三.今日は地獄に戻らない

  阿鼻無間地獄。 それは世界に伝わる地獄の最深部。地獄界のトップシークレットである。無限とも思える数がある世界には、同じく無限とも思えるほどの強者である魔王や悪魔、悪龍などがいる。彼らはその様々な物語に登場するステレオタイプなイメージ通りであれば、その大体の数がそれぞれの世界でトップクラスの強さを持つ。そして、そんな彼らも罪を犯して死ねば例外なく閻魔に裁かれ地獄に落ちることとなる。


 ここで普通に考えればそんな強さを持つ者達に対して刑罰を直接執行することは出来るのだろうか?と思うだろう。 その答えは簡単で「余裕で出来る。」だ。多くの地獄の刑罰執行人達は基本的にはそこら辺の平均的な魔王であれば余裕で叩きのめす。大体の魔王は日本時間でいう1日目で全てを悟る。どうやっても勝てないと。


 しかし、どんなものであっても数が多くなると例外というものが発生することがある。 全ての世界で比較しても別格に強い者だ。 阿鼻無間地獄はそういう超危険人物が入れられる、いわゆる隔離刑務所である。 罪人の数はそこまで多くはないので、ここで刑を執行する者の数は階層別でいうと地獄で最も少ない。日本では18人と伝えられていたが、実際にいる獄丁は16人だ。 一人一人の力は絶大、圧倒的で、この中で最も弱いとされる第十六獄丁であってもこのとてつもない数の住人がいる地獄で勝てる者は閻魔を含め16人しかいない。その中で第一獄丁は閻魔を超えて最も強いと地獄界では噂されている。 その第一獄丁と連絡が取れないこととなっているとはどういことか。


「え、マジでか。ヤバいじゃん」


 と言いつつ、閻魔に全く焦りの気持ちはなかった。閻魔と渡り合える者がそう簡単にやられるはずがない。しかし音信不通というのはどういうことか。


「はい。まず今回の件の始まりは現在この地獄から東の最も最果てに位置する世界に問題がございました」


 ウリィは資料を閻魔に差し出した。 資料の表紙に見覚えはなかったが、使われている素材から見てかなり古いものであることはわかった。


「かなり古い世界じゃな。ということはいつもの、でかの?」


 閻魔の目は「それ読んでるの?ページめくってるだけじゃないの?」と思えるような速度でペラペラとめくられる紙に載る文字を追う。


いつものというのは魂の運搬である。 人は死ぬと魂だけとなり、磁石のように自動的に裁きの階層に引き寄せられる。しかし、地獄と世界があまりにも遠すぎると魂は引き寄せきれないのである。なので各世界の狭間には中継所が設けられており、そこで一旦魂を回収する。そしてその後最終的に裁きの階層へと送られるのである。 そして古い世界というのは、先程言ったような阿鼻無限地獄に入れられるような別格の強者がいる傾向が何故か高く、そうした世界がある中継地点には、阿鼻無限地獄の獄丁達が時々出張に向かい問題が起きていないかをチェックすることとなっている。 閻魔は資料を全て一通り読み終え、机の上にトントンと書類を揃えた。


「ふむ、では今回の第一獄丁との連絡が取れなくなったというのは第一獄丁の強さを上回る罪人がいるという可能性があるということかの」


 閻魔は机に肘をつき、両手を組んで考え込むポーズをとった。


「いえ、その一報を聞いた時は私もそのように思ったのですが、当時その中継地点には第二獄丁が出張、魂は連れ帰り、現在阿鼻無限地獄に戻っております。今回そもそも第一獄丁は出張していたわけではありません」


「なんじゃと?」


「忽然と姿を消したのです」


「では何故この世界の資料を?」


 出張先で行方不明でないのならこの資料は不可解だ。


「実は第二獄丁からの証言で第一獄丁は最近よくその世界のことを話題に出していたそうです。なんでもこの世界で俺は夢を叶えるんだとか、この地獄を変えてやるとか。具体的なことは話していなかったし、次の休暇で転生休暇を予定している世界なのかなと思って第二獄丁は聞き流していたそうです」


「ふーむ」


 地獄の者が謀反を企てる。そんなことはこの地獄が出来て以来一切聞いた事がない。確かに労働日数は劣悪だが、各々が好きで出来る仕事に配属されるようになっているし、福利厚生も少なくとも閻魔がこれまでに経験してきた会社と比べてもかなり充実している。また閻魔も出来る限り部下の信頼が得られるようにコミュニケーションを今までとってきているつもりだ。 ちなみに無断で転生休暇というのは不可能である。何故なら転生を行える魂の状態にするということはこの裁きの部屋でしか行えないからである。閻魔やウリィ、それにあちこちに隠れている守護者達の目を掻い潜り、転生を一人でこっそりやる。これは閻魔にだって不可能である。


「そして今回の件は緊急事態だと判断し、先程の話を聞いた直後に手隙であった2名にその世界の現状を調査するよう送り込んだのですが、その2名も現在連絡が取れない状態となっております」


「・・・・・・マズいじゃん」


「・・・・・・」


 ウリィは黙ったまま顔を下に向けている。


「ウリィ何を怖がっている?」


「!」


 ウリィの顔が閻魔に向いた。


「その・・・・・・」


 ウリィの目は泳いでいる。


「申してみよ」


 閻魔は感覚的に三途の川で彼女がこの話を伝えようとした時にわかっていた。この感じは常識的な報連相が出来ていなくて怒られることを覚悟している新入社員のようだ、と。


「報告が遅れましたことです」


 何百回も会社員人生を繰り返した経験は伊達ではない。 というか一般常識が有る者であれば、この緊急事態が発生したらまずは即座に上司に相談しなければならないという事だとわかることだろう。しかし、転生休暇を取ったことのない者も多くいる地獄で未だに会社組織もとい地獄組織の仕組みを理解していない者も少なからずいる。だがウリィはその少ない者のうちに当然含まれなかった。


「確かに今回の件は緊急的じゃの。わしが転生休暇中でそのようなことで必要あれば休暇先の肉体から魂を引っこ抜いてでも連絡するようにと伝えていた気がするの」


 ウリィの失敗は珍しい。しかしこれまで全く無いわけでは無く、ある共通点があった。


「理由を聞いても?」


「・・・まず現状どのような状態としても第一獄丁が死んでいるとは思えません。そんなことがあれはその世界は既にその者に征服されているはずと思います」


「ふむ」


「次に謀反を企てた可能性を考慮すると、その場合閻魔様と同等の力を持つと噂されている無間地獄の獄丁です。万が一閻魔様の身に何かあることを避ける為閻魔様には後衛で指揮して頂くこととなります」


「ふむ」


「なので閻魔様がお帰りになられてすぐに指揮を取れるようにと思い、出来る限りのことを行い、準備をしておこうと思いました。その後閻魔様に連絡をと・・。それに・・・・」


「ん?」


「その・・閻魔様がずっと楽しみにされていた休暇ですし・・・・」


「ふむふむ」


「・・・・」


 これだ。そんなところだろうと閻魔は思っていた。ウリィは確かに厳しい。指摘することは細かいし、そこまで必要なのかと思えるようなことまで完璧にやりたがる。しかしそれは他人の目がある時だけで、実際のところは閻魔に甘々だ。これは歴代の秘書男女含めてである。閻魔の普段の激務を見て同情しているからか、閻魔の人柄なのかそれは一体全体何故なのかはわからない。だがとんでもない業務量に追われる閻魔にとって物凄くありがたかった。


「ウリィ。確かに今回報告が遅れたばかりか、更に独自の判断で物事を行い、部下2名が行方不明となった。このことに対する責任問題はあるじゃろう。」


 ミスの数はもう一人の秘書と比べるとウリィは少し多い。そのことが彼女にとって劣等感をもたらしている。そして、このことは今後さらにウリィに自責の念をもたらすのだろう。


「しかし、ウリィの行った手順になんら間違いは無い。この話をを聞いてわしがすぐに戻ったとしても同じことをしたじゃろう。」


 この台詞は嘘である。実際のところもっと慎重に行える方法があった。だが閻魔の考えは閻魔にしか行えない。そこをなんとかしようと試行錯誤してくれようとした彼女の深切を思うと怒る気にはなれなかった。


「お前がいつもわしのことを思ってくれているのは知っておる。」

徐々にだがウリィは上を向き始めた。


「だからお前の今回のやった事にわしは問題と思っておらん。わしの事を思ってくれるのは回り回って地獄のこと全体のことの利益になる行動してくれていることに繋がるのじゃからな。それよりも自身で報告を遅れたことを隠さずわしに伝えてくれている。それが一番わしにとっては嬉しいことじゃ。ありがとう。」


 ウリィはついに息を吹き返し、天に舞った。


「さて、では今後の対処方法としてはウリィの言う通り、この地獄からわしは指揮を取ることとするかの。出来る限り早めに手隙の調査員リストを出しておいてはくれんかの?」


「・・わかりました。 閻魔様」


「ん?」


「ありがとうございます。」


 ウリィは深くお辞儀をした。


「いつもお前の失敗なんて失敗とは言わん。気にするな。」


 閻魔は手を振った。


「んーさて、まだまだ溜まった仕事もあるし、これからは大変じゃな。わしもこの件について気になることもあるので独自に後で少し調べてみる必要があるの。」


 座りっぱなしの凝り固まった体を座ったまま背伸びをすることによってほぐす。そして閻魔は残ったビルのように積み重なる残業の山に目をやり、ウリィに言った。


「じゃからそこにある書類の山、代わりに後で判子押しといてくれない?」


「・・・・はい?」


 ウリィは突然気絶したかのように地に落ち、水面に浮んだ。





 次の日の朝、いつもの様に裁きの部屋に大量の書類を持ってウリィが向かう。今日の業務の分と調査員リストの分だ。そしてウリィは今日の裁きの門警護担当の鬼が開けた扉を抜ける。


「おはようございます。閻魔様。昨日話していた。調査を行うものの選定ですが、大量になってしまいましたが、こちらのリストにまとめましたので・・・・」


 裁きの部屋に閻魔の姿はなかった。 閻魔の机の上にはメモ帳のような置き手紙がされており中には閻魔の字で走り書きされていた。


"

まずは謝ろう。すまない。

やはり今回の件、独自で調査した結果非常に高いリスクが伴い、長期化する可能性があると思う。なのでわし自ら転生して確認を行う。別に仕事が嫌で逃げたわけではない。これも仕事であるから。今回は地獄特例法第二百十万条四万五千六百六項千八百九により今までの記憶を残したままで転生を行う。転生の際は私物の肉体を使うので安心してくれ。

P.S

長期間戻らなくて業務がキツかったら転生休暇中のもう一人の秘書ビタも呼び戻して下さい。代わりの魂には話をつけてあります。あとよろしく。

"

昨日のことを挽回する為資料作りに没頭し、 すっかり閻魔のサボり癖を忘ていたウリィの拳は震える。


「あのじじい・・・・やっぱりかよ・・・・ふざけんなー!!!」


 リストの紙が舞った。





 一方そのころサボり魔こと閻魔、又の名を佐藤浩之は魂の身となって世界の狭間の空間を飛び顎に手を当て悩んでいた。


(うーむ。エース社員が無断欠勤とは困ったもんじゃ。とりあえず、見つけた場合どう説得するか考えなければいかんのー。)


 閻魔の脳裏には残りの有給消化して転職します。と社員に言われた社長時代が思い出される。


(ここでもそれを言われたらわしどうしたらいいのじゃろう)


 確かに地獄の仕事を辞めたいと言われたら閻魔はどうすれば良いのか。もし、それを許してしまえば続々と同じ者が出てきて公益法人地獄は仕事が回らなくなり倒産だ。確かに今までそんなことを言ってきた者がいるという実例はない。だが職業選択の自由、定年退社というものを知っている閻魔からすると、生まれた時から役割が決められ、衰勢せず永久の時を生きる肉体の使者達がそういうことを伝えてくる可能性があることは理解できた。


(そもそもこんな自然の摂理みたいなこと人に任せちゃダメと思うんじゃがのー。神様なら人がどんなもんか分かっとるじゃろうに。なんでわしらに任せたんじゃか)


 神はいない。恐らく。閻魔は見たことがない。神様っぽい奴は何度も見たことあるが。


(さて、大分前の転生休暇でやりたかったことは少しはやれそうじゃな)


 転生方法についてどうするかは既に決めている。一般的な転生で赤子からやるのでは時間がかかり過ぎる。そこで使うのが閻魔の後ろをずっと着いてきていた角までピンク色の女の小鬼が背負っているデッサン人形のような見た目をした肉体だ。ここに魂を入れるのだ。


 閻魔と小鬼は問題となっている世界の前に到着した。それは宙に浮くビリヤードの球だった。


「では、やるかの」


「はい、閻魔様」


 そう言って小鬼は背負っていたマネキン肉体を下ろし、空中に滞空させた。 そして閻魔はマネキン肉体に触れた。するとたちまちその肉体は骨や筋肉、脂肪の断裂する音を交えながら姿形を変え、ものの数十秒で自身と全く同じ姿へと変わった。


 小鬼は腰にぶら下げていた針のように先が細くなった音叉のような道具とメモ帳の1枚を取り出す。 そしてそれを見ながら鑑定士かのようにビリヤード球を回転させその針先を突き刺した。そしてその点にも満たないような穴に小鬼が肉体を押し込む。するとその肉体は掃除機がビニール袋を吸いこむかのように無くなっていた。そして突き刺した場所は塞がり跡が残っていた。


「うむ。問題無さそうじゃな。確かクルミ・・・じゃったか?」


「は・・はい!覚えて頂けてるとは光栄です!」


 正確には覚えていない。だが閻魔にはなぜかわかるのだ。自分でも不思議だと思う。頭の中にその者をみると名前が浮かんでくるのだ。それどころか集中すればさらに細かな詳細まで浮かんでくる。身長・体重・3サイズ、体脂肪率、速筋力、遅筋力、何が得意で、何が不得意、何が好きで、何が嫌い、更に最近嫌なことがあった、嬉しいことがあったまでわかる。プライバシーがダダ漏れである。故に閻魔は必要が無い限り意識しないようにしていた。 これが閻魔の地獄の支配者である所以だろう。だがこれは閻魔にしか無い能力のようで、どんな時も意識しないようにするという誰にも理解され無い苦労があるという点で閻魔はデメリットの方が大きいと感じていた。


「先程伝えた通りなのじゃが、今回のようなケースは初めてじゃ。じゃからこの肉体を使っての特別法も初めてじゃ」


「はい。件(くだん)についてはお聞きしております」


「何が起こるかわからん故、場合によっては実力行使も必要じゃろう」


「はい」


「じゃがこの肉体、やはりわしが本気で使うにはちと脆すぎるのじゃ。なのでわしが転生中の間、わしの部屋にある残り2つの肉体を残虐獄長に渡し改善することが出来ないか依頼しておいてくれんかの」


「はっ。かしこまりました」

 

「あとくれぐれも壊すなよと忠告もしておいてくれ」


「かしこまりました」


「うむ。では肉体が地上に到着するまであまり時間も無いのですぐに行くとするかの」


「はい。では行ってらっしゃいませ。閻魔様。お気をつけて」


「クルミ。迷惑をかける。すまんな。よろしく頼んだぞ」


「!」


 そう言うと閻魔はビリヤード玉に向かってダイブし吸い込まれていった。


「ふふ、閻魔様に覚えてもらっているなんて」


 その後クルミは歓喜の声を上げながら地獄に戻り、ウリィに閻魔脱走の幇助犯として責め立てられるのであった。

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