第11話

 庭の南天の生垣に、赤いちいさな丸い実がもう鈴生りになっている。十月もおわりに差しかかって北の空から渡ってくる風はすっかり冷たい。


 まいにち朝から晩まで、関節がきりきり軋む軋むように痛い。


 あたしはずっと二階にもあがっていない、風呂にもずいぶん入っていない。上の孫が東京からやってきた。下の孫はしばらく顔もみていないし声もきいていない気がする。だがそれでいいのだ、もうあとは死んでいくだけのヨボヨボの年寄りのことなんぞいい、じぶんたちの暮らしをなんとかやっていってくれればそれでいい。

 

 上の孫が手土産にと持ってきた柿はごろごろと、でッかいのが六ツもあった。


「うまいよ、甘いヨ」


 孫は口をモゴモゴ動かしながら言うがあたしはもうかたい柿なんぞ食べれる食べたいとも思わない。あたしが食べやすいようにとわざわざちいさく切ってくれたひとかけらを、しかたなく口にふくんで転がして、


「甘いネ、ウマいね」


 そう言ってやったらやさしいこの子はにこにことうれしそうに笑っていた。

 

 その晩あたしは柿を持ってしおちゃんのところへいくことにした。しおちゃんは先月から急に具合がわるくなって、すっかり寝たきりのようになってしまった。だがときどき調子がいいと、からだを起こして庭のぶどう棚のほうをぼんやりといつまでもながめていたし、庭に出てきたりもしていた。


 柿は結局四ツもあまって、


「これ、おとなりのおバアちゃんにあげたら」


 孫が帰りぎわに言うのであたしもそうしようと、皿になん切れかのっけてラップをして持っていってやることにした。しおちゃんは歯は丈夫だったから、調子がよければ柿のひと切れも食えるだろう。


 しおちゃんは居間のカーペットのうえに、布団にくるまって横になっていた。 目は覚めていたらしく、あたしが枕許にすわるとゆっくり目をあけて、その目があたしのと合わさった。


 しおちゃんの呼吸ははやく荒い。胸のうえの掛け布団が上下におおきく動いているおおきく上下に動いている。


 もう喋ることもできないのかできないのか、力のない目だけをこっちへ向けて、あたしを睨むようにみつめてくる。あたしはしおちゃんから目をはなさずに、ラップで蓋をした柿の皿をそっとじぶんの横へおいた。

 

 あたしたちはしばらくのあいだ、黙ったままにみつめ合った。


 あたしはしおちゃんのその目、力もない目に、ひょっと強い光を感じた気がした。


 それからあたしはしおちゃんから、ふっと視線をはずし庭のほうをながめた。自家とおなじ、ジイちゃんと旦那さんで組みたてたあのぶどう棚、その梁のひとつに、窓のうえの鴨居から麻縄が一本ぶらさがっている。それはあたしの家のあの麻縄とおなじように、 梁にしっかりと、きつくかたく結ばれている。

 

 あたしたちは約束したのだ。あの晩あたしがしおちゃんに秘密を打ちあけたときに。


 あたしの視線の先にある麻縄、二十七年まえにジイちゃんが首をくくった、自家のぶどう棚とおなじあの麻縄。あたしのほうがしおちゃんより四ツも歳上だからつぎは、てっきりあたしの番とばかり思っていたが、あたしはまた支えることになるのだ。ジイちゃんだけでなくあたしはしおちゃんまでも、支えるのだ。

 

 膝に手をあててヨイショと言いながらあたしは慎重に立ちあがる。縁側に面したガラス窓戸のまえまでいき、ゆっくりと重たい戸をあける。


 ぴゅーっと尖って厳しい風が外から勢いよく吹きこんでくる。冷たいその風になでられてあたしはまた関節が痛むはずだったがよく覚えていない。しおちゃんは頭をもちあげるように顎を突きだしこっちを見ているが、頭はほとんどもちあがっていない。


 あたしはカーテンもあけて縁側から庭へ、ゆっくりおりてぶどう棚の下まで歩く。そうしてあたしの頭の上に垂れさがっている麻縄の、そのちいさな輪っかをつかんでぐいとを下へ引ッぱった。


 縄は梁にしっかり結びつけられていてこれならほどけたりしないだろう。梁も腐っていないようだ。勤めていたころまいにち乗った電車のあたしにはちょっと背のたかい吊り革にそうしたように、両手でぶらさがるように輪っかへつかまり深くひと呼吸してからあたしはまたしおちゃんの枕許へ戻った。


 それからしおちゃんの頭のうしろにそっと右手を差しいれて、もう片方の手をしおちゃんのがりがりの背なかに添えて支えながら、ゆっくりゆっくりと起きあがらせる。


 かなり長い時間をかけてしおちゃんはなんとかからだを起こした。だが足はすっかりだめになっていて布団からでるとナメクジのように、のろのろと床を縁側へと這った。

 

 そうして息を切らしながら窓縁側のところまでやってきた。あたしはしおちゃんの腰、枯枝のようなその腰に横からすっと手をまわし、抱きかかえるようにしてそっと彼女を立ちあがらせる。


 しおちゃんはあたしの肩に必死につかまりながら、すこしずつすこしずつ、からだを上へと伸ばしていく。そうしてなんとか庭先へおりてまたさっきとおなじように、這うようにしてぶどう棚の下まで進んだ。


 あたしはもう一度しおちゃんをゆっくり慎重に立ちあがらせる。しおちゃんはそれから、さらにゆっくり時間をかけて、足許におかれた檜の踏み台にそっとその両足をのせる。しおちゃんはぶるぶるとふるえている、骨と皮だけの頼りない足でやっとこじぶんのからだを支えながら、目のまえにぶらさがった麻縄のちいさな輪っかのなかへ、それよりももっとちいさいじぶんの頭を拝むようにかたむけて通し入れた。


 ミイラのようなしおちゃんの両手は輪っかの両側をぎゅっと握って、もうあたしの肩をつかんでいない。だがあたしが腰を支えていなければ、しおちゃんはもう立っていることもできない。


 あたしは横から見あげるようにしおちゃんの青じろい顔をみる。しおちゃんは目をつむっていて、ブツブツなにかくり返している。なにを言っているかよく聞こえない、あたしは首をかしげるようにして右耳をしおちゃんの口許ちかくまで寄せた。念仏のようなことを口ずさんでいるらしいが、よく聞きとれない。

 

 あのときとおんなじだ。あたしは両手で腰を支えたままゆっくりうしろへとまわり、ジイちゃんの背なかのまえに立つ。じぶんの胸を横にベタっとジイちゃんのからだへくっつけて、甘えるように抱きしめる。


 同時にジイちゃんのからだが、きゅーッときつくこわばって、とっくに肚を決めているはずなのにあたしをうしろへと押しかえす。あたしはそれでもやめないで、体重を、ぐぐーっと体重をかけ、ジイちゃんをまえへまえへ押しだす。


 途端にジイちゃんはがくんと倒れ、うっかりあたしまでつんのめる。ジイちゃんはまえのめりにおおきく揺れて、おなじようにおおきく戻ってくる。


 指で弾かれた蓑虫のように行ったり来たりをくり返し、虫はなかなかとまらない。さっきまで足がのっていた、檜の踏み台は地べたに転がり、そうしてジイちゃんの両足は空を蹴って梁はぎぃぎぃと軋んでいる。

                            

(了)

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極楽蓑虫 神谷ボコ @POKOPOKKO

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