第3話 思い出に耽りながら

 男性は、スマートフォンを紗和に手渡すと、笑顔を見せながら再び禿げ上がった頭頂部を見せて深々とお辞儀した。


「無事に届けられて良かったです。お相手の方もいることですし、邪魔しちゃまずいでしょうから、これで失礼します」


 そう言うと、男性は二人の傍を通り、積もった雪を踏みしめながら歩き去っていった。


「ちょっと待ってください!」

 友成は、大声で男性を呼び止めた。


「え?ねえ、何で呼び止めようとするのよ!」

 紗和は友成のコートの裾を掴み、余計なことをするなと言わんばかりに阻止しようとした。


「僕の彼女が色々とご迷惑をかけてすみません!僕からもお礼を言わせてください」

 

 友成は、紗和の隣に立つと、深々と頭を下げた。

 すると男性は、軽く片手を振って、穏やかな笑顔を見せた。


「ああ、気にしなくていいですよ。困ってる人を見ると何とかしたいって居てもたってもいられなくなる性格なものですから」


 その時突然、男性のお腹のあたりから、グルグルグル……と強烈な音が響いた。


「あらら……お聞き苦しい音を出してしまい、すみません。今日は何も食べずに市内を観光していたもので、お腹が鳴ってしまいました。不快にさせてごめんなさいね」


 突然のお腹の音に紗和は顔をしかめたが、友成は顔を上げ、男性の顔を直視しながら叫んだ。


「でしたら、一緒に食事でもいかがですか?僕の彼女が世話になったんですから、ちょっとだけお礼をさせてください!」


 紗和は友成の言葉に驚き、しかめっ面で友成の腕を掴んで揺すった。


「冗談言わないでよ!助けてもらったと言え、なんで食事をこの人と一緒に?せっかく久しぶりに再会したんだもん、二人だけで食べようよ!」


 しかし、友成は紗和には見向きもせず、男性の顔を見続けた。


「いいんですか?お二人でデート中だったんでしょ?私が邪魔しちゃまずいですよ」

「いえいえ、僕たち久し振りの再会なのに彼女が怪我したらまずいし、スマートフォンも失くしたら大変だし、ここまでのあなたの行動には本当に感謝しています。な、紗和、この人に本当に感謝しているんだったら、少しだけでも付き合えよ」


 紗和は小声でブツブツ不満を口にしていたが、友成は必死の説得を続け、最後には渋々了解した。


「さ、行きましょう!すぐ近くに国分町もあるし、僕ら行きつけの美味しいお店もあるんで」


 そう言うと、友成は笑顔で男性の背中を押しながら歩き出した。


「んも~……友成くん、昔から自分で決めたことを絶対曲げない所だけは、いまいち好きになれないんだよなあ」

 紗和は、友成に聞こえない位の声でぼやきながら、二人の後を付いていった。


 やがて、三人はまばゆいオレンジの光に包まれた定禅寺通りから、忘年会のサラリーマンで賑わう国分町・稲荷小路に入った。

 東北一の歓楽街と言われるこの町で、数多く立ち並ぶ居酒屋の中、友成はわき目も振らず「三吉」という店に入った。


「ここに入りましょう。仙台支店に居た時は良くここに来たんです。紗和ちゃんも一緒に来たことあるよな?」

「う、うん」


 男性は、店の中を物珍しそうに見回しながら、友成に尋ねた。


「ここは、何かオススメがあるんですか?」

「おでんですよ。ここは仙台でも老舗のおでん屋さんで、僕はこの町に居た当時は、仕事帰りに美味しいおでんをたらふく食べて帰っていましたね」


 そう言うと、友成は店員に親し気に声を掛けた。


「あら!藤崎さん?久しぶりだね。今はどこにいるの?」

「今は東京に居ますが、来年からはニューヨークに行くことになって」

「すごい!じゃあますますここに来れなくなるわね」

「そうですね。でも、この店のことは忘れませんから。帰国したら遊びに来るつもりですよ」


 三人は奥の座敷席に案内された。

「さ、どんどん注文してください。まずは生ビールで。おでんのお勧めはロールキャベツかな?あと、おつまみの牛タン焼きも美味しいですよ」

「ほう、仙台はやっぱり牛タンですよね。じゃあ、牛タンを頂きますかね」


 最初に生ビールが運び込まれると、友成はジョッキを手に立ち上がり、軽く咳払いをして挨拶を始めた。


「えーと……とりあえず今日は、仙台と、仙台での出会いに感謝し、乾杯しましょう」

「乾杯!」


 三人は、しばらく黙々とビールを飲み続けた。

 やがて男性が空になったジョッキをテーブルに置くと、お通しを箸でつまみながら、少しずつ口を開いた。


「私は石本豊いしもとゆたかと言います。埼玉県のさいたま市から来ました。折角旅行で仙台に来たんで、この光のページェントも久し振りに見たいなあと思って立ち寄ったんです」

「え?仕事でなく、旅行でこちらにきたんですか」

「まあ、正確には半分は旅行で、半分は会う約束があったというのが正しいのですが」

「会うって、お友達ですか?」

「いえいえ、初めて会う方なんです。仙台の専門学校で先生をしている方なんですけどね」

「その人って、一体どうやって知り合ったんですか?」

「インターネットの、SNSで知り合ったんです」


 出会いのきっかけがSNSと聞いて紗和は思わず吹き出しそうになったが、友成は紗和に「笑うなよ」と諫めるかのように、怪訝そうな顔で背中を叩いた。


「かれこれ半年くらい、お互いメッセージを交換していました。夜中にも頻繁にメッセージを交換するくらいだったので、これは行けるかな?と思い、会う約束をしました」

「で、どうでした?結果は」

「会って一、二時間お話をして、それで終わりました。SNSと全然違って、そっけなくって私が話を振らないと相手もしゃべってくれませんでした。途中から私の顔もちゃんと見ないで、明後日の方向ばかり見てお話していましたし」

「じゃあ、脈無しってことで?」

「そうかも……しれませんね。というか、冷静に考えると、SNSなんかを当てにしていた自分が馬鹿でしたね」

「あの、失礼ですが……ずっと未婚なんでしょうか?」

「いえ、五年ほど前に離婚しています。それから再婚を目指して、お見合いをしたり、知り合いに勧められてSNSもやっていました」

「離婚?」

「数年間でしたが、連れ添った妻がいました。子どもは居なかったんですが、お互い仕事して収入的には安定し、休みの時には一緒に遠出とかもしてました。だけど、私の仕事が忙しくなると、妻を独りきりにさせてしまう時間が増えてしまいまして、お互いの間に段々距離ができてしまったんです。そしてようやく仕事が落ち着いて家に早く帰れるようになった時には、妻はもう家にいませんでした」

「……」


 生々しい離婚の話を聞かされ、友成と紗和はしばらく何も言えなかった。

 石本は、目を閉じてうつむきながら、話を続けた。


「仙台は妻の実家があって、昔はよく遊びに来たんです。お互い光のページェントが好きで、この時期になると一緒に見に行きましたよ。私が妻に結婚してくれって告白したのも光のページェントの会場でしたね」

「わあ!石本さん、見かけによらずロマンチックね」


 友成は再び怪訝そうな表情で、「余計な事いうなよ」と言わんばかりに紗和の背中を軽く叩いた。

 紗和は舌を出して、軽く頭を下げた。

 やがて三人のテーブルには、注文したおでんと牛タン焼きが所狭しと並べられた。


「美味しそう。『三吉』は有名だけど、地元住みでもなかなか来る機会無いからなあ。さっそくいただきま~す」


 紗和は男性陣より先におでんに箸を進ませていた。


「ああ、やっぱり仙台の牛タンは美味しいですね。香ばしくて、柔らかくて。妻も仙台の牛タンが一番おいしいって言ってましたよ」


 石本は、噛みしめるかのようにゆっくりと牛タン焼きを味わっていた。


「仙台の牛タンって、そんなに美味しいのかな?」

「別れた奥さんと一緒に居た頃の思い出が詰まってるんだろ。この町には、石本さんにとって思い出がいっぱい詰まってるんだよ」

「友成くんもそうなの?」

「まあな。この店のおでんもそうだよ。あ、もちろん、紗和のこともね」


 そう言うと、友成はむさぼるようにロールキャベツを食べた。


「わあ、やっぱり旨いや!この味が、僕にとっては仙台の思い出そのものだよ」

「ふうん……思い出の味、ねえ」


 『思い出の味』…その言葉がいまいち理解できない紗和は、首を傾げつつも、湯気を立てて美味しく煮だった大根をゆっくりと味わった。

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