冒涜鳥

「……ね……姉、さん?」


姉さんは返事をしない。

ただ無表情に真正面を見つめている。


わたしはゆるゆるとその視線を追い、グスタフ=エル=ヌークリヒ伯爵の顔を見た。


「素晴らしい」

伯爵は――にんまりと、笑った。


不意に、辺りが暗くなった気がした。


「こんなにあっさりと見抜いたのは貴女が初めてですよ。ミス・マレウス」

ずるいですわ伯爵。最初にクレド牛のステーキと言い切ったではないですか」

、とは明言しませんでしたよ。貴女あなたもそこを聞き逃さなかったから見抜いた」

「仰る通りです。限りなく灰色ですが、反則には当たりません」

姉さんは唇を吊り上げる。


「今まで何人食べたのですか」

「50から先は数えていません。別に意味の無いことだ」

「どうやって食材を集めているのです? まさか御自身で単独ではないでしょう」

「実は一人だけ、この城で私と秘密を共有している兵士がおりましてね。代々我が城に仕えている忠実な男です」

「なるほど。その唯一の共犯者が領民を浚ってくると。屠殺や調理も?」

「まさか。それらは他人には任せられない。彼の仕事は食材を地下牢に閉じ込めるまでです」

「実は、ワタシも少し狡く立ち回りました。伯爵の御趣味、以前から噂に聞いておりましたの」

「なんですって。彼が裏切る筈はない。どこから情報が漏れたと?」

「それこそ各地の暗黒市場ブラックマーケットで。アスクレウスで近年、謎めいた誘拐や神隠しが多発している。けれど身代金の要求が起きた例は無いし、市場に臓器が流れ始めた様子も無い。犯人は単なる殺人狂で、いつも死体をどこかに遺棄しているのか。或いはまさか……という具合ですわ」

「なんとまあ。知らぬは本人ばかりというわけですか。人の噂とは怖いものだ」

「無論、本気で伯を疑っている人間などそうは居りません。大半は悪趣味極まりないゴシップとして雑談の種にしているだけです。けれど結局、煙の立つ所には火種が在ったというわけで」

「なるほど。やはり悪い事をするとばれるのですなあ」


二人は淡々と言葉を交わす。

どちらの声にも、特別な感情の響きはない。

どちらの顔にも、罪悪感や背徳感はない。

狂気さえもない。

わたしには、その会話の内容が理解できない。

――そんなもの、絶対に理解したくない。


「さて伯爵。ともかくゲームはワタシの勝ちという事で。何でも一つ、言う事を聞いて頂けるお約束でしたわね」

「ああ、そうでした、そうでした。さてミス・マレウス、私に何を望まれます?」

「畏れながら申し上げます。実はアナタには、退のですわ」

姉さんが単刀直入に告げると、初めてグスタフ伯爵の表情に翳りが見えた。


「……なるほど。そういうわけですか」

肉に埋もれてほとんど存在しない首を微かに振り、悲しそうに呟く。

「結局のところ、それが目的だったと。貴女は何者です? 守護機関ガードフォース? 或いは国家に雇われたいぬですか? ……残念だ。貴女とは、良い友人になれると思ったのに」


? 伯爵。嘘はいけません。人を傷付けるような嘘は」


姉さんはと首を振る。

「今のゲーム。もしもアナタが勝っていたらワタシたちに何を望んだか、当てて見せましょう」


――まさか。

嫌だ。

そんなの、聞きたくない。


「ねえ伯爵」

しかし姉さんは、うっすらと嗤いながら言葉を続けた。


「もしゲームに勝てば、アナタは、ワタシとこの子を、食べていたのでしょう?」


伯爵は答えない。


「文句は言いませんわ。ワタシは勿論、ゲームに負ければ大人しく食べられるつもりでした。聞ける範囲のお願いは何でも聞く。そういう条件で受けたのですから。だから伯爵。アナタも真摯フェアに結果を受け入れるべきです」


「……いや。それは出来ませんな」

伯爵の瞳が、淀んだ光を帯びた。

「この地位を失えば、私は死んだも同じだ」

次の瞬間、その手が素早く伸ばされ、テーブルに置かれたフォークを掴んだ。


「きゃうっ!」

わたしは思わず悲鳴を上げて椅子から跳びあがりかけるが、姉さんは動かない。


伯爵はわたしたちを襲おうとしたのではなかった。皿に乗ったステーキの残りを突き刺したと思うと、無作法に横から噛り付く。


「ああ……美味い。これが、これだけが、私の生き甲斐なのです」

領民の――本来なら自らが護らなければならない者の肉を頬張りながら、伯爵は開き直る。


「私は伯爵の地位からは降りない。誰にも降ろす事など出来ない。ミス・マレウス、どうします? 私のおぞましい秘密を暴いたと糾弾しますか? そんな事をしても無意味だ。私だって国の秘密を幾つも握っている。守護機関ガードフォースに流れる不正な賄賂、法務大臣が過去に酒場の喧嘩で相手を殺した証拠。国王がめかけに出した恋文まで持っているんだ。どんな御偉方おえらがただろうが、自らの秘密を暴かれる覚悟で私を罷免ひめんすることなど出来は」


「伯爵、を教えてあげましょう」


姉さんは、唐突に言った。

いきり立っていた伯爵は、虚をかれて言葉を切る。


「……なんですって?」

「だから、阿呆鳥の秘密」

姉さんは表情を変えない。

「さっき召し上がって頂いたでしょう」

「……いきなり、何の話ですかな?」

伯爵はわけが分からないというように眉を顰める。


実際、姉さんはわざと分からない言い方をしているに違いないのだ。よく分からないタイミングで意味深な事を言って思考を停止させ、人の心に無理やり間隙かんげきを作る。

姉さんの得意とするやり口の一つだ。


「……さっきの鳥が、阿呆鳥が今さらどうしたのです。秘密とは?」

はたして姉さんの目論見通り、伯爵の態度が受け身の姿勢になった。今まで何度となく見てきた光景だから、わたしは何となく察する。


いよいよ、『災星の魔女』が――人の心を汚しに掛かるのだ。


「伯爵。先ほど召し上がった阿呆鳥……とても美味しかったでしょう? 一体どうして、あれほど美味しかったのだと思います?」

「どうして? 理由などないでしょう。美味いものは最初から美味い」

「大体の食材は、そうですね。けれど阿呆鳥は別です。彼らが鳥類の中でも群を抜いて美味しいのには、一つの理由がある。伯爵。実は彼らは、のですよ」


わたしは強烈な吐き気をおぼえた。


「……お互いを、喰う?」

伯爵は姉さんの言葉を反復する。

「極度の飢餓状態に陥った虫は、同族を喰う事があります。また一部の蜘蛛クモ蟷螂カマキリに、交尾後に雌が雄を捕食する習性がある事は有名でしょう。それが只の食欲にるものなのか、或いは遺伝子に究極的な悲恋のメカニズムが組み込まれているのかは未だ分かっていませんけれどね。それに、ある種のケモノは、自分の遺伝子の優位を保つ為、血の繋がらない小個体を殺して喰う事もある。このように、世界には同種族を喰う生物と言うのは少なからず存在します」


姉さんの声は、地獄の氷のように澄み切っている。


「阿呆鳥も同じ。彼らはお互いを捕食し合う。しかし他の生物と絶対的に異なるのは、という点です。飢餓状態や、交尾の有無や、自らの遺伝子の優位などに一切拘らず、常態的に。例え他の餌と成り得るものが辺りに転がっていても、彼らはそれを無視して同族を、親が子を、子が親を喰らうのです。時たま、、何の脈絡もなく。、という風に呆気なく」


――狂っている。

そんなのは、世界への冒涜だ。生物として、致命的に間違っている。


「だから、彼らの個体数は減る一方。当然です。増える道理が無い。自ら滅びの彼方へ飛び去ろうとしているとしか思えない。愚かな生き物です。そして彼らは『阿呆鳥』と呼ばれる」


「……なるほどね」

伯爵は姉さんを睨み付ける。

「それを私に言いたくて、当て付けとして食わせたわけだ。私が愚かだと、鳥類並の阿呆だと。確かに、気の利いた説法だ。しかしミス・マレウス。だからどうしたと言うのです? そんな与太話を聞いた私が悔恨かいこんの涙を流し、伯の座を辞して守護機関ガードフォースに出頭するとでも思っているのですか?」



――


わたしは知っている。



姉さんが――『災星の魔女』が、そんな結末で満足するわけがない。

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