スマッシュブラジャーズDX

JN-ORB

第1話

 梅雨が明けて一気に気温が上がり、エアコンなしでは生活出来ないような猛暑の季節。古びて明滅を繰り返す蛍光管が唯一の照明である六畳一間の和室の中心で、私は大の字に寝転びながら思考の海を漂う。



 私は物心ついた頃から膨らんだ胸部が好きだ(大きければ大きいほど良い)。

 自我が芽生える頃には既にそれを恋慕し、執着心は愛と呼べるほどに膨らみ、魂の奥底からそれを欲していた。



 しかし齢が四十に差し掛かろうとしている今でも、私の胸部にはソレはない。

 …ないというのは語弊がある。ゼロではない。中年太りでだらしなく僅かに膨らんだソレがあるだけである。

 私が求めているような大きさや美しさは微塵もないばかりか、見た者全てを虜にするような情熱のパトスも溢れ出ていない。



 私にソレがないのであれば、世界に数多とあるソレのために私は一体何が出来るのだろうか。

 私が愛してやまない、私ではない誰かに備わる立派な胸部の装甲ともいえるソレに私は何を提供できるのだろうか。私という存在が胸部のために出来ることをひたすらに考えることにした。



 一日目。

 私は仕事にも行かず、薄暗い六畳一間の和室で私は頭をフルに回転させて考えた。

 会社からの着信が鳴り止まないが、今はそれどころではない。



 二日目。

 社会人としての責務も果たさず愛を叫ぶのは私の愛する全ての胸部に失礼ではないか。そう思った私は会社に電話した。名乗った瞬間に電話の向こうから怒号が飛んでくるが、無視して言葉を紡ぐ。

「止むに止まれぬ事情により会社に行くことができません。少しの間休みをいただきます。」

 電話を切るために耳元から携帯電話を離すがまだ怒号が聞こえる。無視して電話を切るが、すぐに会社から着信が来た。私は切断ボタンを押して着信を止め、携帯電話の電源を落とした。

 そして思考の海へ潜っていく。



 三日目。

 飲まず食わずで三日目に突入してしまったせいか視界と思考が不明瞭になってきていることに気付いた。

 私は思考を中断し、水分補給と栄養摂取のために体調不良の時に必ずと言っていいほど差し入れされる清涼飲料水「アポカリプスエット」と、時間のないサラリーマンの心強い味方である四角い棒状の栄養補助食品「デブリーメイト」を摂取する。

 人心地ついたところで再度思考の海の奥深くへと潜っていった。



 四日目。

 私は思考の海の海底から急浮上する。

 これだ。これしかない。

 私は全ての胸部、いや、もう胸部なんて堅苦しい表現はやめよう。


 私の愛を最大限に表現するために、おっぱいと言おう。


 そう、私は全てのおっぱいのため、ブラジャーになるべきだったのだ。




 私はブラジャーになるべき、いや、ならなければならないということはわかった。しかしどうしてもクリアしなければならない大きな課題というか疑問がある。



 どうやったらブラジャーになれるのかと。

 がブラジャーにならなければならない。


 まず私は文具店に走り、絵の具と筆を買ってきた。

 そして全裸になり、全身に可愛らしい花柄ペイントを施した。


 姿見で自分自身を確認する。

 ただの奇天烈なボディペイントを施した全裸のおっさんがそこにいた。


 非常にいただけない。これではブラジャーどころの騒ぎではない。

 アメリカのホラーをウリにしている潰れかけの遊園地の売店でハンバーガーを手渡ししていそうな変態ブッチャーである。



 私は何を間違えているのか。

 ブラジャーになるためには何が必要なのかを考える。



 ブラジャーになるためにはまずはブラジャーを着用し、ブラジャー着用者の気持ちを知らなければならない。

 ブラジャーになるためにはブラジャーを着用し、ブラジャーを感じ、ブラジャーの気持ちを知らなければならない。

 ブラジャーになるためにはブラジャーであるという自己認識をしなければならない。

 ブラジャーになるためには…………



 思考の中で私は気付いていた。

 一足飛びにブラジャーになれるわけがないという事実に。

 そうか、ブラジャーに至る過程の一歩目から大きく間違えていたのだ。


 私は慌ててスーツ戦闘服に身を包み、必要なものをボストンバックに詰め込み、家を飛び出した。




 千里の道も一歩から。


 まず私はランジェリーショップのマネキンになることにした。

 最寄りのショッピングモールのランジェリーショップに何食わぬ顔で入店し、そして試着室に入る。

 試着室のカーテンを閉める瞬間、20代前半ぐらいの可愛らしい店員と目が合った。ヤバそうな奴を見る目で私のことを凝視している。

 怪しい者ではないのでご安心いただきたい。

 私はカーテンを閉めた。



 ランジェリーショップの試着室で私はサラリーマンの制服とも言えるスーツを脱ぎ、そして全裸になる。体には花柄のボディペイントがそのままであったが、炎天下の外を走ったせいで滝のように流れている汗でペイントが流れ落ちており、先程の可愛らしい花柄ペイントから一点、異様な様相を漂わせている。

 次は汗をかいても流れ落ちないような、耐水性のペンキのようなものでペイントするとしよう。

 課題として記憶に残しておくことにする。



 そして持ち込んだボストンバックから戦闘服を取り出し、私という戦うボディをねじ込む。




 鼠径部の防具として情熱的だが”清楚”をその全てで表現している美しい白鳥パンツ。

 胸部には可愛らしさを全面に押し出している花柄ブラジャー。

 マネキンに顔は不要、黒い目出し帽を被る。

 そして頭部には帽子代わりに純白レース仕上げのT字バックのパンツ。



 完璧だ。どこからどう見てもランジェリーショップのショーウィンドウで、時に可愛く、時に格好良くポーズを決めているマネキンである。



 私は試着室のカーテンを勢いよく開け、そしてショーウィンドウへと歩き出す。


 先程目が合った店員とまた目が合った。

 恐怖で顔が歪んでいるように見える。なにかあったのだろうか。


 歩みを止めて店舗内を見渡すが、先程と変わりないおしゃれ空間が広がっている。

 見渡す限りブラジャー、ブラジャー、ブラジャー、パンツ、パンツ、パンツ……。

 何も問題はなさそうだ。私はショーウィンドウに体を向け再度歩き出す。


 ショーウィンドウの中にはマネキンが二体いた。一体はピンク色のレースのブラジャーとパンツと装着し、もう一体は空色のレースのブラジャーとパンツを装着している。……ここで問題にぶち当たる。


 一つ目の問題、私の立つ場所がないのである。ショーウィンドウは造花で彩られ、マネキン二体で既に満員御礼だ。

 そして二つ目の問題、私が今装着しているブラジャーは花柄で可愛らしさを全面に押し出したものだ。対してマネキンが装着しているブラジャーは総レース生地の大人びた印象を与えるブラジャーである。


 マネキンの装備と私の装備のコンセプトが全く合わないのである。

 仮に一体のマネキンをどかして私が立ったとしても、ショーウィンドウの中のコンセプトを破綻させてしまう。これではこの店の魅力が半減どころの騒ぎではなくなってしまう。かといって私のブラジャーを今更レース生地のものに変えるのも難しい、持ってきていない上に私に似合わない。何より今から自宅に帰ったところで今着けているブラジャー以外のブラジャーは持っていない。



 どうしたものかとショーウィンドウの目の前で腕を組んで考えにふけているとき、後ろから肩を二回叩かれた。


 私は忙しいんだ、私の邪魔をするのは一体誰だ。苛立ちを隠せぬ顔で後ろに振り返ると、紺色の警備会社の制服を来た男性が三人、珍獣を見るような目をしながら立っており、目が合うと同時に先頭の男性が口を開く。


「お話を聞きたいので事務所まで来ていただけますかね。」


 何を言っているのだこいつは。事務所に連れて行って私にえっちなことでもするというのだろうか。

 エロ同人みたいに。エロ同人みたいに。(大事なことなので二回言いました)


「断る。見ればわかるだろう、私は忙しいんだ。君たちに割いているこの数十秒さえ今は惜しい。」

「……わかりました、失礼します。」


 潔く彼らは退いてくれた。物分りのいい人間は好きだ。




 一時間後、私は警察署の取調室のパイプ椅子に座っていた。

 目の前に座る若い警察官の眉間には皺が寄っていて、私の事を上から下まで舐め回すように見ている。えっちなことでもするつもりなのだろうか、エロ同人みたいに。エロ同人みたいに。



 若い警察官は私のことをたっぷり一分間ほど舐め回すように見てから大きくため息をつき、そして口を開く。

「…それで、なんでそんな格好でランジェリーショップにいたんですか。」


 国家権力に逆らえるほど強くない上にやましいことなど微塵もない私は正直に答える。



「ブラジャーになるギタイするためです。」




 たっぷり三時間ほど怒られた後、覆面パトカーで家に帰された。


 ブラジャーへの道はまだまだ遠い。

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