんはその言葉が引き金となって、かっとなって殺害を決意した、ということでよろしいでしょうか』

 そうですね、まとめると、そうなるんじゃないかなって思います。自分で話しててなんですけど、どうしても話が横道にそれちゃって。ああでも、かっとなってかどうかは、どうだろう。あの時は、もう少し冷静だった気がします。もっとこう、冷めてました。仕方ないかなって。

『事件当時、何故マスクとゴム手袋と、あと、ゴーグルですか、それを身に着けていたのでしょうか。この部分がその、少し気になったもので。答えられないというのであれば、それはそれで結構です』

 その、なんでしょう、刑事さんは、触りたくないものってありませんか?どうしても怖気が走るというか、鳥肌が立つというか。私、虫が苦手なんですけど、虫を見るとどうしてもそういう風になるんですよ。結構気に入ってる小物とかでも、虫がついてるのを見ちゃうともう駄目で、洗っても洗ってもとれない気がして、結局捨てちゃうんですよ。

 それでですね、その、佳乃さんと同居することになって、しばらくしてから、多分、佳乃さんがお元気になられてからなんですけど、漠然と佳乃さんが虫みたいに思えてきたんですよ。大きい虫。だからか、あまり素手では触れたくなくって、お風呂も、湯を張り替えたり、洗濯物も別にしたり、食べるものもって、ええ。我慢、してたんです。汚いから、触りたくないし、仕方ないんだって。

 でもですね、スーパーで働いてるときに、ちょうどその、ゴキブリなんですけど、ゴキブリホイホイを片付けなきゃいけなくなって、どうしても駄目だな出来ないなって言ってたら、ゴム手付ければ出来るよ、平気だよって。なんだったらゴーグルもマスクもつけておけば安心だって。多分気休めで言ってらしたと思うですが、仕事だから嫌でもやらなきゃって、フル装備でいざ触ってみて、やったらその、出来たんですね。直接触ったわけじゃないんです。ぎりっぎりの端っこをつまんで、ごみ箱に運ぶだけ、それだけなんですけど、それだけのことが出来た時に、なんか、多分本当、その時から、これなら虫にでも、汚いものにでも触れる、出来る、みたいな、気持ちになって。この格好をすれば、出来るんだ、みたいな。だから、多分なんですけど、あの時、あの格好になったから、あの姿だったから、殺せたんだと思います。じゃなきゃ、あんな汚いこと、出来なかったんじゃないかなって。

 だから、多分一番悪かったのは、備品を持って帰っちゃったこと、なんですよね。あれさえなければ、わざわざ佳乃さんに触ろうなんてしなかったし、出来なかったし。そう、そうです。やっぱり、駄目ですね、急いだり、慌てたりしたら。旦那さんからもよく言われてたんですよ、もっと落ち着いて行動しろって。あの日も、もっと落ち着いて行動してたら、よかった。そう、本当に。

『そうですか。ありがとうございました。調書作成へのご協力に感謝します』

 こちらこそ、ありがとうございました。こうして話してみて、なんか、今ようやく実感が湧いてきました。ええ、夢じゃないんですね、これ。はは。佳乃さんを、殺しちゃったんですね、私。あーあ、やっちゃった。

『それでは、失礼します。後日又うかがうことがあるかもしれませんが、その時はご協力をお願いします』

 え、ああ、はい、よろしくお願いします。うん、はあ、あーあ、なんだろうな、汚れちゃったなぁ、私。あんな格好、するんじゃなかったな。

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ありふれた諍いの記録 瀬戸の蝙蝠 @usokuchi

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