その二

 次の日は幸い仕事が休みだったので、一日中彼女と部屋の中にいた。


 買い物でどうしても外に出なければならない時には、

”窓には近づかないこと”

”決して外には出ないこと”

 この二つを厳守させた。

 勿論言葉が通じるわけじゃないので、ほぼ百パーセントのボディー・ランゲージだが、それでも何とか分からせて買い出しに行き、掃除をし、洗濯をし、料理を作った。


 この点に関しては彼は意外と器用で、家事は一通り何でもこなす。

 彼女は健のやることを、何か珍しい見世物でも見るように、興味深げにじっと眺めていた。


 後は二人でテレビを見て、そうして何もせずに過ごした。


 問題は翌日だった。


 彼は仕事に行かねばならない。


 彼女は健が長時間帰ってこられないこと知ると、涙を流して”嫌だ”という意思を訴えた。


 しかし、どうしても行かねばならない。


 そこでまたボディーランゲージで悪戦苦闘し、どうにか納得させ、彼は仕事へと出て行った。

 

 夕方、やはりアパートの付近では、例のダークスーツの集団と、セダンを見かけた。

 部屋に入ると、彼女は横になって、静かに眠っている。


 良かったと思った反面、

”このままじゃいかんな”と思い、そうして彼女に手持ちのハンチングとサングラスで顔を隠させ、タクシーを捕まえて、どうにかここにやってきたという訳だ。


『で?俺に何をしてほしいっていうんだね?』

 俺は二人の前に”砂糖とミルクは入ってないぜ”と断ったコーヒーを置いてやる。


 健はすぐにカップを取り上げて飲んだが、彼女はといえば、俺たちが飲むのを確認してから口をつけ、美味しいというように何度も頷いて見せた。


『彼女がどこの何者か、突き止める手伝いをしてほしいんだよ。このままにしとくわけにもいかねぇだろ。勿論金はちゃんと払う。』


『いいだろう』

 俺は即答した。この状況をみれば考えていたって仕方ない。


 彼女がコーヒーを飲み終えるのを待って、もう一度俺は英語で質問をした。


 早口ではなく、ゆっくりとかみ砕いて話す。


『私の名前は、マリア・フォン・スタインベルクと申します』

 警戒心が解けたんだろう。彼女は訛りの強い英語でそう答えた。

 出身はヨーロッパのほぼ中央、人口が5万人程度の小さな王国であるという。

 政治形態は立憲君主制で、スタインベルク大公家が、もう四百年ほど君主として鎮座ましましている。


 父の代までは継承権は男子に限られていたのだが、ここ最近の『男女平等』とやらの流れを汲んで国内法が変わり、女性でも跡が継げるということに相成った。


 そこで長女であるマリアが継承順位第一位となったというわけである。


 しかし、ここで一つ問題が起こった。


 お定まりのお家騒動という奴だ。


 彼女には遠縁の叔父(伯爵だそうだ)がいて、その息子が跡目を主張し始めたというのだ。


 息子はなかなかの切れ者で、米国の陸軍士官学校(ウエスト・ポイント)に留学していたこともあるという。


 国内での人気も高く、彼を推す声も少なくない。


 そこで、その息子と彼女を結婚させて、息子を大公にしよう・・・・と、まあこういう訳だ。


 然しながら彼女はその息子のことが特別好きではなかった。結婚相手くらい自由に選びたいと思ったって、若い身空の女の子としては、極めて自然な感情とみるべきだろう。


 彼女は父君に”少し考えさせてほしい。1か月でいいから自由にさせてくれ”と頼み込み、旅行先に選んだのが日本だったという訳だ。


”何故日本だったのか?”という俺の問いに、

”サムライに憧れていたから”という、きわめて簡潔な答えが返ってきた。


 そこでお忍び旅行にやって来たのだが、どこへ行くにもボディーガードがべったりでは、楽しむこともできない。そこで連中を巻いて町の中に・・・・という訳だ。


 と、まあ分かったように記してはみたがな。必ずしも正確という訳じゃない。

 何しろドイツ語圏の言葉は不慣れだしな。

 でもまあ、大方のところは理解できた。


『お姫様ひいさまだよ・・・・』


『本当か・・・・』


 俺たちは二人して顔を見合わせた。

 


 



 


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