あれはいいんです

数年前、都内でタクシーをひろった時です。



夕方ごろに駅前からタクシーに乗り、少し(5分くらい?)走った頃でした。

大きな量販店に入る小道のところに右手を上げて立っている女性が見えました。

白いブラウスにグレーのタイトスカート、私と同じような営業風の女性でした。

左手にたくさんの荷物を持って大変そうだなぁと思ったので、運転手さんに

「相乗り大丈夫ですよ」と伝えました。

すると運転手さんは


「え? あ…あれはいいんです。」


と言ったんです。

え?とあっけにとられているうちに、タクシーはその女性を通り過ぎてしまいました。

あれはいい、ってどういうことだろう。

以前乗せた時に態度が悪かったとかそういうことかな、それにしても乗車拒否なんてちょっとひどい、って思っていたんですが、少しすると


さっきの女性が手をあげて立っていたんです。


右手をあげていて

白いブラウスにグレーのタイトスカート

左手にはたくさんの荷物…?

そんな、追いつけるわけがない。

何かおかしい。

タクシーは先ほどと同じように女性のそばを通り過ぎようとしていましたが、タクシーを覗きこむその女性の顔を見て、声をあげました。




顔が、塗りつぶされたように真っ黒だったんです。




午後6時を過ぎて陽が傾いてきているとはいえ、まだ街は明るかったはずです。

なのに濃い黒い影が落ちたように真っ黒で、目も鼻も口も全然分かりませんでした。


今見たものの整理がつかないでいると運転手さんが




「ね、あれは、いいんです」




と、諭すように静かに言いました。




あれから何度か同じ道順でタクシーに乗る事はありましたが、あの女性を見かけることはありませんでした。

でも、今もどこかでタクシーを拾おうと手を上げているのかなと、ふと思い出して寂しい気持ちになることがあります。

思い返せば、なぜあの時の私は「相乗り大丈夫です」なんて言ったのか、普段の自分を思うと不思議です。




もしかすると私は、呼ばれていたのかもしれませんね。





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