第13話

今日は村尾さんがパチンコを奢ってくれる。パチンコを僕はやったことがなかった。お金を入れて球が出てきて、ハンドルを回すと球が飛び出して、スタートに入れば数字が回転して揃ったら大当たりと言うぐらいの知識はあった。よく村尾さんが、昨日の休みは三万円負けたとか、昨日の夜に仕事帰りに二万負けたとかと言っていたので、僕はそれを聞くたびに僕の一日の給料の三倍とか五倍の金額を数時間とか一日で失ってしまうのか、パチンコは怖い、そんなものは絶対に自分はやってはいけないと思っていた。たまに村尾さんが昨日は五万円勝ったとか仕事帰りに一万円勝ったとかも言っていたけれど、トータルでは確実に村尾さんは負けている。それにお客さんが勝っていたらパチンコ屋さんは商売にならないじゃないか、基本的に負けるけど、たまに勝つ。そんな風になっているのかなあ、それでもたまに大きく勝つからパチンコは楽しくて好きな人は止められないのかなあ、と。僕は財布の中に千円札を二枚入れて、書き終えた年賀状を出し忘れないように手に持って待ち合わせの時間に遅れないように早めに家を出た。いつもの穴が開いた靴に毎日乗ってきた自転車。部屋の中も寒いけれど部屋の外も寒い。僕は安いスカジャンを着ている。これもサテンだ。荻窪まで自転車で移動して、途中でポストを見つけて年賀状の返事を放り込んでから、駅前に自転車を止めてJR荻窪駅から中央線に乗る。流石に正月は街にも人は少ない。電車も空いていた。中央線がホームに入って来る。電車に乗り込む。東京で便利だと思ったのがこの電車である。乗り過ごしてもすぐに次々と電車はやってくる。僕の田舎の電車は一時間に二本しか来ない。だから一本乗り過ごすと三十分待たなければいけない。あと、駅と駅の間の距離がものすごく近い。一駅、二駅なら自転車で移動した方が絶対に早いんじゃないかと思っていた。東京の電車は走り出してから一分ちょっとで次の駅に着く。僕の田舎の電車は走り出したら次の駅まで最低でも五分は走り続ける。切符を買っても駅員さんはいないし、無人駅もたくさんあった。無人駅では切符を決められた箱の中に入れて駅を出る。と言うか、駅もない。ホームだけしかない。東京の電車で無人駅は見たことがない。また、田舎の駅では改札で職員の人が切符をハサミみたいなものでガチャンと切符に穴を開けていたような気がする。東京の駅ではそういうのは全部機械がやってくれる。でも、これって切符を買わずに飛び越えちゃえばタダで電車に乗れちゃうのではとか最初に見た時、僕は思った。駅に入る時も出る時もジャンプすれば飛び越えちゃえる。僕の田舎のように駅員さんが切符を一人一人確認していれば強引に入るようなことも出来ない。無人駅だとどんなに長い距離を乗って来ても最低運賃の切符を入れれば安く電車を利用できた。それでも無人駅のシステムが破綻しないのはみんながちゃんと利用しているからだろうと思っていた。電車が走り始めてすぐに阿佐ヶ谷駅に到着する。河本さんの住んでいる街だ。河本さんもお正月をエンジョイしているのかなあ。高円寺、中野、そして中央線は東中野と大久保を通過して新宿で止まる。僕は電車から降りる。新宿駅はとても広いし、流石に人も多い。しかも新宿駅は出口までが迷路のようになっている。アルタ前はどこかの出口を出ればすぐにある。僕は駅員さんに尋ねながら、アルタ前は東口を出ればいいとか、東口にはこういけばいいということを教えてもらい、忘れないように間違えないように東口を目指した。アルタ前という案内の札も見つけて、僕は階段を上った。僕の田舎の駅は大きい駅でも階段を下りて駅を出る。東京も大体そうだけど、東京の大きな駅は迷路のような地下を彷徨ってから階段を上って駅を出る。なんだろ。階段を上るとアルタが見えた。笑っていいともの撮影をしているところだ。僕は安物の腕時計で時間を見て、待ち合わせ時間よりもだいぶ早めに着いたのを確認した。新宿駅で迷うと地上に出るのに時間がすごくかかる。僕はハイライトを吸いながら村尾さんが到着するのを待った。待ちながら正月なのに人が多い新宿の街、そしてアルタ前を眺めながらパチンコで勝ったら助かるなあとか、負けても奢りだし村尾さんが大勝ちしたらいいところへ連れて行ってもらえるかもなあとか、二人とも勝てばいいけれど二人とも負けることもあるし、もし二人とも負けたら村尾さんは一体今日一日でパチンコにいくらぐらい使うのだろうとか、村尾さんは奢ってくれると言っていたけれどいくらぐらい奢ってくれるのだろうとか、一万円でどれぐらいの時間遊べるんだろうとか考えていた。僕は田舎者だから新宿に来ることはめったになかった。新宿という街はやたら人が多く、駅から離れてしまうと街が迷路のようになっていて方角や自分がどっちから歩いてきたかも分からなくなってしまう印象があった。実際に僕は過去に一度、新宿の街で迷子になったことがある。方向も分からずに歩き続けて電車の線路が見えたのでそこを辿っていくと新大久保駅にたどり着いたことがあった。そこでお巡りさんに聞いて歩いてすぐのところに大久保駅があると教えてもらった。僕の田舎の都会でも一度歩けば帰り道で迷うことなどなかった。今日は村尾さんから絶対に離れてはいけないと考えていた。駅まで送ってもらえばあとは何とかなる。最悪、駅の方向さえ教えてもらえれば何とかなる。道に迷って歩いている誰かに聞いても、東京の人は僕を不審な顔をして見て、関わらないように黙って立ち去る人が多い。それはどんなに見た目が優しそうな人でもそうだった。知らない人にいきなり話しかけることはこの都会では怪しい行為に見られるみたいだ。よく考えればそれも分かる気がした。僕も街中で知らない人に声をかけられたら絶対に怪しい人だと思い込んで話を聞かずに逃げ出してしまう。以前、新宿で迷子になった時も知らない女の人に声をかけられたからだ。若くてきれいな人に僕は声をかけられて近くの喫茶店で話をしようと言われ、のこのことついていった。僕はナンパをされているのかと最初に思った。東京で知り合いもほとんどいなかった僕はいろんなことを想像しながらその女の人についていった。喫茶店に入った時もお金のことを最初に心配したけれど喫茶店のお茶代でその女の人と話が出来るのならいいかと思って何の迷いもなく喫茶店の中の座席に座った。喫茶店でも一番安いコーヒーを僕は注文した。その女の人は少し高い飲み物を注文した。僕は素早く頭の中で喫茶店代がいくらかを計算した。大丈夫だと思って、当たり障りのないことから話し始めた。途中でその女の人が僕に、絵に興味はないかと聞いてきた。僕は、絵にはあまり興味はないと答えた。するとその女の人が、誰もが最初は絵には興味がないけれど実際に自分の部屋に飾れば興味も湧いてくるし、自分の部屋に飾った絵を眺めているだけでその絵はものすごい価値が出てくる、自分の暮らしにものすごい文化と高級感を与えてくれると説明し始めた。そして近くに絵を売っているところがあるから一緒に見に行こうと言い始めた。僕は絵なんかにお金を払って部屋に飾ろうとはサラサラ思っていなかったけれど、その女の人の気分を損ねないように、それじゃあ一緒に見に行こうと答えた。絵を見に行って、その後に楽しいことが出来るのではないかと思いながら。その女の人とは途中まで楽しくプライベートなこととか話をし合って、とてもいい人だと思っていた。喫茶店を出る時もその女の人がお会計を出すと言ったけれど僕は格好をつけようと全額僕が払うと言って財布を出して僕がお会計を全額支払った。ここでいいところを見せないとケチだと思われるかもしれないという考えがあった。そしてそのままその女の人についていった。すぐ近くのビルに移動してここの二階が絵を扱っているお店だと聞いた。何の疑いもなく僕は女の人についてそのビルの二階に上がった。すると僕と同じような若い男の人たちがそれぞれ女の人を連れて絵を見ていた。購入の手続きをしているのか机に座って何かの書類に書き込んでいる男の人の姿も見えた。壁に何枚かの絵が飾られていた。どれも同じ人が描いたような絵であって、とても特徴のあるきれいな絵だった。そこで女の人が、これはクリスチャンラッセルと言う画家の作品であると言った。僕は、とてもきれいな絵ですねと答えた。女の人は、こういう絵が自分の部屋に飾ってあることを想像してみてと言った。僕は確かにこういう絵が一枚自分の部屋に飾ってあれば僕の暮らしにもものすごい文化と高級感を与えてくれると感じたので、すごくいいですねと答えた。僕は心の中でこういう絵は高いんだろうな、一枚五千円ぐらいするのかな、五千円はかなりの大金だな、でもこの女の人は絵を買えばさらに機嫌がよくなって今後付き合えたりするのかな、僕に初めて彼女が出来るかもしれないチャンスだから慎重にいかないとな、と考えていた。その女の人が飾られた絵を指さしながら、これが一枚四十万円、こっちが六十万円と言い始めた。僕は言っている金額の意味が理解できなかった。四十万円や六十万円を僕が払えるわけがないし、絵にそんな大金を出す人がいるのかと思った。五千円ぐらいと考えていた僕に対してゼロの数が二つも増えている。流石に僕は、そんな大金を払えるほど僕はお金持ちではありませんと言った。その女の人に対して頑張って見栄を張ろうと喫茶店のお茶代も奮発して僕が出した。そこに来て四十万円の絵を買って欲しいと言われてもそこまで見栄は張れない。僕はその女の人の機嫌を損ねないように、確かにいい絵だと思うけれど、僕には絵に四十万円という大金を払えるほどの金持ちではないと言った。するとその女の人は僕に力説してきた。確かに今この場で単純に考えると一枚の絵にそれだけの金額のお金を払うのは高いと感じるかもしれない、それでも実際に買ってみて自分の部屋に飾ればものすごくいい買い物をしたと感じると思う、いきなり今絵をみただけで四十万円と考えれば高いと感じるかもしれないが、一年が三百六十五日として一日百円と考えれば一年で三万六千五百円、十年間毎日その絵を眺めるだけで三十六万五千円、十年ちょっと毎日たった百円を払うと考えるだけでこの絵は一生あなたの部屋に飾られ続けるし、お金を払い終わってからは毎日無料でこの素晴らしい絵が自分の部屋で見られる、若い人はその場で金額だけで判断してしまいがちになってしまうのも分かるけれど、一生ものと考えればむしろ安い買い物だと言った。そして一括でこの絵を買える人はほとんどいないし、ローンを組むことも出来るようになっているから月々の支払いも数千円で済むとも言った。そこで初めて僕はその女の人の言葉に違和感を覚えた。何故この女の人は僕にこの絵をローンを組むほど無理してまで買わせようとしているのだろう。僕は毎日百円を払ってまでこんな絵を部屋に飾りたいとは全く思わなかったし、五千円でも高いと思っていたのだからその百倍に近い金額を聞いてからは絶対に僕が買う訳がないと考えていた。その女の人の気分を損ねないように遠回しに絵を買う気にはなれないと言う僕と、そんな僕にそれでもしつこく絵を買うように勧めてくる女の人。僕は、絵はもういいので他のところに行きませんかと言ってみた。するとその女の人は、絵を買うならどこにでも付き合ってあげる、その代り絵を買わないのならこの後は付き合わないと言った。僕はその時、この女の人は絵を売っているところとグルで無理やり男心に漬け込んで高い絵をローンまで組ませて買わせているのではないかと考えた。もし僕のその推理が当たっていれば全ての説明がつく。そうなると先ほど見た契約書らしき書類に何かを書き込んでいた男の人はまんまと騙されてローンを組んでいることになる。僕はこの場にいたら危険なことになると思って、時間がないので今日は帰りますと女の人に伝えた。するとその女の人は、こういうことはあまり長く考えても迷ってしまうからすぐに決断した方がいいと言い始めた。そして一日百円、たったの百円と連呼する。そのたった百円が僕には大金なのだ。僕はハッキリと、一日百円も僕には払えませんし、払いたくもないし、そこまでして絵を買う気持ちは全くないと伝えて、その女の人に背を向けてその部屋を出ようとした。するとその女の人と一緒に知らない男の人までもが出てきて僕を部屋から出るのを止めようと説得してきた。僕は知らない男の人が出てきた時点で、もう僕は騙されそうになっていると確信を持ち、貧乏なので僕には買えません、すいませんと連呼した。それでようやくその部屋を出られることとなった。結果、僕は新宿で迷子になった。また、東京で甘い話には危険が潜んでいるから気を付けなければいけないということを学んだ。

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