第2話

 三輪トラックの吐き出す煤がひときわ酷くなった。相手のスピードが落ちるタイミングで栗山もブレーキを踏む。


「なにやってんだ。アクセルだ。追い越すんだよ!」


「柿沼さん、分かってます? 犯人の追跡中とはいえ事故を起こせば責められるだけですよ! それは 相手が勝手に事故っても同じです。深追いした警察が悪いと世間から非難されるんです!」


「分かってるよ! ただちょっと気になることがあってな」


「なんですか?」


「以前、三輪トラックを追跡した巡査たちの話を聞いたんだ。二人の巡査はパトカーで警ら中、誘拐したと思しき数名を、荷台に乗せて走り去る三輪トラックを確認した。すぐさま追跡するが、しばらくしてトラックを見失ってしまう」


「見失う? こんな骨董品に巻かれたっていうんですか」


「そうじゃない。目の前で忽然と消えたそうだ」


「……柿沼さん。それ、担がれてますよ」


「誰もがそう思う。だから証言は一笑に伏された。でもな、二人の巡査はそんな奴じゃないと信じてる」


「根拠はあるんですか?」


「巡査のひとりは俺の甥っ子なんだ」


 黙りこんだ栗山の肩に手をかけて、柿沼が叫ぶ。


「追い越すんだ。トラックが消えちまう前に!」


 栗山がアクセルを踏む。ハンドルを切ってトラックの右脇をすり抜けると、柿沼の目に三輪トラックを運転する男の姿が映った。


 坊主頭に無精髭。人懐っこい笑顔で手を振っている。


 確かに、職質をかけた男だった。助手席にもふたりいるようだが、そこは影になって見えない。


「左に寄って停りなさい。ただちにスピードを落として左に寄って停車しなさい!」


 柿沼の必死の警告にも、運転手は人懐っこい笑顔で手を振り続けた。あまりにも舐めた態度に舌打ちした柿沼だが、すぐに大きな異変に気づいた。


 消えかけている!


 ちょうど捜査車両が三輪トラックを追い越し、行く手をふさぐように前に出た瞬間だった。


「トラックが消えるぞ!」


「えっ、嘘でしょう?」


「ブレーキを踏め!」


「無理です! 後ろから追突されますよ。死んじまう!」


「踏め!」


「できません!」


 柿沼が右足を伸ばしてブレーキを踏んだ。その無謀な行為に、栗山が叫ぶ。


「人殺し!」


 急ブレーキによってタイヤが悲鳴をあげた。捜査車両の後ろから、三輪トラックがゆっくりと突っ込んでくるのを、柿沼と栗山が見届ける。その表情は、死人のように真っ青だった。


 爆発音と衝撃がふたりを襲い、吹き払われた意識は闇に呑みこまれた。


 漆黒の闇の中。微かな空気の流れが頬を撫でていく。沈みこんだ意識がふわりと水面に顔を出すように柿沼は目を覚ました。


 捜査車両の車内。助手席にいる自分を確認し、運転席の栗山を見やる。栗山はまだ意識を失っているがこれといった異常はなさそうだった。あれだけの衝撃だったのだ。本当なら車体もろともぐちゃぐちゃでもおかしくないところだ。だが、なんど確認しても自分も栗山も無傷なのだった。


 冷静になって気づいた。車がアイドリング状態であることに。


 柿沼は車から降りた。車体をひと通り見て回ったが、傷ひとつない。


 運転席の栗山が目を覚ましたのが見えたので、柿沼はウインドウを軽く小突いて合図した。


「え、自分たちどうなったんですか。痛くも痒くもないんですけど」


 パワーウインドウを下ろしながら言う栗山に、柿沼はエンジンを切るように指示する。


「柿沼さんは大丈夫なんですか?」


「ああ、俺も無傷だ。それより……ちょっと降りてこい」


 車から降りた栗山に柿沼が空を指さした。


「あれを見ろ」


 真っ青な空に、入道雲がわきあがっている。圧倒的なエネルギーを蓄えた雲であった。明らかに秋の空ではない。


 そして、思い出したように耳に響き始めたのは――蝉の声だった。


 ふたりは、真夏のただ中にいた。

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