秘密の質問
わたしを含め、その場にいた全員の視線が一度に姉さんに向けられた。
「マジで?」
シンシアが姉さんの持っている社員名簿を見ながら呟く。
「それ読んだだけで?」
「確証はありません。ひとまず目星が付いたというだけですが」
「それにしても早すぎる」
リカルドが眉を顰めた。
「まだ彼らの誰にも、面会すらしていないのに? いえ、別に魔女様の手腕を疑っているわけではありませんが」
「何事も早いに越したことはあるまい」
バラムが棒読みで言った。
「で、犯人はどいつかね?」
「確証がないので、今ここで申し上げるわけにはいきません」
社長と副社長と令嬢のそれぞれをゆっくりと見渡し、姉さんは答える。
「まだ言えないって魔女さん、じゃあいつなら言えんだよ?」
シンシアが含み笑いをしながら言った。揶揄の意志を隠していない。
姉さんの言葉を、その場限りのハッタリだと思っているのだろう。
「そうですね。一つ、犯人に自供させる罠を仕掛けてみようかと思います」
「……自供させる罠? 何だいそりゃ」
「犯人しか知り得ない事実を、思わず自分の口で出させてしまう。いえ、警戒していても口に出さずにはいられなくさせてしまう誘導尋問を思いつきました。これを重役様達が集まる会議で実行してみましょう」
「誘導尋問? これは面白い」
バラム=ウロボロスは、わたしが見るかぎり、初めて笑った。
「パメラさんや。どのような言葉かね」
「それは現場でのお楽しみという事で。さて、次の重役会議はいつですか?」
「ちょうど明日、新商品の発表会がありますが……」
リカルドは不安そうに答える。
「本当に魔女様の手腕を疑っているわけではないのですが、そのような事が可能なのですか? 巧妙に正体を隠しているスパイに、自ずから口を割らせるなどと」
「魔女の知覚を侮って頂きたくはございませんね、副社長」
そう言った姉さんは何を思ったか、手に持っていた役員名簿を固く丸め、細長い筒状にした。
「お仕置きです」
「えっ!?」
冷たく呟くと同時に、姉さんはその先端をリカルドの鼻先に向かって素早く突き出す。驚いたリカルドは反射的に後ろに飛び退き、姉さんの突きを躱した。なかなか見事な足捌きだった。
「ま、魔女様。一体どういう……」
「大変失礼を致しました」
姉さんは悪びれもせずに唇を歪める。
「けれどワタシには、例えば今の咄嗟の動きだけで、初対面のアナタがブレイブソードを嗜んでいる事、段位としては二段ほどの腕前を持っている事が分かります。今の身の
「……そ……」
リカルドはぽかんと口を開けた。
「その通りです」
諸君には分かるだろうが、姉さんの言葉には嘘が混じっている。リカルドが剣術を嗜んでいることはそれまでの観察で類推していたし、カラテやバリツの経験者であることは握手した時の拳ダコから判断していた事実だ。全てをたった今の一挙動だけで知ったわけではない。
「いやはや、お見それしました、魔女様」
しかし一瞬で何もかもを見透かされたと錯覚しているリカルドは、薄気味悪そうな表情を浮かべている。まさしく清濁併せ呑む、姉さんのやり方である。
「ふーん、さすがに観察眼はあるんだな。じゃあ魔女さん、あたしについても何か分かる?」
「そうですね。先ほどの初対面の際は、本当は左利きであるのにワタシに隠した事、勉強は嫌いなどと仰いながら実際はオイロフィンクス民俗学の熱心な研究者である、という程度の事なら
「……へえ。なるほどね」
シンシアの顔から、挑発的な笑みが消えた。
「僭越ながら申しますが、『災星の魔女』の智慧に間違いはございません。必ず犯人を罠にかけて見せましょう。では、メモを一枚頂戴致します」
優雅に、しかし一切の反論を許さずに言い切った姉さんは、机に置いてあった白紙の便箋と万年筆を手に取り、自分以外の誰にも見えない方を向いてさらさらと何かを書き始めた。数秒で筆を止めると、便箋をゆっくりと四つ折りにして、同じく机にあった封筒に入れて
「一つの質問、というか疑問文と、一つの単語を書きました。この問いに対してこの単語を含んだ答えをした者が確実に情報漏洩者だと分かる、完璧な誘導尋問です。知らない者ならば間違いなく引っ掛かります。明日の会議が始まってすぐに、バラム社長の口から読み上げて頂きましょう。ひとまず今晩は誰の目にも触れないよう、どこかの金庫で保管して頂けますか」
「なんじゃ。今、見せてはもらえんのかね」
バラムが当然の質問を口にする。
「
「畏れながら、最初から知っているとどうしても社長の顔にある思惑が浮かんでしまいそうな、デリケートな事柄を記載しております。それを犯人に看過されてしまっては事を
「そうかね」
社長は渋々といった様子で封筒を受け取った。
「なら経理部の金庫に入れておく」
「ありがとうございます」
姉さんは恭しく一礼した。
「では、明日の会議をお楽しみに」
そうして、その場は一度解散となった。
わたしは姉さんに連れられて、質素な社長室を後にした。
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