第一話『輪廻蛇ウロボロス』

姉さんへの『依頼』は、必ず彼の淹れた二杯の珈琲から始まる

食事処しょくじどころ『エントロピー』。


中央大陸の北西部に位置する小国、アントロネシア。いつでも乾いた風の吹いている市街地の大通りに、その店はある。


早朝は喫茶店、昼は軽食屋、夜は料理屋兼バーと日がな営業形態を変える、なんとも忙しい店である。定休日は週に一日、一般的な飲食店と同じく『火の曜日』となっている。カウンターは9席、ボックスは40席ほど。

大小宴会、いつでも承っております。


別にマージンを受け取っているわけではないが、世話になっている店なので一応宣伝しておく。


さて諸君。一見すると何の変哲もない飲食店であるこの食事処『エントロピー』こそ、実は姉さんの『依頼』受付所となっているのだ。


その朝も姉さんと、その妹兼超有能な助手であるところのわたしは『エントロピー』のドアを開いた。ちりんちりんと鈴の音が弾み、いつでも漂っている上品な樫の匂いが鼻をくすぐる。

わたしたちが座るのはカウンター席と決まっているので、真っ直ぐ奥へと向かう。


「いらっしゃいませ」


さっそくカウンター越しに声をかけてきた白髪の男性がこの店の主人、マクスウェル=アマクサ氏である。


正確な年齢を訊いた事はないが、60から70歳くらいだろうか。その髪と同じ真っ白な口髭を蓄え、壮年もとうに過ぎた好々爺こうこうやであるが、なんのまだまだ働き盛り。この『エントロピー』の経営主、総料理長を独りで見事に勤め上げている剛の者である。

「美しき『災星の魔女』様と、その可愛らしい妹様いもうとさま。今日も見目麗しく」

姉さんとわたしの順に、微笑んで目礼する。

かわいらしい妹様。このように、彼は確かな審美眼も持っている。


「マクスウェル。世辞を言っている場合ではないでしょう」


ゆったりとカウンター席に腰掛ける姉さんの唇から、冷気のような声が漏れた。

「この店、そろそろ潰れるんじゃあないの」

わざわざ店内を見回して確認する必要もない。マクスウェルが姉さんを『その名前』で呼んだということは、今この店内にはわたしたち二人しか客が居ない事を意味しているのだ。


――『災星の魔女ディザスターウィッチ』。


その称号こそ、この星で最も恐ろしい姉さんを指す通り名。

法外な報酬の代わりに、どのような無理難題でも請け負う、世間から逸脱した超常の存在。

「それは魔女様、まだ早朝ですので」

上品な微笑みを絶やさず、マクスウェルは言った。

「もう少しすれば賑やかになりますよ」

くいっ、と銀縁の眼鏡を持ち上げて見せる。似合わない人間がやると滑稽な動作だが、この老紳士にかかれば非常に優雅な仕草となる。

「さて、依頼の前にお飲み物を。今日も珈琲で宜しいですね?」

わたしたちがいつも通りに頷くと、マクスウェルは慣れた手つきで豆を挽き始める。


姉さんへの『依頼』は、必ず彼の淹れた二杯の珈琲から始まる。

豆100%、この世の摂理のようなブラックの一杯は姉さんの分。

ミルクと砂糖をたっぷりと入れたキュートな一杯は、わたしの分だ。


「どうぞ」

やがて姉さんの前には真っ黒な珈琲が、わたしの前には茶色い珈琲が差し出される。


諸君にあらぬ誤解を与えてしまう危険性を考慮して解説するが、わたしはブラックの珈琲が飲めないわけではない。

よわい10歳にして圧倒的な知性の海を泳ぐわたしだが、なまじ頭の回転が早過ぎる故に、脳が常人を遥かに凌駕する量の糖分を欲しがるのだ。また、将来的には傾国けいこくの美女になることが約束されているとはいえ、まだ身体的に発展途上な部分も多いため、豊富な栄養を持つミルクの摂取も欠かす事ができない。

これらのむに已まれぬ理由により、わたしは珈琲に入れたくもないミルクと砂糖を入れるのである。

どうか諸君に間違った理解だけはされたくないので説明しておく。


「妹様。今朝がた、キシェーラ産木苺きいちごのクッキーを仕入れたのですが」

「……ほう」

長身の老紳士を見上げ、わたしはその瞳に怜悧れいりな視線を返す。

「お味見をして頂ける方を探していたところです。宜しければ、茶請けに召し上がりませんか」

「なるほど。いただきましょう」

わたしはおごそかに頷いてみせる。別にそれほど食べたいとは思わなかったが、断っては失礼にあたるだろう。

「ありがとうございます。それでは、どうぞ」

すぐさま、目の前に山盛りのクッキーが乗った素敵な大皿が差し出された。

あらかじめ準備していたのだろう。わたしの返答を予期していたに違いない。

わたしは彼の事を、恐らくこの星で十番目くらいに偉大な人間だと踏んでいる。


「では、私も今朝の栄養補給をさせて頂きます」

言いながら、マクスウェルは冷蔵庫から自分用の飲み物を取り出した。

黒いぶつぶつの沈んだ、乳白色の液体。この『ホムラホシ』ではかなりマイナーな、タピオカミルクティーという飲み物だ。

「マクスウェルおうは、本当にそれしか飲みませんね。そんなに好きなのですか」

「もちろん味も好きですが、げんかつぎ的な意味合いもあるのですよ、妹様」

カップにストローを突き刺し、マクスウェルはタピオカミルクティーを啜る。

カエルの卵みたいなのを真顔でちゅうちゅうと吸う老紳士の姿は、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、気持ちが悪い。


彼の、唯一の欠点である。

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