第四話 それは死すらも超えるモノ
「産まれたぁ! 産まれおったぞおおお!! 〝食い物〟じゃあああ!」
突然叫び声が上がった。
見れば、顔を真っ赤にした鬼灯翁が、唾をまき散らし、喚き散らしながら、飛び跳ねるように喜びを露わにしている。
「おおおお!」
「おおおおお!」
生き残っていた島民達も、口々に歓喜の声を上げる。
彼らはみな、正装をしている。
腰には当然、眞魚木細工が括り付けられていて。
だから。
「うそ、だろ……?」
彼らは、ゆっくりと嬰児へ歩み寄っていく。
手に手に、包丁を持って。
「いくなぁ」
「いくな」
「いくなぁ」
「いくな」
『きゅ、きゅい……いいい?』
怯えたように後じさろうとする嬰児。だが、その手足は萎えており、力は入らない。
「いくなぁ」
「いくな」
「いくなぁ」
「いくな」
口々に歌いながら、目の血走った島民達が、仏像のごとき笑みを浮かべた島民達が、包囲網を狭めていく。
先頭に立っているのは、鬼灯翁。
他にも鍛冶屋の老婆、谷頭、青年団に、勇魚宮司の取り巻きと、見覚えのあるものたちが何人もいて。
『きゅ──』
嬰児が身を縮こまらせたとき、鬼灯翁が、命令を下した。
「いくなぁ!」
彼は、手にした刃を、嬰児へと突き立てた。
『きゅぅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう』
言葉がわからなくても伝わる、悲痛な叫び。
「戴きまぁす!」
「戴きます」「戴きます!」「戴きますっ」「戴きまぁぁす!」
誰も躊躇しなかった。
追従する島民達もまた、包丁を突き刺し、ぐるりと嬰児の肉を抉る。
まろび出た肉は、ドクドクと脈動し、紫色の体液をこぼす。
彼らは狂喜乱舞しながら、肉を眞魚木細工の上にのせると、俎板の上で魚をそうするように、手際よく解体していく。
一口大になった肉は、じつに美味そうで。
「あーん」
ペロリと、彼らはそれを平らげる。
グチャリ、グチャリと咀嚼し、嚥下する。
法悦の表情を浮かべ、次なる肉を求めて、さらなる刃を振るう。
またも嬰児の絶叫。
だが、嬰児は死なない。死なんてモノは持ち合わせていない。
抉られた場所は即座に肉が沸き立ち再生し、傷は次々に埋まっていく。
地獄。
無間地獄が、そこにはあった。
「わしがなして勇魚の独断専行を見逃しておったか、わかるか?」
口元を紫に染め、両目を爛々と輝かせた鬼灯翁が、こちらに狂気の笑みを向ける。
「そいはすべて、このときのためじゃ。あやつは、わしらの掌の上で踊っておったに過ぎない、憐れな小童なのよぅ」
嗤笑。
侮蔑を極めた、醜悪な笑み。
彼は眞魚木細工に乗せた肉片のひとつを、ヨギホトさまへと捧げるかのように持ち上げる。
ああ、なんということだ──彼の手は、人間のそれに戻っていた。
理解する。
この食事という行為こそが、彼らを人の形にとどめているのだと。
触腕のひとつが伸びて、肉塊をつかみ取る。
それはゆっくりと持ち上げられ、そして萌花くんに手渡された。
彼女は嬰児の肉を、愛しげに撫でると、こちらへ向かって、そっと突き出す。
「さあ、先生も食べてください。私たちの子どもを、食べてください」
なに?
「あれが、ぼくの、こども?」
「はい。あの夜に、私が身籠もった、先生の子ども。先生と
甘く、苦く、彼女は囁く。
強烈な吐き気と、怖気が全身を支配する。
生理的に受け付けられない嫌悪感が、身体から溢れ出そうとしているかのように。
「食べてください先生。
……黄泉の国食べ物を口にした人間は、二度とこの世には戻れないとされる。
大衆アニメ映画でも描写されるような、怪奇学の初歩の初歩。
それを、キミはぼくにしろと言うのか。
自分の子どもを、食べろというのか……!
「そうです。それではじめて、先生は私の夫になれるんです、この島の一員になれるんです。さあ、私と一つになりましょう。そして、たくさん子どもを産みましょう! この島に、私たちだけの世界を作るんです。先生の大好きな──怪異が実在する島を!」
「…………」
「……どうしたんですか先生? 先生はずっと、怪異を探してきたんじゃないですか? そして、いまは私が怪異です。先生も同じになれるんです。こんなに素敵なことって、ないじゃないですか」
そうでしょうと、彼女は蠱惑的に苛む。
ぼくの耳朶を舐めるように。
この心を嬲るように。
しかし、一切心からの本音として。
「怪異の私なら、愛せるでしょう……?」
……彼女の提案は、酷く魅力的だった。
ぼくは一生涯を賭して、怪異を求めていた。ライフワークと言っても過言ではなかった。その存在の端っこを掴むだけで一喜一憂した。
……いいんじゃないか? この提案を受け入れても。
たった一口あの子の肉を食べれば、ぼくはこの島の一員だ。
この怪奇に充ち満ちた世界で、いつまでも生きていくことが出来る。
しかも、不老不死になって!
だから!
「だけど」
頭が思ったことと。
ぼくが口にしたこと。
それは、正反対の言葉だった。
「それは出来ないよ、萌花くん」
「な、何故ですか!?」
だって、ね。
「この貝木稀人には理念がある。それ即ち、怪異の実在を証明することだ」
けれども、それはね、我が教え子よ。
「自分が自分であると証明するために、ぼくは神秘怪奇を求めているんだ。だから、誰かと一つになってしまうなんてのは、耐えられないんだよ、萌花くん?」
なぜなら、これはあの日キミが願ったことと同じだから。
自分の過去が誰かに繋がり、自分の歩んだ道が未来へと繋がっていく。
その証明のために、自分を定義して足場を作るために。
怪奇学は、そのためにあるのだから。
故にぼくは──キミにはならない。
「自分の子どもなんて、食べてやらない!」
なけなしの勇気を振り絞って口にした決別の言葉は、教え子の。
ヨギホトさまとなった彼女の表情を、大きく歪ませた。
悲しみ、怒り、失望、裏切り、憔悴、絶望、そして──怨嗟に。
「だったら」
無数の感情が、彼女の中で爆発する。
身をねじり、ヒステリックに顔を歪め、呼吸を乱し。
「だったら──そんな先生、私だっていらない!!」
振り上げられた無数の触腕。
その全てが自分に向かって殺到してくるのを、ぼくは最後まで見ていた。
最後まで、目を開けていた。
だから。
「ああ、安心しろよ、稀人」
ぼくは、その声を聞き間違えたりはしなかった。
「おまえに死はない」
歩き巫女が、宣言する──
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