8駅目 東中野

 心地よい風が吹いてきて白いレースのカーテンが揺れる。君は洗濯物を畳みながらまたあの歌を口ずさむ。少し悲しげな失恋ソング。誰を思い奏でてるいるの?


 同棲して1年半。

 朝起きて君の寝顔を見て、キスをして、一緒に朝ごはんを食べる。同じ時間に駅に向かい、君は総武線に乗る。そして仕事をして、家に帰る。君が夕飯を作り、2人でそれを食べ、食器を洗う。君は風呂に入り、向かい合って眠る。

 君との生活は小川が流れるように静かで緩やかで安心できた。でも、時々思う。僕にとって勿体ないくらいの君を作り上げたのは誰なんだろう、と。君に失恋ソングを歌わせるのは誰なんだろう、と。


 今日、君は遅くなると行って仕事に出掛けた。

 一日中予定のない僕は街歩きを決行する。ポカポカと暖かい日差しが心地よく、つい遠くまで歩いて行きたくなる。お寺に入り、少し休憩してまた歩く。

 少し日が暮れてきて、夕陽が赤く閑静な街を染める。それと同時に飲み屋に提灯がぶら下りはじめた。


 僕はそっと駅ビルに入り、残り少なくなった惣菜を一つ一つ見て君が好きそうな物を選んだ。よく君はメンチカツとクレソンのサラダを食べているのを知っている。商店街に入る。個人店がひしめき合い常連が多いこの街は時々僕を孤独にさせた。

 路地に入り、人通りが少ない道をひたすら歩きアパートを目指す。


 暗い部屋に灯りもつけず、僕はリビングに横たわる。君のいない部屋はとても静かだ。ラフなTシャツを着てテレビを見ている君をつい想像してしまう。あと数時間たてば、君は帰ってくるのに。


 今日はいつもより忙しいのかなかなか君は帰ってこない。先にご飯を食べて待つことにする。こんなにも味がしないのはいつぶりだろう。


 君はまだ帰らない。

 少しいじけたフリをしてベッドに入ってみる。布団を被ってみたものの、考えるのは君のことばかり。いつからこんなに寂しがり屋になったのだろう。僕は平凡だから、いつ君がいなくなってもおかしくはない。だから、どこかいつも心の準備はしている。でも、不安で寂しい。


 ガチャ

 少し建付けの悪いドアが開く。君が帰ってきた音に胸が高鳴る。でも、僕は君への想いが悟られないように強く目を瞑る。


「ただいま。遅くなってごめんね、小虎。」


 君は僕の頭をそっと撫でる。

 いじけて見せるつもりだったが、思わずグルグルと喉を鳴らしてしまう。


 君が僕を拾ってくれて、1年半が経つ。

 これからもずっと側にいて欲しいと願いながら、今日も僕は君を待つ。


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