第10話:恋愛

 昨日とは違い、早めに帰ってきた天田の父親は、夕食の準備をする俺達を仏間に呼び出した。


「門倉君」


「はい」


 俺の名前を呼び、しかし、天田の父親はそこから数分、押し黙ってしまう。

 何か、気が進まない話なんだろう。それはわかるのだが。


「なあ、何だか知らねえけど、何も言わねえなら飯作るのに戻るぜ?」


 正座している足がやや痺れてきたころ、天田がまさに痺れを切らした様子でそういった。


「……そうだな、涼子は戻っていい」


 そして、天田の父親はあっさりと天田を解放した。

 つまり、用件は本来的には俺一人でも済んだ、ということ。

 そのうえで、最初は俺と天田を呼んだということは。


「今日はもともと……娘はお前にやらん、と、言おうと思っていたのだがな」


 やはりそういうことか。


「どうにも、君と並んで料理をする娘が幸せそうでな、毒気を抜かれてしまったよ」


 天田の父親は何か猛烈な誤解をしているらしい。


「俺たちが恋仲か何かに見えてたんですか!?」


「え、違うのか!?」


 本気で誤解されているなら、こういう反応になるのもわからないではないが。


「ああ、その朴念仁はオレの彼氏じゃないぜ。平たく言えばオレの片想いだ」


 そして、天田がいつものノリでおっぱいのついたイケメン発言をぶち込んできた。


「天田! 悪趣味な冗談にもほどがあるぞ!」


 直後、俺の顔面を襲った拳。

 そのすぐ後ろに見えた、涙をたたえた天田の顔を、俺はきっと、死ぬまで忘れないだろう。


「お前は! オレが! 見た目通りの厳格な、オレを男手一つで育ててくれた親父が、お前を問い詰めてるこの状況で! 冗談言うほど頭悪い女に見えるのかよ!」


 天田の悲痛な叫び。

 それは、俺と天田の関係を粉砕し、そして、これまでの関係が、天田にとっては全くの不本意な関係だったことを、俺に思い知らせた。


「門倉なんか家に帰ってまた寝不足になっちまえばいいんだ!」


 そう言って天田は、家を飛び出していった。

 それを追おうと立ち上がった俺は、天田の父親に腕をつかまれた。


「追ってどうする気だ」


 天田の父親が言いたいことはわかる。


「あいつの気持ちを知った以上、俺は応えなきゃならねえ。それだけです」


「君はさっきまで涼子のことなど……」


 女として意識したことすらない、それがどれほど天田を傷つけてきたか。

 そんなことは分かっている。


「ああそうですよ! 毎晩親父に襲い掛かるお袋! 性欲が俺に向いてる妹! 男女の関係なんざ、恋愛なんざ、俺にとっては嫌悪感しかねえ! だから! あいつを嫌いたくなかったから!」


 本当は分かっていたはずだ。

 天田は何度も、キスだの付き合うだのという単語を持ち出してきた。

 最初にそう言われたのがいつだったかさえ思い出せない。

 俺が「おっぱいのついたイケメンムーブ」だとか言って逃げ回っているうちに、天田は人前でもそう言いだして、俺はそれを余計にネタにした。

 最低だ。


「君は……」


 こぶしを握る天田の父親。

 好きなだけ殴ってくれよ。

 俺は天田に、それじゃすまないことを数えきれないほどしてるんだ。


「それでも天田は、あんたの娘は、俺が心地よく一緒にいられるたった一人の友人なんだよ! そいつが俺に彼氏らしく振舞えっていうなら……やってやるさ!」


 さあ殴れ。俺のこの意志が一時の気の迷いなのか、本気の覚悟なのか試してくれ。

 俺自身分かっちゃいないんだ。

 100発くらい殴られて気が変わらなきゃ本気だろう。さあやってくれ。


「門倉君、君を殴るのは、君たちの結婚式の日の楽しみに取っておくよ」


 だが、天田の父親は俺を殴らず、解放した。


「……恨みますよ。殴ってくれなかったこと」


 俺は、自分の覚悟を確認できないまま家を後にした。

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