翼の在りか

「ただいまぁ」

「おかえり、ツバサ。なんか飲んでくか?」

「んー……あ、今お客さんいないんだ」


 お店の方から帰宅したわたしは、ちらっと客席を見て状況を察する。

 お父さんが何か飲んでけと言う時は、大抵ヒマな時なのだ。

「じゃあ、アイスコーヒーちょうだい」

「かしこまりました、っと」

 お父さんが豆を挽き始めるのを見ながら、わたしはカウンターに腰を下ろす。

『ピィっ』

「あ、お店の中では鳴かないでね。今はお客さんいないけど……』

『ピッ』

 チコがわたしの肩から降りて、カウンターテーブルからお店を見回した。

 興味津々といった様子だが、ちゃんと言いつけを守って一鳴きもしないでいてくれる。

 そういえば、チコをこっちに連れてくるのは初めてだっけ。

「その子、かしこいんだな。流石はフウカの作ったロボだ」

「ロボって。まぁでもそっか、ロボットだね」

「ブルームフェザーの部活、入ったんだろ。どうだった?」

「あー、楽しかったよ。部員もみんないい人だし」

 テーブルに肘を付き、だらりと背中を曲げる。

 わたしがお店の方でのんびりするのは、お客さんが全然いない時だけ。

 最近はあんまり無かったな、と思いながら、わたしはぽつぽつと話をする。

「今日はね、飾利先輩って人とフェザーデュエルして……あ、動画あるけど」

 ミネルヴァが撮影した動画を、わたしにも送ってもらっていた。

 スマホを操作して、画面をお父さんの方へ向ける。

 お父さんは作業の合間にちらっとそれを見て、「おお」と一言呟いた。

「カッコいいな、その黄色い方。航空機の曲芸飛行みたいだ」

「ああそれ、参考にしてるって先輩も言ってた。実際やるのは大変なんだけど」

 デュエルの後、わたしは飾利先輩に聞きながら色々と技を練習してみた。

 なんだけど、すぐには出来ない。何度もチコを壁や床に激突させてしまった。

「チコも頑張ってくれたんだけどねー」

 指で頭をなでると、チコは体をわたしの手へ寄せてくる。

 何度落下しても、チコの身体に目立った傷は出来なかった。外装の強度が高いおかげなのだと、アカリは言っていたけど……心配にはなる。

「面白いか? ブルームフェザー」

「うん、わりと。部も入って良かったと思うよ」

 フェザー部は、チーム『止まり木』として、大会への出場なんかも予定してるそうだ。

 あのメンバーで優勝を目指して頑張るのだと思うと、ちょっと燃える。

 白城先輩みたく強くなれれば、かなりいいとこまで行けるんじゃないだろうか。

「そうか。そりゃ、お母さんも喜ぶだろうな」

「……そう、かなぁ」

 わたしがブルームフェザーを楽しんでいることを、お母さんは喜んでくれる?

 だとしても、それは……わたしとブルームフェザー、どちらのための喜びだろう。

「はい、コーヒーお待たせ」

「ありがと。飲んだら上行くね」

「はいよ。……っと、いらっしゃいませー」

 氷の入ったコーヒーを受け取ると、ちょうどお客さんが一人やってきた。

 わたしはそこで会話を終えて、コーヒーにシロップを投入する。

 カラン、と鳴った氷の音に、チコは不思議そうに首を傾げた。

(どうしてチコは、わたしのところに来たんだろう)

 チコがお母さんから送られてきたもの、なのは間違いない。

 前にあのカードを見せたら、お父さんも「間違いなくお母さんの字だ」と言っていたし。

 けど、少し引っかかるのは……チコが直接、わたしの部屋に飛んできたことと。

(あのカード。妙に余白が多かった)

 この子の名前は、チコです。

 カードに書かれたのは、わたしの名前とそれだけで。

(伝えたいこと、他にもあったのかな)

 あったとして、何を伝えたかったんだろう。

 わたしへの言葉だったら、いいんだけどな。


 *


 次の部活では、すぐにデュエルの練習が始まった。


「明石さん! これだと思ったらすぐに指示を出しましょう」

「ふぁ、ふぁい! ええっと、パンジー突っ込んで!」

「おおっと、そうきたか!」


 部長のアドバイスを聞きながら、アカリがパンジーを突撃させる。

 対戦相手の飾利先輩は、楽しそうに笑いながらパンジーを引き付け、ギリギリのところで手のひらを回す。スピンするフリージアは、パンジーの攻撃を軽く受け流した。

「ああっ! ごめんパンジー!」

「……明石さんは、自分の判断にあまり自信が無いようですね」

「でも、分かります。自分のミスでフェザーが傷付いたら、申し訳ないじゃないですか」

 二人の試合を見学しながら、わたしは部長にそう話した。

 わたしの手の中で、チコはじっと戦いを見つめている。必死に戦ってくれるこの子の為に、最善の選択をしたいと思うのは、当然のことだろう。

「そうですね。私もそう思いますが」

 頷きながらも、「迷っていてはフェザーも困りますから」と部長は呟いた。

 実際、フェザーデュエルは瞬間的な判断が要求されるゲームだ。戸惑って何も指示出来ないでいたら、フェザーは為す術もなく倒されてしまうだろう。

 結局、アカリと飾利先輩の試合は、先輩の勝利で幕を閉じた。

「うぅ、ごめんねパンジー……」

「そんなにしょげることないってぇ。パンジーちゃんも、前より良い動きだったし」

『ちゅんちゅんっ!』

 肩を落とすアカリを、先輩とパンジーが慰める。

 フリージアは彼女たちをちらっと見て、興味なしと言った感じで先輩の頭に止まった。

「反省点は、後で動画で確認しましょう」

 部長は二人にそう言って、わたしに視線を向ける。

 次は、わたしと部長とで戦うのだ。

「よし、やろっかチコ!」

『ピィっ!』

 チコに声を掛け、一歩前へと踏み出した、その瞬間だ。


 ひゅん、と何かがわたしの横を飛び抜けた。


「えっ、なに!?」

 背後からわたしの目の前に飛び、それは上昇と共にこちらを向く。

 ブルームフェザーだ。緑色で、その外装には、なんだか見覚えがある。


「――やっとみつけた」


 そして後ろから声がした。

 振り返ると、そこには小さな見知らぬ女の子が一人。

 誰、だろう。部員の知り合いではないみたいで、困惑の気配が屋上に漂う。

 けれど女の子はその雰囲気を気にも留めず、どこか安心したような顔で息を吐き、すぅと指を前に出した。

「おいで、チコ」

『ピ……? ピィっ!』

「えっ、チコ!?」

 女の子に呼ばれて、チコはぱたぱたと羽根を振りながら彼女の元へ行く。

「探してたのよ、チコ。急にいなくなるんだもの」

『ピピィ……』

 小さく鳴きつつ、チコは彼女の指先に止まる。

 今まで、わたし以外の人には懐かなかったチコが、どうして……?

「……あなたは、どなたでしょう。その子に何か御用が?」

「緑川アテナ。この子の保護者よ」

 白城部長が訊ねると、女の子はハッキリとそう答えた。

 保護者? チコの? ってことは……

「チコを保護してくれたのは、この中の誰? お礼を言いたいのだけど」

「あの、わたしです。チコの……」

「そう。それはありがとう」

 持ち主です、と言う前に、彼女はスパリとそう言った。

 どくんと心臓が嫌な鳴り方をして、額に汗がにじむ。もしかして。もしかして。


「それじゃあ、チコは連れて帰ります。今までお世話になりました」

「っ、ま、待って!」

「……? ああ、お礼の品は後で『ネスト』からお送りするわ。お名前を聞いても?」

「蒼崎! 蒼崎ツバサ、です。その子は……」

「アオザキ、ツバサ? ……ああ、フウカの。だからなのね」


 ダメじゃない、と女の子は口を尖らせてチコに言う。

 わたしはまだ、頭が全然追い付いてなかった。この子はチコを知っていて、チコもこの子に懐いていて、『ネスト』って、お母さんのいた会社だよね。お母さんのことも知っていて……いや、そうじゃなくて、それよりも。

「申し訳ありませんが。急にやってきて、部員のフェザーを連れていくと言われましても、流石に承服致しかねます」

「あら。何か問題あるかしら。この子はまだ試作段階のプロトタイプなのよ。起動実験中にどこかへ飛んで行ってしまったから、ずっと探していたのだけど」

 ミネルヴァのスキャンデータにあったから、と彼女は語る。

「チコの型番を、この辺りのミネルヴァが読み取ったって知って。流石に映像データを勝手に見るわけにはいかないから、探し当てるのに苦労したのよ」

「本当に? それを証明する手段は?」

 何も言えないでいるわたしの代わりに、白城部長は彼女に訊ねた。

 彼女はそんな部長の態度に眉を寄せ、「なにかあったかしら」と呟いた。

「……部長、部長、緑川アテナって……」

「ええ、分かっています。けれど、それとこれとは別の話です」

 アカリが部長にこそっと声を掛ける。

 どうやらアカリは、この女の子の正体に心当たりがあるらしい。

「メーシ、持ってないのよね。社員証も置いてきちゃったし」

「でしたら、ひとまずお引き取り下さい。ご用件があるというのでしたら、正式に……」

「ああそうだ。これなら証明出来るんじゃない?」

 ぱぁっと顔を輝かせ、少女は右手を上に挙げた。

 その手には、フェザー用のグローブ。何をするつもりかと目を向けると、彼女はパチンと指を鳴らした。……すると。


『ホッホゥ』『ホッホゥ』『ホッホゥ』


 三体のミネルヴァが、彼女の腕の周囲へと集まってきた。

「ミネルヴァ、ご挨拶なさい」

『ホッホゥ』『ホホーゥ』『ホホホーゥ』

「それから、オリーブも」

『ピリリ! ピーィ!』

 声を掛けられ、更に先ほどの緑のブルームフェザーが、彼女の正面へと飛ぶ。

 驚いたチコはパッと彼女の指を離れて、オリーブと呼ばれたブルームフェザーと並んだ。

(……あ……)

 それを見て、気が付く。オリーブの外装は、チコのものとよく似ていたのだ。

「ミネルヴァへの指示権限は、『ネスト』関係者の証でしょう? それにこのオリーブも、チコと同じ型のプロトタイプブルームフェザー」

 ワタシの言ってること、信じてもらえたかしら?

 少女に言われて、流石の部長も言葉に詰まる。

 彼女が本当のことを言っているのは、もはや間違いなかった。

「で、でも! チコはカードを持っていて……」

「カード? 何のこと?」

「お母さんの……蒼崎フウカの書いたカード。わたしの名前と、チコの事が書いてあって」

「へぇ……フウカの……」

 わたしが話すと、緑川アテナは感心した顔でチコをじっと見つめる。

「けれど、それがどうかしたの?」

「どうか、って……」

「……あら。もしかして……チコのこと、返してはくれないの?」

 緑川アテナの雰囲気が、険しいものへと変化する。

 う、とわたしはその空気に押され、言葉を発せない。

「言っておくけれど、この子はまだ未完成なの。調整がまだ済んでいないし、プログラムにも改善の余地がある。早急にデータを集めないといけないのよ」

 だから、と緑川アテナは続ける。

 この子は、返してもらえないと困るのだ、と。


「あなた、フウカの娘でしょう? なら、分かるハズじゃない」


 自分が開発したブルームフェザーが、未完成のまま止まっている。

 そんなことを、蒼崎フウカが望むわけがない。

 一刻も早く『ネスト』に返して、開発を続けさせて欲しい。

 緑川アテナの言葉に、わたしは……何も、言えない。


(お母さんの娘なら、って)


 分かるハズ、ないじゃん。

 お母さんはずっと帰ってもこなかった。わたしと話す事なんてなかった。そんな人の考えてることが、わたしに、分かるわけ。

(……ああ、でも、だったら)

 チコがわたしへの贈り物だと、言い切れる理由もないのか。

『ピュイ……?』

 わたしが押し黙っていると、チコは不思議そうに声を上げ、わたしの元へと寄ってくる。

 わたしはチコへ手を伸ばしかけて、止めた。

 この子に対して、持ち主ぶる資格が……わたしに、あるのか?

「……分かりました、それじゃあ――」

「待って! ちょっと待ってください!!」

 わたしが諦めかけた、その時。

 声を上げたのは、アカリだった。

「蒼崎さんは、チコちゃんととても仲がいいんです! それを急に連れて行くなんて……」

「……。けれど、チコは『ネスト』のものよ」

「分かってます! 分かってますけど、でも、少しだけ待ってくれてもいいじゃないですか! それに、データを集めるって意味ではプレイヤーが実際に動かしたデータだって」

「実証データを集めるというのは、ただ遊ぶだけじゃダメなの」

 アカリの説得に、緑川アテナは答える。

「普通以上の実力が必要よ。フェザーの操縦性や指示への反応速度、それにAIへの影響度……確認しなければならないことは、とても多いもの」

「でしたら、なおさら蒼崎さんに預けるのが妥当ですね」

「あら。どうしてそう言えるのかしら」

 緑川アテナに反論したのは、部長だった。

 問い返された部長は、静かに右手のグローブをわたしへと向ける。

「蒼崎さんは、強くなるので。私とアマナが、『止まり木』の名に賭けて保証いたします」

『ピュゥゥ!』

「……アマナ。『止まり木』。ああ、あなた白城リンネね?」

「ご存じでしたか。光栄ですね」

「実績あるプレイヤーの名前は、社でも把握してるもの。けれど」

 頷いて、緑川アテナも右の手の平を部長へ向ける。

 その動作は……戦いの、合図だ。


「ワタシとオリーブは、比じゃないわ」


 挑発的な彼女の笑みに、「そうですか」と答えながら、部長は己の手の平を返す。

 決闘は成立した。「下がって」と飾利先輩がわたしとアカリを促す。

 三体のミネルヴァはそれぞれ別の方向に散り、フェンスや給水塔の上に掴まった。

『ホッホゥ』『ホッホゥ』『ホホホーゥ』

「ルールはノーマル。どうせなら録画もしたいのだけど、良いかしら?」

「ええ、ご自由に」

 緑川アテナの前には、オリーブと呼ばれたチコと同タイプのブルームフェザー。

 白城部長の前には、白い翼のアマナがそれぞれホバリングしている。

「部長、本気みたいだ」

「どうして……」

 緑川アテナの言い分は、間違ってない。

 部長だってそれは分かってるハズなのに。

「だってツバサちゃん、イヤだって思ってるでしょ」

「……」

 飾利先輩はそう言うけど、わたしはハッキリ答えられない。

「まぁ、どっちにしても今日すぐにってのは私も反対。アカリちゃんと同じだね」

「はいっ。部長、頑張ってください!」

 こくこくと頷いて、白城部長を応援するアカリ。

 でもわたしは、部長に声を掛ける事も出来ない。どうしていいか、分からない。


「――フェザー・デュエル!」


 そうこうしている間に、戦いは始まった。

「アマナ! スピンウィング!」

 先手は部長。突撃と共にアマナをスピンさせ、羽根での打撃を狙う。

「初速、なかなかね」

 緑川アテナは手を引き、バックに飛んでそれを回避。

 けれど部長の攻撃の手は緩まない。一瞬ぐっと高度を下げてから、上昇と共に再びアマナをスピンさせる。

「スピンスピア・ライズ!」

「連撃? なら、カウンタークロー!」

 クチバシによる下からの突き上げ。

 緑川は指をぐっと曲げ、爪によるカウンターを狙った。

(でも、これ……)

 見覚えのある局面だ。

 そう、わたしと白城部長が最初に戦った、あの時と同じ。

「知っている手、です」

 部長は小さく微笑んで、手首を反対に返す。

 ぶわっ。アマナはスピンを途中で止め、反動で左に位置がブレる。

 攻撃が来ると思われていたオリーブの爪は透かされて、動きに一瞬の隙が出来た。

「アタック!」

 その隙間に、捻じ込むようにクチバシの一撃が入った。

 かちんと音が鳴り、オリーブの身体が吹き飛ばされる。

 ダメージは軽微。けれど体勢は崩した。

「畳みかけなさい、アマナ!」

『ピピィ!』

「甘いわ。オリーブ!」

『ピュイッ!』

 接近するアマナだが、オリーブは急上昇によって距離を確保。

 直後、スピンしながら落下することで、眼下のアマナへと攻撃を仕掛ける。

 アマナは旋回で回避、再びスピンウィングでオリーブへと突撃した。

「弾いて、アマナ!」

「こっちも行って、オリーブ!」

 オリーブも同様に体をスピンさせ、攻めに向かう。

 同じ速度でぶつかり合った二体は、共に反対方向へ弾かれた。

 ダメージは……アマナの方が、少し多い。

「ありゃ。なんで?」

「当たった場所の問題ですね。オリーブの翼の方が、より本体に近かったと思います」

 疑問を口にする飾利先輩に、アカリが解説する。

 ブルームフェザーのダメージは、攻撃の重さと当たった部位によって変化するのだ。

 今回は、オリーブの攻撃の方がアマナの身体の中心に近く、より大きなダメージとして判定された。

「……強い、ですね。流石に」

「開発者ですもの。クセや機能は把握しているわ」

 ふぅ、と息を吐きつつ言う先輩に、緑川アテナは胸を張って答えた。

 開発者……って、ブルームフェザーの?

「前に……ブルームフェザーのプログラマーは二人だ、って話しましたよね」

 それが彼女なんです、とアカリは語る。

「でも、年齢……」

「十一歳だそうです。外国の出身で、もう大学も出てるとか」

「そうなんだ……」

 わたしより年下で、もう大学も卒業してるなんて。

 それで『ネスト』に就職して、プログラマーで……

(お母さんと一緒に、働いてた)

 もやもやした感情が、胸に湧き上がる。


 ――あなた、フウカの娘でしょう? なら、分かるハズじゃない。


 投げかけられた言葉が、頭の中でリフレインする。

 あの子には、分かるんだ。一緒に働いて、同じものを作ってきてたから。

 わたしには分からないのに。わたしの傍に、お母さんはいなかったのに。

「……っっ」

 違う。今そんなこと考えたって、仕方ないじゃん。

 わたしが今すべきことは、まず部長の戦いを応援することで……

「リンネ。あなたの実力はよく分かったわ」

 けれどその時、緑川アテナはそう口にして、右手を下げる。

 部長は眉を寄せ、一度アマナの動きを止めた。

「では、認めていただけると?」

「カン違いしないで。認めるのはあなただけ。フウカの娘は別よ」

 試す価値くらいは、あるのかもしれないけれど。

 緑川アテナはそう言って、じぃっとわたしへ目を向ける。

 その視線に、わたしはびくりと身体を震わせた。

「結局、本人を試さないことには何も分からないもの。……だから、ツバサ」

 来なさい、と緑川アテナはわたしへ手袋を向けた。

「まだ、私との勝負は」

「時間、無いのよ。今日もどうにか研究室を抜けてきたのだし」

 残念だけどね、と彼女は肩を竦める。

 部長は少しの間、じっとアテナを見つめてから、わたしへと視線を移した。

 どくん、と心臓が鳴る。……戦わなくてはいけない、のだろうか。

「……蒼崎さん、どうしますか」

「やり、ます。……戦います」

 深く息を吸う。心配そうな部長の顔から眼を逸らして、アテナに向き合う。

 きっとこれは、わたしがやらないといけない戦いだから。

 わたしが右手を上げると、チコがひゅんと指先に止まった。

「チコ、いけそう?」

『ピュイッ!』

 チコは元気よく鳴いて、両の翼を大きく広げる。

 やる気は十分みたいだ。……でも。

(本当に、それでいいのかな)

 わたしの中には、まだ迷いが残ってた。

 わたしのわがままで、チコを返さないなんてこと……許されるの?

(お母さんは、それを望んでる?)

 そうじゃない。皆が頑張って説得しようとしてくれたんだ。当の本人がこれじゃ、申し訳ないよ。だから、戦おう。戦って……そうしたらきっと、答えも出るから。

「……フェザー・デュエル」

『ピュゥゥ!』

 口にして、指を突き出した。

 チコは真っ直ぐにオリーブへ突撃。直後、わたしは指を一点にまとめてスピン。

「初手スピンスピアね。そうそう当たりはしないけれど」

 くんっ。オリーブが頭を下げ、高度を下げる。

 透かされた。回転を止め、一瞬チコの身体がブレた所で、オリーブは旋回しつつ上昇。

「オリーブ、アタックウィング」

 小指と親指を広げ、わずかに右に傾けた。

 オリーブは角度を調整しながら、チコの背後へと体当たり。

『ピュッ……』

 チコが短い悲鳴を上げた瞬間、アテナは指をまた上へ向ける。

 オリーブの首が空を仰ぎ、上昇。これは……ヤバい。

「チコっ……」

「ブレイククロー・フォール!」

『ピュァッ!』

 落下、と共にチコの頭上に爪の蹴り。

 チコはそれに対応できない。いや、わたしが出来てないんだ。

 がきん、と音が鳴り、チコの身体が垂直に落ちていく。

「っ、堪えて!」

「ダメだツバサちゃん、次の手打たないと!」

「アドバイスなら、少し遅いんじゃないかしら」

 飾利先輩の声。わたしが指示を出す前に、オリーブは更に下降し、爪で連続攻撃。

「ちょっと、ツバサ。やる気はあるの?」

「あっ、あります! ある……わたしはっ」

 わたしは、なんだ?

 手を伸ばしても、どう動かせばいいか、わからない。

「あなた、心が飛んでいないわ」

「心が……」

 ああ、その言葉は、前に部長に言われた言葉だ。

 でも状況は、あの時と真逆。あの日、チコを預ける為に勝ちたくないと思ったわたしは、たった今、チコを渡さない為に勝ちたいと、心の底からは思えない。

「トドメよ、オリーブ」

 連撃の、最後の一発が放たれる。

 あれをマトモに喰らえば、体力なんて関係なしにチコは落下負けしてしまう。

「う、あ……」

「っ、アマナ!」

 しかしその一撃が、チコへ降り注ぐことはなかった。

 直前で、アマナの白い翼がチコとオリーブの間に割り込み、爪を防いだのだ。

 ぎぃ、と音を立てながら、アマナの翼がオリーブを弾く。アマナは地面すれすれを飛行して、再度急上昇。チコも自身の判断でその隣へと飛んでいた。

「……どういうつもり、リンネ?」

「私との勝負は、まだ終わっていません。……ミネルヴァもそう判断しています」

 先輩は答えながら、ミネルヴァの翼に目を向ける。

 そこには、チコとオリーブだけでなく、アマナの体力ゲージも示されていた。

「そう。なら仕方ない……とは、言えないわね」

 溜め息を吐きながら、じっと緑川アテナは部長をにらみ付ける。

「そちらが言ったのよ。ツバサは強くて、データを取る価値があるって」

「ええ、その通りです」

「なのに、なに? 横槍が入らなければ勝負はついていた。お話にならないでしょう」

「蒼崎さんは動揺しています。あなたの言葉が原因で」

「……?」

 部長の指摘を受けた緑川アテナは、不思議そうな顔でわたしを見た。

 動揺、しているのかわたしは。改めて言われて、確かにそうだと思う。

「そうですよぉ。急に現れて愛着の湧いたブルームフェザーを渡せって、ねぇ?」

「は、はいっ! それに……やっぱりその……お母さんのことは……」

 飾利先輩とアカリも、部長の言葉に合わせて彼女に反論を試みる。

 その言い分に、わたしはどこかしっくりこないモノを感じつつ……だからといって、自分が感じたことを、上手く言葉にはできなかった。

「……フウカのこと、ね」

 しかし、先輩たちの言い分は、緑川アテナに響いたらしい。

 彼女は数秒、目を瞑って考え込み……「そうね」と顔を上げた。


「一週間。それがワタシの待てるギリギリの期限」


 それを過ぎたら、改めてチコを引き取りに来ると、彼女は言う。

「別れを済ませるなら、それまでの間よ。フォトでもムービーでも、好きなだけ残しておくといいわ」

「その間に、あなたが納得するほど強くなれば?」

「有り得ない。というか本来、そうだとしてもモニター募集はしてないのだけど」

 まぁ、努力するのは自由だわ、と緑川アテナは答えて、わたしたちに背を向ける。

 戦いの終わりを察したミネルヴァは、みな一斉に羽ばたき、空の彼方へ消えていく。

 オリーブは歩く彼女の肩に止まり、最後にチコに『ピィ』と鳴いた。

 チコはそれに答え『ピィ』と同じような声音で返す。

 ……そうして緑川アテナは去り、わたしは一週間の猶予を得たのだけど。


「……。皆さん、ご迷惑おかけしました」


 一呼吸おいて、わたしは部員の皆に頭を下げる。

「どうしましょうか、蒼崎さん。対策を取るなら協力しますが」

「そうそう。あれは対策しないと勝てないよねぇ。映像データは確保してるよぉ」

「同型機ということは、性能の差はほとんどないわけですから……チコちゃんの動きを研究すれば、オリーブちゃんへの対策にもなりますかね?」

「いや、そうじゃなくて……!」

 わたしは頭を下げたまま、みんなの言葉を遮った。

 本当に、『止まり木』のみんなは優しいんだ。わたしの為に戦って、反論して、練習にまで付き合ってくれるっていうんだから。

(でも……受け止められない)

 最低だ、って自分でも思うけど。

 今は、みんなの優しさが、重たい。


「これは、わたし個人の問題……なので」


 わたしはチコをどうしたいのか。

 その答えが、まだ出てない。

 そんな状態で、みんなに何かをしてもらうなんて、出来るわけないよ。


「少し、考える時間をください」


 わたしはそう言い残して、屋上を降りた。


【続く】


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