そんな法律はない

門番の言うとおり少しだけ待たされたが、わたしたちは簡単にグスタフ伯爵に謁見できた。


「どうも、お客様方」

グスタフ伯爵は、一目で健啖家と判る体型をしていた。こりゃ丸い。針で突けば割れそうだ。


「お待たせしてすみませんね。ちょうど昼食を摂っていたもので」

急な来客にも怯まず食事を続けるという度量。非常に好感が持てる。


「こちらこそ御昼時に申し訳ございません。マレウス=マレフィカルムと申します」

ごく自然に偽名を名乗り、姉さんは胸に手を当てて一礼した。

わたしも続けて頭を下げる。

「こちらは愚妹のルナにございます。伯爵に於かれましては御機嫌麗しく」

「そこまでで結構」

グスタフは人好きのする笑みを浮かべた。

「格式ばったのは好かんのですよ。何の実にもならぬ会話に時間を割くほど馬鹿げた事もない」

「同感ですわ」

姉さんは頷いた。これはわたしも同意である。


「で、そちらの少年は、……おや?」

レイの顔を見て、グスタフは眉を顰めた。

「きみ、どこかで見たことがあるな」

「…………」

レイは答えない。珍しく、ばつが悪そうな顔をしている。

「なあきみ、誰だったかね。どこかで私と会った事が……」

「いえ……人違いだと思います」

俯いたまま、レイはぼそぼそと言った。

よくわからない。このちびは最年少の『回天守護士ハイ・ガード』として、ある界隈ではそこそこ有名人なのだが、その線で認めようとしないということは、何か別の立場で話したことがあるのか?


「そうかね。しかし君の顔、どうも見覚えが……たしか……」

「あのっ、お手洗いをお借りしていいですか?」

レイは小声で続ける。完全にその場を逃れようとしているのが丸判りである。


「構わんよ。その通路を右に曲がって突き当りを更に右だ」

しかしグスタフは頓着しない人物のようで、あっさりとレイへの詰問を止めた。

「ありがとうございます。お借りします」

つんつん頭をぺこりと下げ、レイは法衣ローブをふわふわさせながら奥の通路に走る。

愚かなちびの真意が分からず、わたしは姉さんを見上げる。


姉さんは、相変わらずの無表情だった。


「ではミス・マレウス。早速ですが御用件を伺いましょう」

レイの姿が消えるのを見送った後、グスタフは姉さんに向き直った。

「はい。実はワタシ、中央の方で小さなを経営している者でございますが」

「ほう。料理屋」

伯爵の目が細められた。

「結構ですな。私も食には非常に関心があります」

「勿論存じておりますわ。西大陸美食協会の会長。多少なりとも料理に身を寄せている者の中で、グスタフ伯爵の名を知らない者は居ないでしょう」

「光栄ですな。それで?」

伯爵は特に気を良くした様子もなかった。確かに、つまらないお世辞は効かないようだ。

「飾らずに申し上げます。実は今日は、名を売りに来ました」

「ほう?」

「伯爵に御墨付きを戴ければ、ワタシ共の店の名前に箔が付きます」

「結構」

伯爵は微笑んだ。

「そうやって正直に言って頂いた方が、こちらとしてもやりやすい。……で、どうやって私に認められようという腹づもりかな?」

「決まっておりますわ」

姉さんに目配せされたわたしは無言で木箱を持ち上げ、伯爵に献上の素振りを見せる。

「ワタシ共の店のをお持ち致しました。美食協会の会長には、これを召し上がって一言『これは美味い』と仰って頂ければそれで事は足ります」


「非常に結構!」

伯爵は大きく頷いた。頬から下、かつては首と呼ばれたであろう部分の肉が震える。


「そうでなければいけません。食への評価は食によってのみ為されなければならない。どうぞ我々の店を御贔屓ごひいきに、と言いながら金品を差し出してくる輩がいるが、全く愚かとしか言いようがない。正に食に対する冒涜ぼうとくです」

「同感ですわ」

姉さんは頷いた。わたしも同意である。

「では早速、貴女方あなたがたの店の自信作とやらの味見を……ああ、そうだ」

グスタフ伯爵はにこりと笑った。


「私だけが御馳走になるのは悪い。せっかくだから、貴女方あなたがたも如何ですか?」

「ワタシたちも?」

姉さんはと首を傾げた。

「ええ。まずは貴女方に、我が城自慢のコックの料理を召し上がって頂き、貴女方の自信作が我が食卓に並ぶ価値があるかどうかを御自身で判断してもらう。……如何ですか? 私の意味でも、良い手順だと思いますが」


――美食協会の会長が自慢する、お抱えコックさんの料理。

わたしは、鋭く目を光らせた。


「なるほど。ですが」

姉さんは思案の素振りを見せる。

「約束も取り付けず、勝手に押しかけたのはこちらです。この上お昼まで御馳走になるというのは」


「いや、姉さん。この御提案は受けるべきです」

わたしが重々しく口を開くと、姉さんと伯爵は揃ってわたしを見下ろした。


「姉さん。たしかに一般的には、人さまに食事を奢って頂くというのは気後れする行為です。しかし今日わたしたちは、遊びや酔狂で伯に謁見しに来たわけではありません。我々の料理を認めて頂くために来たのですよ。その為には、伯が普段どのようなレベルの料理を食べているか予め知っておいたほうが良いのは自明の理。また、せっかくの申し出を断る事は、伯の面目を潰してしまう結果となってしまうでしょう。ですから姉さん、もはや事ここに至っては、我々は断腸の思いで伯の御厚意に甘えるのが最上の策であると、このわたしは判断します」


「……寡黙なレディだと思っていたのですが」

伯爵は意外そうに言った。

「なかなか弁が立つ」

「……自慢の妹でございますわ」


諸君。褒められたよ。ふっふっふ。


「そうと決まれば話は早い。私も同席しましょう。すぐに食事の準備をさせます」

伯爵は、その鈍重そうな外見からは予想し難い速度で巨躯を翻した。

「すぐに? 同席?」

言葉の意味を測りかね、わたしは思わずその後ろ姿に声をかけた。伯爵はぶるりと振り向く。

「どうしました、レディ?」

「え? ……いや……」

どうしました、って。

「あの、伯爵……さっき、昼食を終えられたばかりではないのですか?」

「そうですが、それがどうしました?」

伯爵は不思議そうな顔をする。


「何か、問題がありますか? レディの国には、食事の後すぐに食事をしてはいけないという決まりでも?」

「……いえ。ないです」

わたしは首を振った。


「しかし、お連れの少年が遅いですな」

まだレイは手洗いから帰ってきていない。

「ああ。あの子は構いません。店の者ではございませんし、もともと観光に着いてきたようなものですから。大方お城が珍しくてあちこち見回っているのでしょうが、お許し下さい」

「そうですか」

伯爵はのほほんと言った。


「では、こちらへ」

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